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【ヨーロッパ・アルプスのハイキング地図】
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Col de Grimone グリモーネ峠(1318m:79-2位) ●峠DBへ

フランス:(26)ドローム県】 [北村 峠一].(Kitamura)     

 ガ渓谷、グランダージュ村を経由して・・・グリモーネ峠へのなだらかな道を走ります。数kmで見晴らしのきく、野の花がたくさん咲く場所に・・・今来た方角(西)の雲は相変わらず厚く・・・明日もあまり天候に期待できませんね。そして行く方向(南東)のあのへこんだ場所が峠です。

【grimone1e6.jpg:グリモーネ峠の西方面】


【1c7.jpg:右に峠が見える】

 峠方面をズームアップしてみると・・・峠の茶屋のような建物が見え、そのむこうに、頂上に向かって岩を摘み上げたような、山肌に大きな石面のある山が見えます。多分Le Sarrier(1591m)の山でしょう。

【1b5.jpg:峠をズームアップ】


 そしてCol de Grimone グリモーネ峠(1318m:79-2位)に到着です。

【200.jpg:峠】

 どこの峠も似たような建物がありますね。旅人の多いところはレストランや、おみやげ家をやっていますが・・・ほんのわずか。救護のことを考えて建てられたのでしょうが、行政の支援がなければ維持も大変でしょうね。】

【201.jpg:西側から峠と避難小屋を見る】


【222.jpg:東側から峠を見る】

−−−−
 峠道を通り雨が走るなか、西のN75の国道方面に下っていきます。盆地を隔てた遠方に何層もの山並みが見えてきます。

【239.jpg:東への下り峠道】


【246.jpg:眼下に牧草地が広がりはじめ】

 このなだらかに広い渓谷はデュランス川の支流、Buech川、Lune川が作り上げた豊かな盆地ですね。そして右下の集落はLes Fauries、その左に見えるアーチは鉄道の橋です。
右遠方に見える岩山はRoc de Garnesier(2388m)やVacheres(2400m)と思われます。あのむこうにGapの町や、さらにはエクランの高い山塊があるんです。

【269.jpg:濃い緑のBuech・Lune川の堆積地・盆地】


【262.jpg:鉄道のアーチ橋とLes Fauries集落】

【Les Lusstettesの村、単線の国鉄を越えると、下方にN75の国道が見えてきます。分岐点・・右にSisteronシストロン71km、左にGrenobleグルノーブル70kmとほぼ中間なんですね。そしてCol de la Croix Hauteクロワ・オート峠3kmです。】
【272.jpg:Les Lusstettesの村、国鉄の踏み切り、国道N75、分岐点】

Elephants

●「ハンニバルと象」がこの地(推定)を進軍した当時の状況など。

 ●前のポイント「Glandage」←  【●ハンニバルの有力推定ルート】  →●次のポイント「Serres」


【広域推定ルートの地図(緑ルート)】


<ここまでの経緯>
 約4カ月前スペインを出たカルタゴの軍は、ローヌ川〜ドローム川を経由し、この峠の直前「ガ渓谷」で奇襲に会い、歩兵2千300人、騎兵400、象8頭を失った。

<この地のハンニバル>
・ハンニバル軍は、あの狭い「ガ渓谷」で襲撃され多数の死者を出します。まだ耳に残る悲鳴や、泣き声で不安であった戦士たちも、この峠の平坦な道の見晴らしが利きだすにつれ、平静になったでしょう。

・体制を立直し、襲撃した山岳族アプロゲスを殺し、生き残ったものも敗走させて追い立てます。

・この地点を通過できた行軍の規模は、グランダージュ村の数とほぼ同じ、歩兵3.5万人、騎兵7.6千騎、象26頭。
・Glandageグランダージュ村を東に7-8kmの道程(標高差約700m)のところにグリモーネ峠はあります。さらに東のLunel川、国道N75まで約5km、高度差300mほど、それほど険しい峠ではないのです。

