【ハンノの分遣隊が上流約40kmの中州を渡り、渡河時に対岸のケルト人部族ウォルカエ族を襲った。】

<「ローヌ川を渡る」+「ローヌ渡河戦」>


<この地に到達時のハンニバル軍の状況>
・BC218年9月23日頃ローヌ川の渡河地点に到着。(イタリア国境の主峠着の、プレアデス星雲の入が近い=10/末から逆算(G-p127)
・軍の規模は、歩兵3.8万人、騎兵8千騎、象37頭(G-p49)<or39頭(H-p150)説もある>。
・さらにその軍の荷物(食料・テント・衣類など)を運ぶための「駄獣だじゅう=馬/ロバ/牛など」も必須で、それを引き連れる民間人も必要。ピレネー越え時の解説に「駄獣約1万頭」とある。(
net)

Polybiusポリュビオスなどの歴史記録>

・ピレネー山脈を越え約4カ月で5,800スタディア(1,220km)進軍し、ローヌ川に到達。(P-p296)(G-p48)
・ローヌ川を渡ったのは「流れが一本のところ、その地点が川幅が広く、水深が浅く、流れもあまり速くなかった」「海から歩いて4日の距離」。(P-p296)
・ローヌ川西岸で3日間準備した(*1)。(P-p296)
*1:その間、軍の規模に必要な多数の船、イカダ材料を調達した。(P-p296)
*1:その間、行政長官ボミルカルの息子のハンノを分遣隊とし、上流約40kmの中洲を渡り、軍の渡河時に敵のケルト人部族ウォルカエ族を襲う準備をした。(P-p297)

<ローヌ川の渡河地点はどこ?>

●ローヌ渡河地点:Beaucaireボーケール〜Tarasconタラスコン間説
 ・ローヌ川を渡った地点は川が1本、幅800m、浅い緩い。
  ⇒ケンブリッジの匿名著者(1830年)+H・L・ロング(1831年)+R・エリス(1835年)+T・モンタナーリ(1890年)+C・トール(1925年)説。(G-p135-138)
以下の理由から、ボーケール〜タラスコン間が最有力と考えます。

★距離が一致:Aigues-Mortesエーグ・モルト付近で海から離れたであろうから約56km(4日x80スタディア=約14km/日)
   ⇒フルケ〜ボーケール付近(直線で約45km)。(G-p48-52-60)

★流れが一本、川幅が広い、水深が浅い:
 ⇒当時、中州はなく、幅約500mの流れで、浅瀬だった。(17Cの銅版画などから)

★大量の船が調達可能:6.4万の兵(歩兵3.8万人、騎兵8千+馬8千頭、象37頭、駄獣約1万頭)を、2日間で対岸に渡すには、大量の船が調達できる地点でなければならない。仮に船が1時間で川を往復できたとして、2日間x12時間(9月末で暗くなるのが早い)で、大小の船平均10人乗りなら260艘以上の確保が必要でありろう。
  ⇒ここボーケール〜タラスコンは、紀元前7世紀頃からイタリア=スペイン間をつなぐドミティア街道の中継町。かつ重要な河川港であったから、船などの調達も他の地点より容易だったはず。

★タラスコンの恐ろしい怪獣伝説が、数万の兵と象の軍団と想定できること:
 恐ろしい噂が突然流れて来て、村人全員が離れた山に何も持たずに逃げます。数日後帰ってくると、家・家畜・畑など全てのものが略奪され荒らされていたのです。

 ⇒その噂とは・・幾度か、「象を引き連れた、数万の大集団軍が、行先周辺の村落を略奪・殺略しながら移動していく様」と一致します。さらに同様な伝説は、タラスコン以外にも周辺(プロヴァンス)でも言い伝えられています。

  ・突然現れ去っていく怪物とは・・軍の隊列が長さ8-9km、幅800m以上にもなっており、途上の村落では、役立つ物、収穫物はすべて収奪し、強盗、殺略など、まるでだったはず。
  ・炎に包まれた糞を撒き散らす。=数万の人と動物が荒らした跡には大量の糞・ゴミ・死体などが残った。(J-p102)・・6.5万の人畜なら糞約20トン/日+尿60トン/日以上
  ・毒の息を吐き・・=見たことのない動物、ゾウの叫び声(パオーンと咆哮:迫力ある大きな声+)約2万の馬・駄獣の鳴き声
  ・タラスクのかつての棲み処は遠くオリエントのシリア・・=ハンニバル軍のなかで一番勇敢だったのは、シリア人を意味するスルスSurusというアジア象
  ・船や旅人を襲い、人間を喰らった・・=収奪、強盗、殺略、惨殺など

★幾度も出現した怪獣が、聖マルタ以降、出なくなった事:
  ・BC218年:ポエニ戦争(第2次):ハンニバル=バルカとその軍の渡河
  ・BC207年:(同):ハンニバルの弟ハスドルバル=バルカとその軍の渡河
  ・ -BC193年:ローマ・ガリア戦争:ローマ兵の一部は、行き・帰りに村落を荒らしたはず。
  ・BC181-133年:ヒスパニア征服:(ケルティベリア戦争)
  ・BC :この間もピレネー方面への遠征があった。
  ・BC58-51年:ローマの将軍カエサルがガリアに行った遠征・・ガリア平定以降はローマ軍の遠征はない。
  ・AD48年:聖マルタがサント・マリー・ド・ラ・メールから布教にタラスコンに来て退治した=以降、この怪物は現れなくなった。

