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Gorge des Gatsゴルジュ・デ・ガ:ガ峡谷/山峡:

この地を進軍した状況ハンニバルは?

ハンニバル軍がはじめて襲撃された地。なぜ損害が大きかったのか・・

   【フランス:Rhone-Alpsローヌアルプ地方(Dromeドローム(26)県)】  [北村 峠一].(Kitamura)      


【青線:Dieディー宿をベースに巡ったルート(2019年) 】





【Gorge des Gatsゴルジュ・デ・ガ:ガ峡谷】
【峡谷に入って数km、落石注意がこの先4km続く】

 シャティヨン・アン・ディオアの町を出てD539号線をさらに東へ・・3kmほど・・
褶曲のある大きな岩肌が見え始めました。峡谷がこのあたりから続くのです。

●Les Gorge des Gatsゴルジュ・デ・ガ:ガ峡谷(山峡)


約9000万年前の白亜紀後期の礫岩が、Dromeドローム川の支流であるBezベズ川によって形成された壮大なガ渓谷。


【約9000万年前の褶曲のある岩肌】

急に狭い峡谷/山峡の場所に入ってきました。落石注意の表示が出始めるころ、岩山を削った山道が始まります。


【Bezベズ川で削られた岩に沿って】

難工事だったでしょうこの道路は。グリモーネ峠からの急流が、この両側の岩を削り谷を作ったのです。


【岩の間を縫うように道路が整備されている】

岩を削って広げた道路・・落石防止のトンネル・・地肌が見えるトンネル・・が急流に沿って続きます。


【ガ峡谷は岩山の間を約10kmも・・いくつも落石防止のトンネルがあり・・】


【岩をくりぬいた道路が・・】


【トンネルと岩を削った道路の脇は谷・・】

褶曲した岩肌・・100mほどもありそうな切り立った崖が道路・川に向かってそそり立っています。


【大きくUターンする道路からは、褶曲した岩肌の100mほどの切り立った崖が・・】


【峡谷の東端付近】


【Gorge des Gats/ Route Remarquable美しい道】

●Les Gorges des Gatsゴルジュ・デ・ガ:ガ峡谷


・ガ峡谷は、グリモーネ川(Dromeドローム川の支流であるBezベズ川)によってチューロニアンの礫岩(Turoniens-Senoniens:白亜紀後期:約9000万年前)が切り取られ、大きな襞(ひだ)であるグランダージ向斜(褶曲構造)によってそこが露出した。
 ・calcalres blancs Turoniens-Senoniens:白亜紀のチューロニアン白い石灰岩
 ・Conglomerrats des Gas:ガ峡谷の礫岩(れきがん)


【クリックで拡大】

 ○http://www.geol-alp.com/diois/_lieux_diois/glandage.html【フランス アルプスの地質地図Geol-Alp:グランデージ、ガッツ渓谷:ヴェルコール南部とディオワ東部の国境、 グリモーネ峠の西】
 ○https://ja.wikipedia.org/wiki/【Turonianチューロニアン】

 ・高さ約 100 メートルのめまいがするような石灰岩の崖、厳格で無機質な風景が広がる。峡谷の中間に位置するリオ サワードの狭い渓谷は、キャニオニングや水中ハイキングのメッカ。チャランパレードDefile du Charanとその 4 つのトンネルがある。
 ・このトンネルがいくつも続く道路整備は、1865年〜1910年に整備された。

 注(地名):1993年の地図(IGN/RV-VERLAG)では、「Gorges-des-Gas」。2023年現在の記述(G-Maps/)は「Gorges-des-Gats」と記載。

   

 ・ガ峡谷部分の海抜差は約300m(海抜約900m:東端〜約600m:西端)。 川の距離は9.4km(直線距離は約7.6km)。
 ・河床勾配:300m/9400m≒1/31はかなりの急流で、この暴れ川が峡谷を削ったのでしょう。

 ・参考:日本の最急流は、富山を流れる常願寺川の平均河床勾配で約1/30で世界屈指の急流とのこと。(源流近くの山頂部では約1/19)
 ○世界屈指の急流!滝のような「暴れ川」


●過去のこの場所通過の旅メモ
・2002.6.8:Clelles/Mt.Aguille クレルの村/モンテギーユ山(泊)  ⇒ Col de Menee ムネ峠(1457m)

 ⇒ St.Roman/Chatillon-en-Dioisサン・ロマン/シャティヨン・アン・ディオワ
 ⇒ ●この場所:Gorges des Gas ガ渓谷



 ⇒ Glandage グランダージュ村  ⇒ Col de Grimone グリモーネ峠(1318m)  ⇒ Col de la Croix Haute クルワ・オート峠(1179m)



