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Elephants

将軍ハンニバル・バルカが象と越えた峠はどこか?
 (候補峠一覧) Hannibal-Elephants  ●推定ルート・紀行 Index

[北村 峠一].(Kitamura)      

●時代・時期・概略ルート・期間:([歴史的根拠]

・BC218年(2200年以上前)、カルタゴの名将・勇将Hannibal Barca ハンニバル・バルカ(BC247/246-BC183)(当時28/29才)が象とアルプスを越えた。

・行軍の規模:歩兵3.8万人、騎兵8千騎、象37頭(南フランス・アルル付近でローヌ川渡った時点)が、このアルプス越えの行軍で兵力半減。

行軍の概略ルート+逃亡のルート ・行軍の概略ルート:カルタゴの領土だったスペインから、ピレネー山脈を越え、南フランス、ヨーロッパアルプスの峠を越え、イタリア平野に侵入し、カンナエ(カンネー)、トラシメネス湖畔、ローマ周辺各地へ。(結局ハンニバルは15年間もイタリアで戦い続けた)

・アルル付近から、「アルプスの登り道」まで248kmを10日で踏破した。 そこからトリノまでのアルプス越えは15日間、距離213km、平均20km/日*10日(頂上付近+イタリアの平原に全軍集結まで5日)。

・峠越え(頂上に着いた)の時期は、10月の終わり頃、前年の残雪もまだかなり残っていた。さらに高度の山のため、新雪が降り根雪になりはじめる頃だった。


ALPS-PASS-MAP
【ハンニバル通過が推定されているフランス・イタリア国境の峠と、ギャヴィン・デ・ビーアが推定するルート(緑色)】
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gallien-map
【ガリアの種族とエリア:Wikiより】
●「ハンニバルが象で越えたヨーロッパ・アルプスの国境峠はどこなのか」については、2200年以上も前のことなので諸説(数百人の人が過去に研究)あり、確定は難しい。


推定されているフランス・イタリア国境の峠を北の方から南に向かって列記すると・・ ●Googleマップでルートをたどる>  (Google-Mapで位置を確認


Grand Saint Bernard -Col du グラン(大)・サン・ベルナール峠ハンニバル峠の候補
  (スイス/イタリア国境:標高2469m)

 記述者:J・ウィッテカー(マルティニ〜:1794年)、(風見武秀『ヨーロッパアルプス』)
 [解説]:南フランスからイタリアに抜けるために、わざわざモンブランの山を巻いて、スイス南西部にはいり、Gr(大).セントバーナード峠(主要峠の11位の高さ)でアルプスを越え、アオスタからイタリア平野に侵入するのは、あまりに北に遠まわりすぎ、通過の可能性は少ない。

1800年、ナポレオンが4万人の軍隊と3000頭の馬を引き連れて、雪のこの峠越えをし、マレンゴのオーストリア軍を急襲し、勝利した。
多分ナポレオンは、ハンニバルの戦法を参考にしたと思われる。>

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Petit Saint Bernard -Col du プティ(小)・サン・ベルナール峠ハンニバル峠の候補
  (フランス/イタリア国境:標高2188m)

 記述者:J・A・ド・リュック(タランテーズ〜:1818年)、G・Lウィッカム+J・Aクライマ(タランテーズ〜:1820年)、H・Lロング(1831年)、Rエリス(モーリエンヌ〜:1835年)、W・Jロー(タランテーズ〜:1866年)、T・Aドッジ(タランテーズ〜:1891年)、フランスのアルピニスト斎藤さんのHP
 [解説]:イゼール川に沿ってのルート。途中の奇襲地点がなく、峠からのイタリア側の展望はよくない。通過が容易な峠で、通過の可能性は少ない。

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Autaret -Col dell アウタレト峠ハンニバル峠の候補
  (フランス:Bessansベッサンス〜Averole谷〜イタリア国境:標高3077m)

