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Elephants

将軍ハンニバル・バルカ、象、峠(Hannibal Barca -Elephants-Cols)
 に関する歴史的根拠


紀元前218年に、カルタゴの将軍ハンニバル・バルカが象とアルプスの峠を越えたというのは本当でしょうか?
なにをもって史実というのでしょうか?


● 情報の出どころと、情報の信用確度を見ると

・ハンニバル・バルカ自身は記録を残していない。
・カルタゴ側の記録:
  ソシロス(カルタゴ側のギリシャ人で、ハンニバルにギリシャ語を教えた)がハンニバルの生涯を書き、アルプス越えを記述している。
  シレノス(カルタゴ軍に参加したギリシャ人)が、著作に残した。
・ローマ側の記録:
  ルキウス(Lucius Aemilius Paullus:?-BC216年:ローマ人で、ハンニバルの捕虜になった)は、アルプスの峠越えの死傷数をハンニバル自身から聞き、著作に残した。
・その他、何人もの記述、硬貨、碑文、彫刻などにアルプス越えに関する情報が残っている(G-p27)


● これらのうち、最も正確な歴史書・有力・詳細なデータとしては

AD111年の古代ギリシャ文字
  『AD111年の古代ギリシャ文字』
ポリュピオスPolybios(ギリシャ人 BC200-118):
 ローマがギリシャを征服した時囚われたが、その知識などからスキピオの家に住んだ。
 ハンニバル戦争終結50年後、ローマ通史を書きだした彼は、アフリカ・スペイン・ガリア地方を回った。また60年後にはさらにスペインから、フランスアルプス、イタリア平野部まで実際のルートを踏破し、目撃者に面談・記録した。

・彼以外に、
 ティトゥス・リウィウスTitus Livius Patavinus:(BC59-AD17):「ローマ建国史」の著者
 シリウス・イタリクスTiberius Catius Asconius Silius Italicus(AD26-101AD):「第二次ポエニ戦争についての叙事詩」・・・などの情報もあります。

参考:AD111年の古代ギリシャ文字
 https://ja.wikibooks.org/【古典ギリシア文字】
  :現代のギリシャ文字
 https://ja.wikipedia.org/【ギリシア文字】


Polybios と Livius が残した日別の行程
 ・https://www.livius.org/【hannibal-in-the-alps日別概略】
 ・https://www.livius.org/sources//【hannibal-in-the-alps記述比較】


●最後のイタリア国境の峠を通過した日時=「日の出時に、プレアデス星団(すばる星)が沈む日が近づきつつある日」は、
 BC218年の10/24〜10/26と、天文学者が算出しています。(G:p127)

 ・10月末のアルプスの自動車道路峠は、まだほとんど冬季閉鎖されていません。
  (モン・スニ=峠11-5月頃閉鎖、プティ・サン・ベルナール峠=11-6月頃閉鎖、モンジュネーヴル峠=通年Open、アニュエル峠=9中-6中頃閉鎖)
 ・一方、登山峠は、9月に入ると近隣の山小屋もいくつも閉鎖されます。
  (トラヴェルセッテ峠、クラピエ峠・など)。
  ⇒私の行く6/末-7/上はまだ残雪がかなり残り、雪装備が必要ですから、10/末の登山峠には雪装備が必要と思われます。


●「ハンニバル・バルカが象で越えたヨーロッパ・アルプスの国境峠はどこなのか」
 については、2000年以上にもわたり数百人の人が研究しています
。アルプスを登り出してから峠越えする15日間の記述が、走破ルートを解く鍵になりそうです。

  『ALPS and ELEPHANTS ハンニバルの象』Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア著 時任生子 訳 博品社1996年(G-page)
  『HANNIBAL CROSSES THE ALPS ハンニバル アルプス越えの謎を解く』John Prevas ジョン・プレヴァス著 村上温夫 訳 白水社2000年(J-page)
  『Auf Romarstrasen durch Europa 古代ローマへの道』Hermann Schreiber ヘルマン・シュライバー著 関楠生 訳 河出書房1989
  などからそれらの情報を入手できます。

  峠の旅でこれらの情報を元にしたルートを走り、順次情報を整理していきたいと思っています。

  ⇒★★2016.4.8:アルプス越えのルートは、トラヴェルセッテ峠が確実?!! の記事も参考に

ハンニバルと象の峠 紀行:INDEX
ハンニバルの通過した推定峠
Googleマップでルートをたどる
歴史的根拠
関連サイトへのLINK、書籍名
大量山岳・凍死事件
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