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Col de la Croix Haute クルワ・オート峠(1179m:90位) ●峠DBへ


●2002/6/8土
【グリモーネ峠を南に下り、国道N75を北に向かうと、Col de la Croix Hauteクルワ・オート峠(1179m)は数kmです。】

【ここは北にIsereイゼール川の支流(Ebron→Drac)、南にDuranceデュランス川支流(Lune→Buech)の分水嶺です。先に横切った単線の鉄道線路は、右下の川沿いにあるようです。左にあるレストランは昔、避難小屋だった場所に建てられたのでしょう。
(1854年:ナポレオンの遺言でこの峠にも避難小屋が作られたが、現在当時の建物ではなさそう)】 07.jpg

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【峠を北にクルレ村方面に進みます。Lalley付近で、前方右側に展望が開けてきます。北にIsereイゼール川の支流Ebron川、Drac川が作った広大な丘陵地です。】 21.jpg

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 ↓
 Clellesクルレの村に近づいたとき、その前方に・・・あの2086mのモンテギーユ山が・・・ついに姿を現したのです。どうしてこんな不思議な形の山ができたのでしょう。 ギリシャの諸神がその山頂にいたという、神話の山オリンポス。1492年に初めて登頂され、第二次世界大戦末期には、アメリカの連合軍はこの山を目印に北上し、フランスを開放していったといいます。

●romeosierraさんからの、モンテギーユ山と第二次大戦の情報

 この岩山は素晴らしいランドマークで遠くからでも判ります。
1943年8月、南仏に上陸した米第6軍団、45師団などの進撃路の一つだと思います。
第7軍は、やがてボージュのロレーヌ側で所属の日系人部隊第442連隊の 壮絶な戦闘後、アルザスを奪回、さらにラインを越えて今のアルペン街道を含む ババリヤを進撃、ベルヒテスガーデンに到達します。



【339.jpg:右のクルワ・オート峠峠の方向から下ってきた。】


【351.jpg:この台形の山を正面に見て・・・ガソリン・スタンドのおばさんが誇らしげに山を指差す。】


【372.jpg:モンテギーユ山の台形をアップしてみます。孤立した岩山の周囲の垂直の壁面は、どのくらいの高さがあるのでしょうか】


 そろそろガソリンが減ってきたなと思っていたときだったので、すぐ道の先のガソリンスタンドに立ち寄ります。480km・36リットル・39eur(≒4.5k\)。お金を払うとき、おばさんが山を指差して言います。「あの山を見よ!フランスで、世界で一番の眺めだよ!・・・たくさん写真を撮りなさい!」・・・地元の人にもこんなにも自慢の山なのです。


【388.jpg:クルレの村の交差点。左に行くと駅やホテルへ、右がClullesクルレやMansマン村に】


 3時過ぎに宿に戻り、昼寝をします。目の疲れ、時差の疲れで気がついたらディナーの時間。Yさんたちとの楽しい会話と、宿のおいしい夕食は時間を忘れさせます。


【266.jpg:初日の夕食:モンテギーユ山の台形が窓から見え、サーモン、トラウト、サラダ、デザートなど・・・Yさんとの会話は遅くまで】


【460.jpg:2泊目の夕食:今日は子羊を頼んで・・・今晩はYさんのフィアンセも一緒で、遅くまで盛り上がります】

−−−−

 翌朝、天気はまだ曇り。気温も上がらず・・・ヴェルコールを回るのは今回の旅ではあきらめ、もう少し南のあったかいところに行けば、天候も回復するのでは?
Yさんたちと別れ、クルレの村からMensメン村を経由し、南に下って行くことにします。


<Corpsのダム湖から南に、Festre峠を通り、Gapガップ方面に・・・・>

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