 記述者:トリノ歴史博物館資料、Wikiなど
 ・イタリアViu谷のMargoneには紀元前30年頃、カルタゴのハンニバル軍と象が通過した石碑(墓)があったと言われている。
 [解説]:峠からのイタリア側の遠望は? トリノまでは見えないのでは? 通過の可能性は?。

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Mont cenis -Col du モン・スニ峠ハンニバル峠の候補
  (フランス:ベッサンス南東、イタリア国境近く:標高2084m)

 記述者:ヨージアス・ジムラー(1574年)、ナポレオン(1816年)、J・Lラローザ(モーリエンヌ〜:1826年)、W・Hバロック・ホール(モーリエンヌ〜:1898年)、Wオジアンダー(モーリエンヌ〜:1900年)
  :youtube:Bramansブラマン〜プティ・モンスニ峠〜モンスニ峠〜トリノ
 [解説]:イゼール〜アルク川に沿ってのルート。途中の奇襲地点がなく、峠からのイタリア側の展望はよくない。通過が容易な峠で、通過の可能性は少ない。

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Clappier -Col de クラピエ峠ハンニバル峠の候補  登山のみの峠
  (モン・スニ峠の南西  標高:2482/2477m)

 記述者:ペラン(モーリエンヌ〜:1887年)、Pアザン(モーリエンヌ〜:1902年)、Jコリン(モーリエンヌ〜:1904年)、スペンサー・ウイルキンソン(モーリエンヌ〜:1911年)、Hフェラン(モーリエンヌ〜:1925年)
  Denis Proctorが1972年頃「Hannibal's March in History」で主張?
 [解説]:イゼール〜アルク川に沿ってのルート。峠からのイタリア側の展望はかなり良さそう。イタリア側の下りは極めて厳しい峠。しかし、途中の奇襲地点がない? 見つけるのが容易な、すぐ隣の小モンスニ峠、モンスニ峠になぜ行かないのか? など、通過の可能性は少ない。●第二有力峠:この峠通過の可能性は若干ある。



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Roue -C.de la ルール峠ハンニバル峠の候補 :Frjusトンネルの上付近。標高2541m:登山のみの峠。Bardonecchiaへ下る。
 記述者:オリヴィエ(バルスロネット〜:1889年)

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Echelle -Col de L' エシェル峠ハンニバル峠の候補  モン・ジュネーヴル峠の北 標高1766m 林道レベルの自動車道路あり(峠の下は私道で必ず通行できるとは限らない--イタリア公式ガイドp31)Bardonecchiaへ下る。
 記述者:Tモンタナーリ(アンブラン〜:1890年)

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Montgenevre -Col de モン・ジュネーヴル峠ハンニバル峠の候補
  (フランス/イタリア国境:ブリアンソンの約10km東:標高1850m)

 記述者:ヨージアス・ジムラー(1574年)、エドワード・ギボン(1763年)、ルトロンヌ(1819年)、ラドゥセット(1820年)、フォルティア・ダーバン(ブリアンソン〜:1821年)、エンベール(アンブラン〜:1878年)、Jフクス(アンブラン〜:1897年)
 [解説]:途中までトラヴェルセッテ峠と同じルートで、最初の奇襲地点は説明できるが、2つめがない。峠からのイタリア側の展望はよくない。通過が容易な峠で、通過の可能性は少ない。
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Malaure -C.de Malaure マロール峠ハンニバル峠の候補:Abrisの東の国境  標高2522m  登山のみの峠
 記述者:A・Rヌボ(ロタレー峠〜マルリフ峠〜:1925年)
    :Jean-Pierre Renault・ Humbert Camerlo対談https://www.youtube.com/
 [解説]:途中までトラヴェルセッテ峠と同じルートで、最初・2番目の奇襲地点とも説明できる。峠からのイタリア側の展望などは不明。

