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![]() 【ヨーロッパ・アルプスのハイキング地図】 【国別地図】 【日本語ガイド本】 |
![]() ●「ハンニバルと象」がこの地(推定)を進軍した当時の状況など。●前のポイント「Die」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●次のポイント「Gorges-Gas」![]() 【広域推定ルートの地図(緑ルート)】 <ここまでの経緯> ・約4カ月前スペインを出たカルタゴの軍は、ローヌ川〜ドローム川を経由し、Dieディの町を出てさらに上流へ。 <この地のハンニバル> ・この地点の行軍の規模は、Dieディとほぼ同じ=歩兵3.7万人、騎兵8千騎、象34頭(H-p177)。 ・ハンニバルの全軍が、このシャティヨン・アン・ディオワ付近で野営したのは紀元前218年10月10日頃。イタリア国境の峠越えまで残15日。(この先が「アルプスの登り口」(G-p75)) ・アルル付近でローヌ川を渡ったあと、「アルプスへの登り道」(この先の渓谷以降の峠)まで248km(=1,400スタディア)、10日所要して到着しました(G-p60、75)。 ・ローヌ川の「島」から一緒だったブランクス部族の山岳ガイドと護衛は、この付近で帰ります(G-p76)。
・この地方の獰猛な山岳族アプロゲスは、ここまでの平坦な地ではブランクスの護衛などを恐れて襲撃せず、一定の距離をおいてついてきた。 しかし、護衛が帰り、この先の険しい渓谷、カルタゴの大隊にとっては困難な地形にさしかかろうとしているのを見て、アプロゲス族はその渓谷の中腹に攻撃体勢を作った。(「彼らが夜間は村に帰る」との情報をハンニバルは得る) ・ハンニバルはその情報で、渓谷の手前に軍の大部分を野営させ、日を焚いてこの地に全軍が留まるようにみせた。 彼は夜のうちに軽装備の歩兵一隊とともに、アプロゲス族の攻撃体勢地の、さらに高い場所に陣を構える。[峠越え1日目](G-p76)。 ![]() 【シャティヨン・アン・ディオワ周辺の推定ルート地図(緑ルート)】 ・当時、ハンニバルの軍人はどんな食べ物を食べていたのでしょう?
・麦かゆ(粗挽きの麦粉を牛乳、野菜などと一緒にトロ火で煮込んだ流動食)、豆類、チーズ、バター、ワイン ●時々は食べていたであろう食物・調味料など ・パン、パスタ、肉類(豚/牛/羊/山羊/馬/鶏/ガチョウ/孔雀/鹿/兎/鳥・・・馬などの戦いなどで死んだ動物、猟師が同伴したであろう)、卵、 ソーセージ、川の魚、カブ、キャベツ、キュウリ、キノコ類、ナッツ類、スイカ、梨、バナナ、リンゴ、オリーブオイル、砂糖、塩、ビール ●保存食としていたもの ・堅焼きパン、ビスケット、燻製肉、干し肉、ドライソーセージ、魚燻製、塩漬け、ナッツ類、ドライフルーツ、チーズなど −−− 以下の食材は当時なかったと思われる。(新大陸発見によって伝えられたものなど) ・ニンジン、トウモロコシ、トマト、かぼちゃ、紅茶、茶、コーヒー、蒸留酒、イモ類(ジャガイモ、サツマイモ)、タバコ −−− ・食事の回数は1〜2回(夕食と昼食・・・昼は携帯の食物) ・手を使って食事をする習慣だった・・貝殻などでのスプーンやフォークも一部使っていた。 ハンニバルの軍も4カ月の進軍で初めて、この三方が高い山に囲まれた谷を進んでいったのでしょう。 そして事件が起こります。 ●前のポイント「Die」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●次のポイント「Gorges-Gas」 ・・・皆さんからのご指摘、想定、推測情報などありましたらお願いします ![]() <参考資料情報> ・中世ヨーロッパとファンタジー世界の「食」 ・古代ギリシア・ローマの料理とレシピ ・Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア 『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』時任生子訳:博品社(G-page) ・John Prevasジョン・プレヴァス『HANNIBAL CROSSES THE ALPS ハンニバル アルプス越えの謎を解く』村上温夫訳:白水社(J-page) ・Hans Baumannハンス・バウマン『ハンニバルの象つかい』大塚勇三訳:岩波書房:(H-page) ・The Green Guide:『French Alps』2001 Michelin:(M-page) |
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