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ラマ(リャマ)

Ristolas リストーラの村-3 ・・・なんでここに南米のラマ(リャマ)がいるの?

ハンニバルの進軍状況  村の「Au Queyr' de l'Ours:ケーラスの熊」ホテルは、ラマを飼育していて、彼らに荷を積んで、トレッキングに同行させる山岳ツアーを主催していました。その中になんと「ラマと一緒にハンニバルの足跡をたどる」トレッキングコースがありました。
フランス:(05)オート・アルプ県】 [北村 峠一].(Kitamura)     


 僕たちが泊まった宿「Au Queyr' de l'Ours:ケーラスの熊」は、庭に熊のクライミングの塔があって、さらに脇には大きなカバのおもちゃまでありました。
 初日の夕暮れ時、部屋の窓から下を見ると、変わった動物が上目づかいでこちらを気にしています。この動物はじめてみるけど、なんていうのだろう。確か南米の山に居る・・・ラマ(リャマ)?・・・何でこんなところにいるんだろうと疑問でした。

   
【440.jpg/464.jpg:熊に向かってクライミングの穴が作られていて。】 【462.jpg:これはなに?・・・カバのハリボテもいましたね】

 で、翌朝早速行ってみると、宿の柵に「Ferme a Lamasラマ牧場」の看板を見つけ、さらにこのラマに荷を積んで、いろんなトレッキング・ツアーを主催しているのを知ります。
 おとなしく、賢そうな動物です。日中は見かけなかったので、ツアー客の荷物を積んで早朝出発するのでしょう。でもフランスの山奥で、アンデスの動物に会うとは・・・・でもなぜロバでなく・・南米のラマなのでしょう?

 (あちこちのWebサイトからの想定ですが・・・歴史的に、このケーラス地域のたくさんの人が、南米に移住したとのことです。そして山岳地域で荷役に使われ、寒さなどにも強いラマをここに連れてきたのでしょう。・・・Espinassesエスピナス村のホテルのマダムも、やはり南米出身だったのかもしれませんね。)

 
【348.jpg:宿のまわりが柵で囲われていて・・・ラマがいます】 【443.jpg:ラマとトレッキングの若者】

● ラマ(リャマ) (別名:アメリカラクダ)(学名:Lama glama / Llama)(偶蹄目 ラクダ科)

分 布: 南米(ペルーからボリビアにかけての高原地帯でケチュア族とアイマラ族によって飼育されている。特にペルーに多い)
生息地:アンデス高地地帯(標高3000〜4000m)
体長*体高:約1.2*約1.2m 、体 重:70〜140kg
体 色:淡褐色、褐色、黒色、白色、白と茶、黒の斑など
寿 命:約20年
特 性:現地では約4500年前から家畜として利用されている。雄は荷役運搬用として使われる。50kg弱の荷を負い、1日20km程度歩くことができるが乗用には使われない。 普段はおとなしい性格だが、怒ると胃の中のもの(かなり匂いが強い)を吐きかける事もある。現在野生のものがいないため、グアナコを家畜化したものと考えられる。毛は硬いため利用されないが、肉は食用に利用される。
−−−−−−
関連URL:
 http://members.tripod.co.jp/tarepannya/rama00.html
 http://www1.sphere.ne.jp/tobezoohp/


−−−
 滞在の時間とともに、そのトレッキングコースの中に「En lamas sur les traces d'Hannibal・・ラマと一緒にハンニバルの足跡をたどる」のコースがあることもわかりました。(もし象と一緒の旅だったら、食料の多さや、寒さ対策など大変でしょうね)

 やはり、ハンニバルはここを通過した(??)のです。・・・少なくともこの宿は、ハンニバルの歴史を、客を集めるネタにしているのです。





【417.jpg:ラマ牧場の看板とトレッキング】 【tour-7.jpg:ツアーのパンフから】 【tour-8.jpg:ラマと一緒にハンニバルの足跡をたどる】

●ハンニバルの足跡をたどるトレッキング・ツアーの概要
−−
価格(宿代含)ホテル/ヒュッテ泊1人:255/238ユーロ
3日間(1日5〜7時間)の歩きコース
6月1日〜10月31日中の特定日実施
グループ:4-10人
Traversette峠のトンネル通過、Viso小屋、Jervis小屋泊

URLと、コースガイドへの手順: http://www.au-queyr-de-lours.fr/
→Balades avec lamas(ラマとの散策)→ En lamas sur les traces d'Hannibal(ラマとハンニバルの足跡を)


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Elephants

●「ハンニバルと象」がこの地(推定)を進軍した状況など

 −− ポリビオス(BC200-BC118)の記述による。「」は推定の地名 −−
 ●前のポイント「Ristolas-2」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●次のポイント「Monta/Echalp」




【ハンニバルの行軍推定ルート(緑実線)・・・クリックで拡大】



より大きな地図で 2002Travel-Root-Point を表示
<ここまでの経緯>
 約4.5カ月前スペインを出たカルタゴの軍は、「ケーラス」渓谷で崖の上から岩による大襲撃をされ、多大の死者を出しこの地に到達(10月18日夜)。この先の偵察と軍の再集結、再編成、休養のためこの地に留まる。

<この地のハンニバル軍>
(前の状況と変わらず)
 紀元前218年10月19日。気温が下がり、時には雪もようとなる。この日もこの地に留まる。

 道路の工作隊は、象・荷車を含む軍の峠道を切り開くため、先の山道に向かい作業をする。

 アルプスの登り道から9日目。イタリア国境の峠越えまで残り6日。

 軍の規模は、歩兵2.9万人、騎兵6.9千騎、象20頭。

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・・・皆さんの想定、推測情報などありましたらお願いしますハンニバル応援

参考資料:
 この記載情報はポリビオス(BC200-118)の記述による。これをもとにルートを推定・解説している本は以下のものである。
 ・Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア 『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』時任生子訳:博品社(G-page)
 ・John Prevasジョン・プレヴァス『HANNIBAL CROSSES THE ALPS ハンニバル アルプス越えの謎を解く』村上温夫訳:白水社(J-page)
 ・Hans Baumannハンス・バウマン『ハンニバルの象つかい』大塚勇三訳:岩波書房:(H-page)
 ・The Green Guide:『French Alps』2001 Michelin:(M-page)
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<Monta/Echalpラ・モンタ/ル・シャルプの村に向かいます・・・・>
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