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■★Traversette -Col de la トラヴェルセッテ峠ハンニバル峠の候補  標高2950/2947m 自動車道路はない=登山のみの峠
 ★トラヴェルセッテ峠 トレッキング・ガイド★
 Mt.Visoモン・ヴィーゾ(モンテ・ヴィーゾ)山(3841m)の北1マイル(1.6km)
 Col de Agnelアニュエル峠の約7km東北東、デュランス川支流の源流、ポー川源流
 記述者:C・ドニナ(1792年)、ケンブリッジ(ヴァール峠〜シャトー・ケラース〜:1830年)、Cトール(フィネ〜シャトー・ケラース〜:1925年)、ギャヴィン・デ・ビーア(1955年)、ジョン・プレヴァス(1998年)
ギャヴィン・デ・ビーア氏
 [解説]:1950-60年に大英博物館(自然史)館長を勤めたギャヴィン・デ・ビーア氏(Sir Gavin Rylands de Beer 1899-1972年)の説「渡った川、時間、風景、奇襲地点、峠の下り等の検証」は説得力あり、●第一有力峠:この峠通過の可能性が一番大きい。

 登山家ジョン・プレヴァス氏も、候補峠をすべてルート・現地確認し、ここだろうとの見解を出している。
 ★2016年:英国北アイルランドのクイーンズ大学・ヨーク大学の研究チームが「峠付近で、軍馬の糞と思われる大量の堆積物を発見、当時の微生物を確認し、通過を裏付けた」と発表
 ★トラヴェルセッテ峠 トレッキング・ガイド★



【ハンニバルがBC218年、象とともに越えたと推測される「フランスイタリア国境の峠」と
「途中通過の峠・渓谷」位置、有力ルート】

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Agnel-Col de  アニュエル峠ハンニバル峠の候補 標高2744m 自動車道路
 トラヴェルセッテ峠の約7km東北東の峠。
 ギャヴィン・デ・ビーア、ジョン・プレヴァス両氏とも、このルートについて有力とはしていない。

 [解説]:途中までトラヴェルセッテ峠と同じルートで、「渡った川、時間、風景、奇襲地点、峠の下り等の検証」は説得力あり、イタリア側の展望もよい。●この峠通過の可能性も大きい

 Ville Vieilleヴィル・ヴィエイユの村で、ウェンパーは「ハンニバルと象」のことに触れています(p85)。このことは今回の旅の記事をまとめる上でも嬉しくなります。当時も峠探しは皆さんの興味の的だったのですね。この村はサン・ヴランの村や、Agnelアニュエル峠への分岐の村です。

 GR58の1週間ほどのトレッキング途中の大学生とハンニバルの話をし、・・・彼は「Agnelアニュエルの峠は、ハンニバルの峠」だという話を聞いたことがあると言っていました。同じグループの男の子は「大昔の歴史で真実はわからない」などとクールなことを言っていましたが。

 ジョン・プレヴァスは、「そこへのはいり口は見つけにくく、しかも待ち伏せ攻撃地点にごく近い・・」(p172)と対象から外しているが、「自然の石柱」は極めて目立つ標識です。

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Mary -C.de マリー峠/Maurin -C.deマウリン峠ハンニバル峠の候補: ラルシュ峠の北15km:標高2637m: 登山のみの峠
 記述者:Gド・マンティエ(バルスロネット〜:1944年)
 [解説]:途中までトラヴェルセッテ峠と同じルートで、最初の奇襲地点は説明できる。次にバルスロネット方面に入りこの峠に向かうが、2つ目の襲撃点は不明。峠からのイタリア側の展望も不明。


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Larchel/Argentera Pass ラルシュ峠ハンニバル峠の候補
  (フランス/イタリア国境:バルスロネット東20km:標高1994m)

 記述者:D・Wフレッシュフィールド(バルスロネット〜:1914年)
 [解説]:途中までトラヴェルセッテ峠と同じルートで、最初の奇襲地点は説明できる。しかし次が上の峠と同様バルスロネット経由で、峠までに2つめの襲撃地点はない?。峠からのイタリア側の展望はよくない。通過が容易な峠で、通過の可能性は少ない。

