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【combe-queyras00.jpg:渓谷をさかのぼる。両側から岩が張り出してくる。】

Combe du Queyras ケーラス渓谷
・・・この渓谷で襲撃を受け、またも大被害を受けた?

ケーラス渓谷は10km以上にもおよぶ、岩に囲まれ抜け道のないルート。ここで大岩による襲撃を受けたら逃げ場がありません。死者・けが人を踏み越え前進しか・・・燦々たる光景と悲鳴が谷を埋め尽くしたのです。  広域map
フランス:(05)オート・アルプ県】 [北村 峠一].(Kitamura)     

 疲れています。旅に出てもう2週間、その間完全な休日が1日だけ。毎日運転し、移動している疲れや、峠道ドライブの連続から来ているのでしょうが、平衡感覚が若干おかしくなっているようです。そして海抜が2,000mほどに身体が慣れてきて、逆に低地で気温の高いところはだるいのです。・・・身体に響きます。そろそろゆっくり休む必要がありそうです。

 モン・ヴィーゾ(モンテ・ヴィーゾ)の山が見えるところで、ゆっくり身体を休めることにします。あと30Kmほどの運転、頑張ります。

 Guillestreギエストルの街から東にGuilギル川に沿うと、2Kmほどで渓谷に入り、トンネルが連続します。そして10Km以上ものあいだ、狭い谷・両側から岩が迫ってくる抜け場のない道が続きます。


【Combe du Queyrasケーラス渓谷MAP:左のギエストルを出て2kmほどから川に沿ってトンネルが続き、途中10kmほどは、左右に分岐する道もない岩山の渓谷。
 Izoardイゾアール峠への分岐を過ぎると、間もなくChateau-Queyrasの岩の上の城。】


 
【06.jpg:1998年はギル川に沿って下った。トンネルが多い】  【25.jpg:左右に分岐できない岩に囲まれた道】


 長い渓谷の先でCol d'Izoardイゾアール峠の分岐点にでます。
この道は前回1998年にブリアンソンの方向から下ってきた道です。ツール・ド・フランスの中でも歴史ある峠。そしてその途中の奇岩(Casse Deserteカッス・デゼルト)も、日中の吸熱・膨張と、夜間の冷却・収縮で岩の風化でできたもので素晴らしかったですね。<●H-Site:Col d'Izoardイゾアール峠、Casse Deserteカッス・デゼルトの紀行へ>

 間もなくChateau-Queyrasシャトー・ケーラスの岩の上の城砦が見えて来ます。
【chateau-queyras160.jpg:近づくにつれ、城の形がはっきり見えてくる】


Elephants

●「ハンニバルと象」がこのケーラス渓谷(推定)を進軍した当時の状況など

 −− ポリビオス(BC200-BC118)の記述による。「」は推定の地名 −−
 ●前のポイント「Guillestre」←  【●ハンニバルの有力推定ルート】   →●次のポイント「Chateau Queyras」



【ハンニバルの行軍推定ルート(緑実線)、本来の希望ルート(緑点線)】


<ここまでの経緯>
 約4.5カ月前スペインを出たカルタゴの軍は、「ローヌ川〜ドローム」川を経由し「ガ」渓谷で奇襲に会い、歩兵2千300人、騎兵400、象8頭を失った。「ガップ付近〜デュランス」川をさかのぼり〜

 この「デュランス」川源流付近の部族の案内人の「東に行かなくてはイタリアには行けない」との説明を受ける。保証のため、何人もの人質を取り、ギル川をさかのぼってこの地に差しかかる。

<この地のハンニバル軍>
 この地点を通過するハンニバル軍の規模は、歩兵3.5万人、騎兵7.6千騎、象26頭。

 紀元前218年10月17日頃、「Mont-Dauphinモン・ドーフィネ」付近を出、この渓谷の前に到着。アルプスの登り道から7日目。イタリア国境の峠越えまで残り8日

 軍がこの両側を岩山に挟まれた険しい渓谷に差し掛かったとき、疑義を感じたハンニバルは、前・後方の敵に対処できるよう隊の編成を変えた。先頭に騎兵と象を配置し、中に多量の荷や軽装備の兵など、最後尾には重装備の兵士を置き、ハンニバル自身も後尾で指揮をとった。

 しかし、前回の「ガ」渓谷の奇襲時にそなえて取ったような、渓谷の両側の山の上への斥候の配備まではしなかった。多分それほど長い渓谷とは予測していなかったと思われる。


より大きな地図で 2002Travel-Root-Point を表示
 狭く、かつ高い崖が続く細い道の渓谷。隊列は細くならざるを得ず、10kmほどの長さにもなった。軍のすべてが、分岐のない(前後のみにしか移動できない)渓谷に入ったとき、突然攻撃が始まった。攻撃は、渓谷の前、後、両側の岩山の上から、ほぼ同時に行われた。

 実は、2日前に友好の挨拶にきた地元の部族の長老らが先回りし、数千人の村落の部族民と計り、ハンニバル軍の膨大な物資・武器・食料・馬などを略奪しようとしたのである。道案内人、人質もその攻撃を受ける中に居たが、部族民はその犠牲を払ってでも得たかったほどの物資だった。

 崖の上から、巨大な岩を大量に落とし、逃げ惑う人・動物に投石する攻撃が行われる。
前回の奇襲と同じように、またしても恐怖で荒れ狂う動物たちは暴れ回り、味方の軍隊を傷つけ、崖を落ちていく。あの強力なハンニバル軍にできることは、逃げまどうことと、石を避けながら岩山をよじ登って敵を槍・刀で殺すことのみ。

 実質的にこの約4万もの軍にできたことは、死者・けが人を踏み越え、渓谷の前の広い谷に進むことのみだった。燦々たる光景と、谷全体に響く悲鳴がこの谷を埋め尽くした。


  →ハンニバル軍はギル川にそってさらに東に逃げ、シャトー・ケラースに向かう。
 ●前のポイント「Guillestre」←  【●ハンニバルの有力推定ルート】  →●次のポイント「Chateau Queyras」

・・・皆さんの想定、推測情報などありましたらお願いしますハンニバル応援

参考資料:
 この記載情報はポリビオス(BC200-118)の記述による。これをもとにルートを推定・解説している本は以下のものである。
 ・Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア 『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』時任生子訳:博品社(G-page)
 ・John Prevasジョン・プレヴァス『HANNIBAL CROSSES THE ALPS ハンニバル アルプス越えの謎を解く』村上温夫訳:白水社(J-page)
 ・Hans Baumannハンス・バウマン『ハンニバルの象つかい』大塚勇三訳:岩波書房:(H-page)
 ・The Green Guide:『French Alps』2001 Michelin:(M-page)


<渓谷を越え、ギル川をさかのぼり、シャトーケーラスの村に・・・・>
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