そしてやっと峡谷が終わり、Glandageグランダージュ村(海抜880m)の開けた盆地が見えてきました。


【Glandageグランダージュ村】


<⇒ Glandageグランダージュ村〜Les Maillefaudsマイユフォー村(ハイキング)〜 >

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【赤色:ドローム川に沿ったハンニバル軍推定ルート】
Elephants

●「ハンニバルと象」が、この地を進軍した状況など(推定-009)


●カルタゴの将軍ハンニバルと象が越えた峠
●有力推定ルートのIndex

 ・前のポイント=001:生誕〜ローヌ川着
 ・前のポイント=002:ローヌ渡河+渡河戦
 ・前のポイント=003:ハンノの分遣隊ルート
 ・前のポイント=004:「島」
 ・前のポイント=005:ドローム川に沿い
 ・前のポイント=006:Dieディの前まで
   <006a:Crestクレス付近(2002年紀行)>
 ・前のポイント=007:Dieディ
   <007a:Dieディ(2002年紀行)>
 ・直前のポイント=008:Chatillon en Diois シャティヨン・アン・ディオア
   <008a:St.Roman/Chatillon-en-Diois サン・ロマン/シャティヨン・アン・ディオワ(2002年紀行)>
  ↑↑
★このページ=009:Gorges-des-Gatsガ峡谷
   <009a:Gorges-des-Gasガ峡谷(2002年紀行)>
  ↓↓
 ・次のポイント=010:Glandageグランダージュ村〜Les Maillefauds レ・マイユフォー〜La Viereラ・ヴィエール集落
   <010a:Glandageグランダージュ村(2002年紀行)>


<この地に到達時のハンニバル軍の推定状況>
・ハンニバルの全軍が、このガ峡谷「アルプスへの登り道」に分け入ったのは、BC218年10月15日頃。
・軍の規模は、歩兵3.8万人、騎兵7.7千騎、象37頭(G-p49)。
・軍の荷物を運ぶ「駄獣」は7-8千頭、使役1-2千人。

●アプロゲス族の攻撃とハンニバル軍の反撃
Heinrich_Leutemann_-_Second_Punic_War_Hannibal_crossing_the_Alps_1866_-_(MeisterDrucke-613116)
【Heinrich_Leutemann_-_Second_Punic_War_Hannibal_crossing_the_Alps_1866】
・危険な谷に入ってきました。

・この地方の獰猛な山岳族アプロゲス Allobrogianは、ここまでの平坦な地ではブランクスの護衛などを恐れて襲撃せず、一定の距離をおいてついてきた。しかし、護衛が帰り、この先の険しい渓谷、カルタゴの大隊にとっては困難な地形にさしかかろうとしているのを見て、アプロゲス族はその渓谷の中腹に攻撃体勢を作った。

もし彼らが計画を秘密に実行できれば、カルタゴ軍は完全に殲滅されていたであろうが、それは発見され、ハンニバルに多大な損害を与えたにもかかわらず、山岳族にさらに多くの損害を与えた。(P-p307=第3巻50-3-4)

・ハンニバルはこの山岳族の動きを知っていたが、「彼らが夜間は隣の町に帰る」との情報を得、峡谷の手前に軍の大部分を野営させ、日を焚いてこの地に全軍が留まるようにみせかけた。(G-p76)(P-p308=第3巻50-5-7)

・彼は夜のうちに軽装備の歩兵一隊とともに、アプロゲス族の町を占拠し、中腹の攻撃地点よりさらに高い場所で警護体制を構えた。(P-p308=第3巻50-9)

・夜が明け山岳族は何が起こったかに気づき、当初の計画を断念した。しかしその後多数の荷役獣や騎兵のの長い列が、長く狭い難路を喘ぎながら登ってくるのを見て、好機とみていくつもの箇所で襲撃をした。(P-p308=第3巻51-3)

 その昔、もしここをハンニバルと象が通ったとしたら・・・食料、動物、金目のものなど、たくさんの獲物がそこにあるのです。そして地元の地形を十分把握している攻撃的部族(山賊)がいたら・・・当然この付近で襲うでしょう。
狭い渓谷の道を、数万の軍隊が行軍していた状況を想定して見ます。