−−−その他:各種資料に登場する途中の峠:記述者(年)−−−
Col de Grimoneグリモーネ(グリモヌ)峠ハンニバル峠の候補:Gド・マンティエ(1944年)  (フランス内:ガップ北西50km:標高1318m)
Col de Cabreカーブル峠ハンニバル峠の候補:オリヴィエ(1889年)  (フランス内:ガップ西50km:標高1180m)
Lautaret -Col duロータレー峠ハンニバル峠の候補(2058m):ARボヌ(1925年)
Col d'Izoardイゾアール峠ハンニバル峠の候補  (フランス内:ブリアンソン南東20km:標高2361m)
Col de la Moutiereムーティエ(ムリエール)峠ハンニバル峠の候補  (フランス内:バルスロネット東20km:ボネット峠の南にある峠のことか?標高2454m)
Vars -Col deヴァール峠ハンニバル峠の候補(2111m):ケンブリッジ(1830年)/DWウレッシュフィールド(1914年)
Col de la Cayolleケヨル(カイヨール)峠ハンニバル峠の候補  (フランス内:バルスロネット南30km:標高2327m)
Bayard Passベヤール峠ハンニバル峠の候補(1247m):ルトロンヌ(1819年)/ケンブリッジ(1830年)/Jフクス(1897年)/DWウレッシュフィールド(1914年)
Manse -Col deマンス峠ハンニバル峠の候補(1268m):Gド・マンテイエ(1944年)
Mont du Chatモン・デュ・シャ峠(1504m)ハンニバル峠の候補:JAド・リュック(1818年)/GLウィッカム等(1820年)/WJロー(1866年)/TAドッジ(1891年)
Cucheron -Col du(1139m)キュシェロン峠ハンニバル峠の候補:Pアザン(1902年)/Jコリン(1904年)/スペンサー・ウィルキンソン(1911年)
■ピオリ峠:エンベール(1878年)ハンニバル峠の候補
■マルリフ峠:ARボヌ(1925年)・・col de Marlif(2866m)?ハンニバル峠の候補
■ロニョン峠:Gド・マンテイエ(1944年)・・ Col du Gros Rognon(3402m)?・・Col de Font Rognon(約840m)?・・Le Rognon(1851m)?ハンニバル峠の候補
La Turbieラ・テュルビ峠ハンニバル峠の候補 (フランス内:モナコ北西5km:標高480m)

●Googleマップでルートをたどる>  (Google-Mapで位置を確認
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<出典>:『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア著 時任生子訳 博品社(p135-)
 『HANNIBAL CROSSES THE ALPSハンニバル アルプス越えの謎を解く』John Prevas ジョン・プレヴァス著 村上温夫訳 白水社 など

<論戦情報>
http://www.h-net.org/reviews/showrev.cgi?path=682951259334
http://www.google.co.jp/「Denis+Proctor+Hannibal+March+in+History」
http://en.wikipedia.org/wiki/Hannibal


Elephants ●関連興味事項:
 ・<行軍の町や村への影響は?>
 ・<どんな食べ物を食べていた?>
 ・<当時の宗教は?:カルタゴ、ケルト、古代ローマ>
 ・<当時の人口規模と近隣の町?>
 ・<ハンニバルの象の種類?>
 ・<ハンニバルの足跡をたどるトレッキング・ツアー?>
 ・<巨大な大岩をどうやって破壊し、道を作ったか?>
 ・<寒さに耐えた兵士たちの工夫?>


●その後のハンニバル:
[アルプスの峠越え後のハンニバルと軍(年表)]


ハンニバルと象の峠 紀行:INDEX
ハンニバルの通過した推定峠
Googleマップでルートをたどる
歴史的根拠
関連サイトへのLINK、書籍名
ハンニバル研究家:村上温夫
大量山岳・凍死事件
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