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  参考:⇒⇒渡河の場所については、過去多数の推定ポイントがありますが・・
  ・Furquesフルケ〜Arlesアルル(ギャヴィン・デ・ビーア説p49など)
  ・Beaucaireボーケール〜Tarasconタラスコン(トラベルセッテ峠説/小サンベルナール峠説など)
  ・Roquemaureロケモール(ナポレオン説など)
  ・Laudun-L'ardoiseラルドワーズ(クラピエ峠説)   ・Pont-St-Espritポン・サン・エスプリ(クラピエ峠説)
  ・Bourg-Sant-Andeolブール・サン・タンディオル
  ・LoriolRoquemaureリヨール(大サンベルナール説)
    以降の紀行でも、ローヌ川を遡りながら観察します・・


<ローヌ渡河の状況+渡河戦:Battle of Rhone crossing>

・危険でリスクが高い作戦の準備のためにハンニバルは3日間を費やし、残存リスクを最小限にしてから行動を起こした。ハンニバルの軍は渡河用の大量の舟・イカダ材などを調達・確保した。

ガリア人の一部族ヴォルカエ族Volcae(親ローマのガリアの部族連合)は、マッシリア(現在のマルセイユ)にあったローマ軍の一部として行動しており、カルタゴ軍の渡河とイタリアへの進入を阻止するためローヌ川東岸に野営していた。

・カルタゴ軍のハンノが率いる分遣隊は、ガリア人の案内を連れてローヌ川を北上し、ヴォルカエ族の背後を襲撃する作戦。ハンノは約25マイル(約40km)上流の付近で中州で渡河し対岸を南進。

・この間にハンニバルはローヌ川渡河の準備を完了した。この渡河準備は敵の注意を引き付けるため騒々しく行われた。(P-p296)
・ハンノの分遣隊がその到着をハンニバルにのろしで知らせた。
・これを受けてハンニバルは直ちに、既存の船、丸木船で兵をローヌ川渡河を命じた。(P-p298)。(G-p49)。
・ハンノの分遣隊は、渡河開始と同時にヴォルカエ軍の背後に攻撃を開始した。一部のヴォルカエ軍は野営地に引き返したが、多くは前後の敵と戦うことになり、やがてヴォルカエ軍は粉砕された。ほとんどのカルタゴ軍がその日のうちに渡河を終えた。(P-p298)

・イタリア側からアルプスを越えてきたガリアの首長らとともに、部下を奮起させた。(P-p300)

【ヌミディアとローマの騎兵(byNet)】

・本隊が川を渡った後、ハンニバル軍のヌミディア人騎兵500人を斥候に出すが、ローマ軍のスキピオの騎兵隊と遭遇し、ローマ軍140人、ヌミディア人に200人以上の死者を出した。(ローマが討伐のためスキピオを派遣し、マッシリアから送り出した隊)。(P-p300)(J-p107)。

・ヌミディア人騎兵からのローマ軍との戦の状況を知ると、全騎兵を警戒にあたらせ、ハンニバルは本隊を戦闘を選ばず北の方向アルプスに向かわせ、象・駄獣・荷物の渡河を命令。

・象はいかだをつなぎ合わせ、乗せ、ローヌ川を対岸に渡る(P-p302)。(G-p49)。

渡河:18世紀の銅版画 Hannibal crosses the Rhone, 1878
【ローヌの渡河:18世紀の銅版画】 【Hannibal crosses the Rhone,Henri-Paul Motte, 1878】

2日間で渡河は完了し、直ちにローヌ川に沿って北上した。(P-p302)。

・この戦闘はハンニバルがイベリア半島を出てから最初の大規模戦闘であった。ローマ軍との直接対決ではなかったものの、カルタゴ軍の勝利はこの戦争に大きな影響を及ぼした。


<関連URL>
Polybiusポリュビオス【ハンニバル戦争終結60年後、スペインから、フランスアルプス、イタリア平野部まで実際のルートを踏破・目撃者に面談・記録した】
https://ja.wikipedia.org/【ローヌ渡河戦】
https://en.wikipedia.org/wiki/【Battle_of_Rhone_Crossing】
http://ancient-battles.com/【Numidianヌミディア騎兵】
https://ja.wikipedia.org/wiki/【ヌミディア/ Numidia】
ガリア戦争
「ガリア戦記」カエサル(シーザー)
ケルト人虐殺【古代ガリアに住んでいた人々のうち、100万人が虐殺され、さらに100万人が奴隷に】
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■参考資料:
本:Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア著 『ハンニバルの象 ALPS and ELEPHANTS』時任生子訳:博品社(G-page)
本:John Prevasジョン・プレヴァス著『ハンニバル アルプス越えの謎を解く HANNIBAL CROSSES THE ALPS』村上温夫訳:白水社(J-page)
本:Hans Baumannハンス・バウマン著『ハンニバルの象つかい』大塚勇三訳:岩波書房:(H-page)
本:Polybiusポリュビオス著 『ポリュビオス 歴史〈1〉』城江良和訳:京都大学学術出版会(P-page)