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Bramans - Maurienneブラマン村-モーリエンヌ渓谷
 

ハンニバルの進軍状況  古い教会への道は残念ながら工事中で引き返します。
今回のハンニバルが通過した可能性のある、全7つの峠・コースを訪ねる目的はこれで一応達成しました。





【緑実線:クラピエ峠ルート・・下りが大変。
 緑長点線:隣接のプティ(小)モン・スニ峠だと容易な下り。
 緑短点線:モン・スニ峠は登り道が大変】
 Val-Cenisスニ谷のランスヴィラール村、今朝は若干曇り気味です。10kmほど下流のBramansブラマン村から、クラピエ峠に向かうAmbinアンバン渓谷を少し辿ってみたいと思います。
 切立った渓谷、地元部族の奇襲が行われるような渓谷でしょうか?地図で見ると、アンバン渓谷からPit.Mt.Cenisプティ・モン・スニ峠を通過するルートのほうが、モン・スニ峠経由より距離的に近そうです。歴史的にも古いルートと思えます。
 ガイドブックには、渓谷の分岐点から約8kmのところにあるSt.Pierre d'Extravacheの教会は、10世紀のものでサヴォワで一番古いものだとあります。


【14.jpg:ブラマン村の教会の横を通って】


【16.jpg:村の花飾りのきれいな狭い路地を抜け】


 潅木が多く、あまり見晴らしの利かない山の斜面の道を登っていきます。ケーラス渓谷ほどの切立った渓谷では無いようです。数kmさかのぼったところに小さな礼拝堂があります。Notre-Dame-De-La-Dellvranceの案内板があり、中には小さなマリアが祭られています。さらに建物の壁にも弓なりにカーブした、かわいらしいマリアが供えてあります。が、それほど古い建物ではありません。  【●旅の絵本へ

 
【38.jpg:礼拝堂が見えました】 【46.jpg:Notre-Dame-De-La-Dellvrance。中には小さなマリアが、そして建物の壁にも】



 その教会の先に、「St.Pierre d'Extravacheへ30分」の標識が出てきました。が、同時に道路工事のため、約1時間待つようにとの看板が出てきます。さてどうしましょうか? 今はモンスニ峠の方がメインの街道になっていますが、想像どおりこの「Bramansブラマン村〜Ambinアンバン渓谷〜Pit.Mt.Cenisプティ・モン・スニ峠〜Susaスーザ」がかつては主な街道だったようです。

・・・結局ここで戻ることにします。

 
【extravache.jpg:目的の教会はこれだったが】 【48.jpg:St.Pierre d'Extravacheまで30分・・・この先道路工事中】

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 今回の旅、「ハンニバルの通った可能性のあるルート・峠をドライブしてみたい」の目標は一応達成できました。
(南から、Larcheラルシュ峠、Agnelアニュエル峠、Traversette トラヴェルセッテ峠、Montgenevreモンジュネーヴル峠、Clappierクラピエ峠、MontCenisモンスニ峠 を走ったり、近くまでハイキングできたり。  そして、以前までに通過した、Petit-St.Bernard小サン・ベルナルド峠、Grand-St.Bernard大サン・ベルナルド峠。)

 このどこかの峠をハンニバルは、象とカルタゴ軍とともに通過したはずです。2200年前その峠へ向かう途中の、行軍した道の上を、僕たちの車のタイヤは踏んだはずです。

 この峠・街道を・・・ハンニバルばかりか、彼の弟ハスドルバル(BC207年)、ポンペイウス(BC77年)、ユリウス・カエサル(シーザ)(BC58)、古代ローマ時代以降の将軍、フランソワ一世(1515年)、ナポレオン・・・・大戦・・・たくさんの人たちがこのフランスイタリアの国境の峠を・・・重い荷を引き、汗を流し、凍えながら通過して行ったのです。

 記録に残るその多くは、戦いのための移動。それぞれの「正義」という名目の旗を掲げながら。そして、近隣の村人も含め何十万人もの命が、この一帯には埋葬されているはずです。

 今、経済活動のためのたくさんの物資が、峠を越えていきます。そして平和な時代、僕たちのような旅人もやはり、この峠を行き来します。

【青のルートを、レザンにむかう。赤の峠は
(当初計画していたが)今後の旅の楽しみに】

−−−−−−−−−−−

 当初考えていたサヴォワの残り10ほどの峠は、まとめて次回以降の旅にまわそうと決めました。今回の3週間のドライブ、「70峠通過」の計画は、当初から「無理だったら途中でバイパスしよう」とは考えていたのですが、「やはり」というか「疲れと気力」がそう判断させたのです。

 ここ2日、連続して夢をみました。前の日は「すでに帰国しているのにインターネットの書き込みをしていないのに気づき、パソコンを探している」シーン。昨夜は「自宅に近隣の子供達が無断で入って、我が家のものを使っている」シーンでした。ホームシック?とは思いたくないのですが、今までの「最長2週間」を越えてからの、あたまの隅のクラクラ感や、夢などは、やはり疲れから来ているのでしょう。
−−−
 これから僕たちはスイス・レザンまで約370kmを走ります。

 Esseillonの要塞をArcアルク川の対岸に見て、


【181.jpg:Arcの比較的狭い街道】

 
【188/196.jpg:対岸に大きな砦が見え出し、張り出した地形をぐるっとまわる】


 Modaneモダーヌの駅と工業の町を過ぎ、


【215.jpg:Modaneの鉄道と町の中を通過して】


 Croix-des-Tetes尖がり十字架山?(2492m)の変化を見ながら、高速道路でMaurienneモーリエンヌ渓谷を西へ、北へ・・・・


【228.jpg:高速道路に入り、Croix-Des-Tetesの山が見える】


【246.jpg:Croix-Des-Tetesの山は見る角度でいろいろ変化する】



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Elephants

●ハンニバルと象はこの「Maurienne渓谷〜Bramans」(推定)を進軍したか?

 −− ポリビオス(BC200-BC118)の記述による。「」は推定の地名 −−
 ●前のポイント「〜イゼール川〜グルノーブル〜」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●次のポイント「プティ・モン・スニ峠へ」




 紀元前218年秋、ハンニバルと象がこの「Maurienneモーリエンヌ渓谷〜Bramansブラマン〜Clappierクラピエ峠 または モンスニ峠を越えた」とする推定もあります。
(トラヴェルセッテ峠のルートに次いで有力な峠と言われています。


 【緑実線:クラピエ峠を通過する推定ルート】

 が、ここまでのイゼール川〜アルク川のルートは谷も広く、数万人のカルタゴ軍を待ち伏せし、岩を落とし奇襲できるような狭まった地形の渓谷は見当たりません。
また、この先、イタリアに向かっての峠道も、クラピエ峠でなくプティモンスニ峠を越える可能性が高いため、展望・峠の急な下りでの大量死者にも結びつかないような気がします。

・・・皆さんの想定、推測情報などありましたらお願いしますハンニバル応援

参考資料:
 この記載情報はポリビオス(BC200-118)の記述による。これをもとにルートを推定・解説している本は以下のものである。
 ・Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア 『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』時任生子訳:博品社(G-page)
 ・John Prevasジョン・プレヴァス『ハンニバル アルプス越えの謎を解く』村上温夫:白水社(J-page)
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