・峠の東、平野に向かっての眺めのよい下りの峠道。はるか遠方にはアルプスの山並みも見え、あの先がイタリアなのかと思ったことでしょう。

・軍と荷役の動物、馬の群れは峠を越え、敵の出撃基地であった下の平野の町を目指して進みます。

・着いてみると住民は戦利品の約束に釣られてすべてで払っており、誰もいなかったので、この町を獲得し、今すぐに役立つものも数多く手に入れます。
その中には多くの荷役動物や馬やそれらの御者、さらに数万人の自軍の3日分に十分足りる穀物と家畜が含まれていました。
十分な食料が確保できたことは、兵士や馬・象などの心身をも安らませます。

・特筆すべきことは、以降しばらく、敵に自然な形で敬意を払わせ、その結果、アルプスに登る際に、軽率に攻撃を仕掛けてくる者は誰もいなかったようです。

・ハンニバルが、このグリモーネ峠付近を通過し、Lune川、Buech川流域の町で野営したのは紀元前218年10月12日-13日頃。イタリア国境の峠越えまで残12日。

・翌日の丸1日[アルプスを登り出して3日目]軍は休息を取り、再び行動を開始します。(G-p77)

より大きな地図で 2002Travel-Root-Point を表示

推定ルート
【グリモーネ峠周辺の推定ルート地図(緑ルート)】



<当時の人口規模と近隣の町>
・この下の平野で数万人の兵士が3日分の食糧を確保できたとのことです。
 とすると、(最低必要食料/日=25ton=約5万人*500g/1日1人当り食料・・・200人規模の村の約1年分=250倍)と仮定すると、600人規模の村の全食料を占拠したことになります。

・さらに攻撃してこないばかりか、敬意を払ったとなると、備蓄食料にさらに余裕のある・・・1000人以上の規模の町だったと思われます。

人口増加グラフ
  『人口増加グラフ』
   西暦元年(2000年前)で推定2.5億人、現在約60億人

・今から2200年以上前の人口は現在の1/30〜1/15程度<注1>、衛生や、物流・保存などのシステムを考えれば、当時の1000人(現在の3万〜1.5万人相当)を越す町はそれほど多くなかったはずで、

・・・現在この付近の大きな町といえば、グルノーブル(40万人)、ディ(4千人)、シストロン(6千人)、ガップ(3万人)・・・

と、Gapガップと同程度の人口がこの周辺にあったこととなります。今この周辺にはそのような町はないので、当時このBochaine一帯を仕切っていた豪族などがいたのでしょうか。

−−−−
<注1:国立社会保障・人口問題研究所の統計情報(世界人口:紀元前〜)によると、西暦元年で世界の人口は200〜400百万人。
   http://www1.ipss.go.jp/tohkei/Popular/Popular.asp?chap=1 
  これは現人口に対して、1/30〜1/15となります。

  参考に、当時の日本(弥生時代)の人口を見ると60万人(=1/200)。
   AD750年(奈良時代)に559万人(=1/21)となっており、農耕が進んだためか、急激に人口が増加しています。>



<峠越えの史実・根拠>
●紀元前218年に、ハンニバルが象とアルプスの峠を越えたというのは本当なのでしょうか?
 なにをもって史実というのでしょうか?・・・・
 など、皆さんもマユツバ?と思っている方も多いと思いますので、ここに整理してみました

 ●前のポイント「Glandage」←  【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●次のポイント「Serres」

・・・皆さんの想定、推測情報などありましたらお願いします。ハンニバル応援


 ・Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア 『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』時任生子訳:博品社(G-page)
 ・John Prevasジョン・プレヴァス『HANNIBAL CROSSES THE ALPS ハンニバル アルプス越えの謎を解く』村上温夫訳:白水社(J-page)
 ・Hans Baumannハンス・バウマン『ハンニバルの象つかい』大塚勇三訳:岩波書房:(H-page)
 ・The Green Guide:『French Alps』2001 Michelin:(M-page)


<この先僕たちは、北に向かいClellesクルレに戻ります(多分、ハンニバルは南に向かったはずです)・・・・・・>
●ご意見・お問い合わせ・情報・何でも・・・「峠の茶屋・掲示板」でお待ちしています。EU-ALPS.com
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