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【ヨーロッパ・アルプスのハイキング地図】
  【国別地図】  【日本語ガイド本】

St.Roman/Chatillon-en-Diois
 サン・ロマン/シャティヨン・アン・ディオワ

フランス:(26)ドローム県】 [北村 峠一].(Kitamura)     

 朝起きると残念ながら小雨でした。今日のドライブは、Clellesクルレの村から出発し、ヴェルコールの高原に行き、またクルレに戻ってくる計画です。

 森の緑が雨と霧にけぶるなか、Menne峠(1457m)とすぐ先のトンネルを抜け、さらに深い森の急な峠道を下ります。
Chatillon-en-Dioisシャティヨン・アン・ディオワを通過し、St.Romanサン・ロマンの村に入ってきました。名前から見ても古代ローマに関係がありそうな場所です。
・・・と思ったらALCOOL DANGER!・・・初めてですこの看板は。かなり呑み助の人が多い村なのでしょうか。

【st-roman12.jpg:St.RomanとALCOOL DANGER!の看板】


【11.jpg:サン・ロマン村は小さな集落】


 この小さな村はすぐ通過です。そして前方はなだらかな山が。・・・もうすぐDieディの町のはずなのですが・・・
強烈な頭痛が・・・目を開けていられません・・・どうしたのでしょう。道の脇の空き地に車を停めて、ハンカチを目に載せ暗くして少し休みます。そういえば朝からちょっと風邪気味(?)かと思っていたのですが・・・・
旅に出てから4日目。連日遅くまで動き回っていました。時差ボケもありそうです。

【07.jpg:正面の丘の右がディの町】


 結局1時間ほど休んで、なんとか少し回復しました。雪目のようです。・・・ずっと曇りや小雨の日だったのですが、ここフランス南部は太陽に近いのでしょうか。
まだ昼頃なのですが、今日は予定を切り上げて宿に戻ることにします。・・・以降ドライブや屋外ではサングラスを離せなくなります。
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 先ほど通過したChatillon-en-Dioisシャティヨン・アン・ディオワの村まで数km戻ります。
二つの険しい峠(Menee峠とGrimone峠)ルートへの分岐点にできた村。昔の徒歩・馬での旅の時代、ここには峠越えのための身支度、食料確保、睡眠のためなどで多くの旅人が立ち寄った店や宿などがあったのではないでしょうか。川と裏山との斜面の道沿いにできたこの村は、表通り/裏通り/川向こうを、階段・トンネル・入り組んだ狭い路地・橋など、散策には格好の場所かもしれません。

【chatillon01.jpg:シャティヨン・アン・ディオワ村の入口】 【02.jpg:峠への分岐点】


【10.jpg:川に沿った村の家々、階段、路地】


 北の山に垂直の岩肌を見せているのは、ヴェルコール山塊の一番南、Montagne de Glandasse1800-2100mの山並です。そしてこの生垣に囲まれた歴史を感じる立派な館は、この地の領主の家でしょう。その昔、峠越えの馬や食料などを提供し利益を得ていたのでしょうか。

【25.jpg:ヴェルコール山塊の遠望】

【30.jpg:中世の館・屋敷】


 村の東、川に沿った場所にはキャンプ場ができて、たくさんのキャンピングカー、トレーラでの旅行者が滞在しています。きっとヴァカンスのピークシーズンにはここに見えるプール、テニスコートなどを使いながら長期滞在でくつろぐのでしょう。・・・村のひなびた感じのレストランは、こんな雰囲気のお客さんたちが大勢・・・メニュー片手に雑談中でした。

【38.jpg:夏シーズンはプール、テニスコートなどで賑わう村】


 グリモーネ峠経由でクルレに戻る道を走り始めます。乾いた痩せた土地に緑色のラヴェンダ畑が広がります。・・・そして山(アルプスといわれる山)が近づいてきます。

【47.jpg:ガ渓谷、グリモーネ峠に向かう道とラヴェンダ畑】

Elephants

●「ハンニバルと象」がこの地(推定)を進軍した当時の状況など。

 ●前のポイント「Die」←  【●ハンニバルの有力推定ルート】  →●次のポイント「Gorges-Gas」



                  【広域推定ルートの地図(緑ルート)】

<ここまでの経緯>
・約4カ月前スペインを出たカルタゴの軍は、ローヌ川〜ドローム川を経由し、Dieディの町を出てさらに上流へ。

<この地のハンニバル>
・この地点の行軍の規模は、Dieディとほぼ同じ=歩兵3.7万人、騎兵8千騎、象34頭(H-p177)。

・ハンニバルの全軍が、このシャティヨン・アン・ディオワ付近で野営したのは紀元前218年10月10日頃。イタリア国境の峠越えまで残15日。(この先が「アルプスの登り口」(G-p75))

