ヨーロッパ アルプス 峠ドライブ紀行 TOPに戻る 峠indexへ戻る 峠の歴史/[アルプスと歴史]/ [街道]/ [鉄道]/[LINK/FAQ/情報提供]/ [フランス]/

[峠マルチIndex]/[1位]/ [10]/ [20]/ [30]/ [40]/ [50]/ [60]/ [70]/ [80]/ [90位]/ [1000m未満]/ [歴史/登山峠]/[トンネル]/ [解説]/[アルプスと歴史]/ [街道]/ [鉄道]/

イタリア戦争の頃:
・シャルル8世Charles-8のモンジュネブル峠越え
・フランソワ1世Franz-1のラルシュ峠越え
・レオナルド・ダ・ヴィンチLeonardo da Vinciのアルプス越え


●時代・歴史:

シャルル8世
【シャルル8世】

1494.9.3:シャルル8世Charles VIII

 (1470-1498年:当時24歳)は4万の兵を引き連れ、モンジュネブル峠(1850m)を越えた。
  ・・The entry of Charles VIII of France in Florence 1494
    (多分以下も同じ説明だろう・・1494.10:シャルル8世が、25,000の兵とハンニバルと同じようにアルプスを越えた(『フランス史2』p75)


ルイ12世
【ルイ12世】

1499.9:ルイ12世Louis XII

 (1462-1515年:当時37歳)が、アルプスを越えロドヴィコ=スフォルツァを破ってミラノを占領する。
・1509.5:ルイ12世Louis XII(当時47歳)が、アルプスを越え、アニャデロの戦いで勝ちヴェネツィア・北イタリア制圧(『フランス史2』p78など)・・・峠名不明



フランソワ1世
【フランソワ1世】

1515年:フランソワ1世Francois/Franz I

 (1494-1547年:当時21歳)がLarchel/Argentera Pass ラルシュ峠(1994m)を越えた。

  ・・前期イタリア戦争末期に、体躯2mの騎士的王、フランソワ1世は、スイス軍の裏をかいて通行不能といわれていたラルシュ峠を通ってアルプスを越え(1515年7月3千人の工作隊で道路を開き、8月4-9日の5日間で3万の歩兵、騎兵9千、72の大砲、300の銃・小火器を通過させた)、ミラノにせまった。1515.9.13-14のマリニャーノの戦いに勝ちミラノを取り戻した。『世界歴史大系・フランス史2』柴田三千雄他編、山川出版社p78)



レオナルド・ダ・ヴィンチ
【レオナルド・ダ・ヴィンチ】
レオナルド・ダ・ヴィンチは、大気現象を理解するためにアルプスの高峰モンテ・ローザ登頂を行い、そのときの雨の降り方や大気の色の変化などを精密に記録している。(b-family)

レオナルド自身、1511年ごろ(当時59才)アルプスのモンテ・ローザ山(最高峰4634m)に、自然科学的な興. 味から登山を試みたと言われているが---これは今日では、ダ・ヴィンチといえども、まず技術的に不可能だとされていて、それより低い前山への登頂とされている---(神戸大:瓜田)

1516年 秋:レオナルド・ダ・ヴィンチLeonardo da Vinci(1452-1519)

 (1452-1519年:当時64歳)は3つの最も顕著な絵を持って、アルプスを越えた。
「洗礼者ヨハネ」「モナリザ」「聖母子と聖アンナ」
  1516年10月頃ダ・ヴィンチは、フランソワ1世の招きでローマを出発。
  3枚の絵画(モナリザ、聖アン、聖バプテスマのヨハネ)をラバの背に乗せ、アルプス山脈を越え、
  弟子のメルツィFrancesco Melzi、使用人のバティスタBatista de Vilanisと共に、
  フランス・Loireロワールの Chateau d’Amboiseアンボワーズ城(隣接のクルーの館=『クロ・リュセ館CLOS LUCE』)に到着した。3か月の旅だったと伝えられている。
 「1517.5.2レオナルド・ダ・ヴィンチ(65)がアンボアーズ城に到着」との情報もある。

  以降彼は、「自由な夢、考え、仕事」でソローニュ湿地、ロワール川とソーヌ川の間の新しい運河、シャンボールで有名な二重らせん階段などの建築やデザインなどをおこなった。
  1519年5月2日(67歳)亡くなる。

★どの峠を通過したかは調査中。
 『峠の名前ははっきり書いてありませんが、「バルドネッキアを朝早く出た」と記述している本もあります』
  (風見梢太郎さん:右脳と左脳の広場)

 ・もしバルドネッキアを出発とすると、馬車での通過が容易なルートは・・
  バルドネッキアBardonecchia→<当時フレジュス・トンネルFrejusはない。モンスニ峠Mt.Cenisは遠回り、ラルシェ峠Col di Larcheはさらに遠回りなので>
  →エシェル峠Col de l'Echelle(1779m)→<馬車道は南西へ>
  →ブリアンソンBrianson→<南下ルートは遠回りなので北西へ→ロータレ峠から西へ)
  →グルノーブルGrenoble
  →リヨンLyon
  →ロワール方面に向かうルート  が有力と思われます。


●関連する歴史:
アンボワーズ城LoireロワールのChateau d’Amboiseアンボワーズ城
 ・この城は、Charlesシャルル7世、Luisルイ11世、シャルル8世、フランソワ1世ら国王たちが過ごした城。
 ・15世紀末にシャルル8世がイタリア・ルネッサンスを導入して改築、孫のフランソワ1世が居住し、晩年(1516年:64歳)のレオナルド・ダビンチをこの城に呼び寄せた。
 ・シャルル8世は、イタリア遠征から文化を持ち帰りフランスのルネッサンスが始まった。



●関連サイトへのLINK、書籍名

http://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/human/fu/franso1.html
http://www.actv.ne.jp/~yappi/w.history/600kindai/633zettaishugi3.html

・『世界歴史大系・フランス史2』柴田三千雄他編、山川出版社p78


ヨーロッパ アルプス 峠ドライブ紀行 TOPに戻る 峠indexへ戻る

[峠マルチIndex]/[1位]/ [10]/ [20]/ [30]/ [40]/ [50]/ [60]/ [70]/ [80]/ [90位]/ [1000m未満]/ [歴史/登山峠]/[トンネル]/ [解説]/[アルプスと歴史]/ [街道]/ [鉄道]/
[LINK/FAQ/情報提供]/ [フランス]/
[ハンニバルの推定ルート]/ [歴史的根拠]/

ヨーロッパアルプスのハイキング地図
【ヨーロッパ・アルプスのハイキング地図】
  【国別地図】  【日本語ガイド本】
AXcount