 一番低い渓流の中の道は、大小の岩だらけで移動しにくい。川から少し上の、山の斜面に昔からある峠道(けもの道を広げた程度)を、工兵が象を引き連れて移動するために最低1mほどの幅に広げる。
数万の軍がこの狭い道をほぼ一列縦隊で通過するのですから、3つのかたまりに分かれます。
 ・先頭の軍団は、峡谷の道を工作・拡張し、最初に渓谷を抜けています。
 ・続くのは主に荷役の軍団で、約10kmにおよぶ細い渓谷の斜面を、一列に進みます(山道の10kmは、3時間以上かかるでしょう)
 ・最後は峡谷の前にいる行軍待ちの軍団で、後部からの警戒もし、ほとんどの象もここに居るでしょう。
すべてが通過するのに10数時間必要だったでしょう。(朝早くから暗くなるまでにすべてが通過できず、多分翌日もかかったでしょう。襲撃はさらに足を遅くしました。)

 アプロゲス族の作戦は、その狭い渓谷を通過する軍団の、荷役の馬(ポニー)、荷馬車、などを渓谷に落とし、そこに搭載された食料、貴金属、などを略奪することでしょう。彼らにとっては、谷の上からなるべく大きな岩を落とせばいいのです。岩は無限にあり、驚いた馬や象などがこれに驚いて足を踏み外せば、略奪できる量は増えます。

 ハンニバル側も事前に何の対策も打たなかったわけではありません。当然斥候をだし、アプロゲス族の動きを監視し、さらに警護の部隊を、渓谷の随所に事前配置しました。これだけの軍に賊は手を出しえないはずでした。

 しかし、地の利を持つ山岳族・アプロゲスは、その警護軍の間を抜け、山の上から岩石を落とし始めたとき、大パニックが起きたのです。この10km近くにもおよぶ身動きの取れない渓谷。1万人以上の荷役・荷を運ぶ駄獣・兵士がその渓谷に閉じ込められていたのです。
ハンニバル軍のさらに高い位置からの応戦や、戦いでほとんどのアプロゲス族を撃退するまで、わずかの時間だったのです・・・が。



ケルト族とローマ時代の兵士の戦い  ケルト族とローマ時代の兵士の戦い
『図説ケルト』サイモン・ジェームズ著
・カルタゴ軍はアプロゲス族を攻撃し完全に撃退したが、狭い急な崖道で、驚いた多くの荷役の動物や馬などが大混乱し谷底へ落ちた。更に負傷した馬たちは痛みに怯えて逆走し追突・押しのけなどで断崖から滑る落ちるなど大混乱になった。(P-p308=第3巻51-6)

しかし、この渓谷に留まるわけにはいきません。多数の死者・けが人を渓谷に残したまま、東に逃げます。 (戻るのではなく、前進しかないのです)

・ハンニバルは急いで行軍の先頭を急がせ、高台からアロブロヘス族を打ち取り、残りの者たちも自分たちの土地に逃げ帰ったので、難を逃れた荷役獣と馬の列はやっとのことで険しい峡谷を通り抜けた。(P-p308=第3巻51-9)


 なんと、ハンニバル側は、2千人の歩兵、400の騎兵、象2頭、駄獣3千頭、使役500人(想定)もの被害を出したのです。死因は、ほとんどがパニックで渓谷に滑り落ち、岩に打ち付けられ、その上にさらに傷ついた動物が落ちてくる。その渓谷にこだます動物たちの悲鳴に、不安になった動物たちが暴れ、さらに被害を大きくしました。
骨折、切り傷などによる怪我も治療ができず、悪化で死亡したり、移動できない兵士がたくさんいたと思われます。

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■参考資料:
本:Polybiusポリュビオス著 『ポリュビオス 歴史〈1〉』城江良和訳:京都大学学術出版会(P-page)
本:Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア著 『ハンニバルの象 ALPS and ELEPHANTS』時任生子訳:博品社(G-page)
本:John Prevasジョン・プレヴァス著『ハンニバル アルプス越えの謎を解く HANNIBAL CROSSES THE ALPS』村上温夫訳:白水社(J-page)
本:Hans Baumannハンス・バウマン著『ハンニバルの象つかい』大塚勇三訳:岩波書房:(H-page)
https://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Polybius/3*.html【Polybius/歴史第3巻】
https://omnesviae.org/#【OmnesViae:Roman Routeplanner:Google-Mapsにポイティンガー図を展開】
本:新潮文庫:『ローマ人の物語「すべての道はローマに通ず」上:No.27 p.177〜』塩野七生:(SN-page)
本:The Green Guide:『French Alps』2020 Michelin:(M-page)



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