・アルル付近でローヌ川を渡ったあと、「アルプスへの登り道」(この先の渓谷以降の峠)まで248km(=1,400スタディア)、10日所要して到着しました(G-p60、75)。

・ローヌ川の「島」から一緒だったブランクス部族の山岳ガイドと護衛は、この付近で帰ります(G-p76)。

より大きな地図で 2002Travel-Root-Point を表示
・当時この地は、ウォコンティ族(ゴールの諸部族のひとつ)の勢力範囲。しかし峠の東はトリコリィ族の勢力範囲であった(G-p58)。

・この地方の獰猛な山岳族アプロゲスは、ここまでの平坦な地ではブランクスの護衛などを恐れて襲撃せず、一定の距離をおいてついてきた。
 しかし、護衛が帰り、この先の険しい渓谷、カルタゴの大隊にとっては困難な地形にさしかかろうとしているのを見て、アプロゲス族はその渓谷の中腹に攻撃体勢を作った。(「彼らが夜間は村に帰る」との情報をハンニバルは得る)

・ハンニバルはその情報で、渓谷の手前に軍の大部分を野営させ、日を焚いてこの地に全軍が留まるようにみせた。
 彼は夜のうちに軽装備の歩兵一隊とともに、アプロゲス族の攻撃体勢地の、さらに高い場所に陣を構える。[峠越え1日目](G-p76)。

推定ルート
【シャティヨン・アン・ディオワ周辺の推定ルート地図(緑ルート)】



・当時、ハンニバルの軍人はどんな食べ物を食べていたのでしょう?

ローマ時代の農耕:牛と犂
  『中世ヨーロッパの農村世界』山川出版社:
     ローマ時代のモザイク画:農耕:牛と軽量犂(すき)
●主な食物は、
・麦かゆ(粗挽きの麦粉を牛乳、野菜などと一緒にトロ火で煮込んだ流動食)、豆類、チーズ、バター、ワイン

●時々は食べていたであろう食物・調味料など
・パン、パスタ、肉類(豚/牛/羊/山羊/馬/鶏/ガチョウ/孔雀/鹿/兎/鳥・・・馬などの戦いなどで死んだ動物、猟師が同伴したであろう)、卵、 ソーセージ、川の魚、カブ、キャベツ、キュウリ、キノコ類、ナッツ類、スイカ、梨、バナナ、リンゴ、オリーブオイル、砂糖、塩、ビール

●保存食としていたもの
・堅焼きパン、ビスケット、燻製肉、干し肉、ドライソーセージ、魚燻製、塩漬け、ナッツ類、ドライフルーツ、チーズなど
−−−

以下の食材は当時なかったと思われる。(新大陸発見によって伝えられたものなど)
・ニンジン、トウモロコシ、トマト、かぼちゃ、紅茶、茶、コーヒー、蒸留酒、イモ類(ジャガイモ、サツマイモ)、タバコ

−−−
・食事の回数は1〜2回(夕食と昼食・・・昼は携帯の食物)
・手を使って食事をする習慣だった・・貝殻などでのスプーンやフォークも一部使っていた。


 ハンニバルの軍も4カ月の進軍で初めて、この三方が高い山に囲まれた谷を進んでいったのでしょう。 そして事件が起こります。

 ●前のポイント「Die」←  【●ハンニバルの有力推定ルート】  →●次のポイント「Gorges-Gas」
・・・皆さんからのご指摘、想定、推測情報などありましたらお願いしますハンニバル応援

<参考資料情報>
中世ヨーロッパとファンタジー世界の「食」
古代ギリシア・ローマの料理とレシピ
 ・Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア 『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』時任生子訳:博品社(G-page)
 ・John Prevasジョン・プレヴァス『HANNIBAL CROSSES THE ALPS ハンニバル アルプス越えの謎を解く』村上温夫訳:白水社(J-page)
 ・Hans Baumannハンス・バウマン『ハンニバルの象つかい』大塚勇三訳:岩波書房:(H-page)
 ・The Green Guide:『French Alps』2001 Michelin:(M-page)

<グリモーネ峠に向かう道は、途中ハンニバルが(一回目に)襲撃されたとされる「ガ渓谷」を通過します・・・・>
●ご意見・お問い合わせ・情報・何でも・・・「峠の茶屋・掲示板」でお待ちしています。EU-ALPS.com
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