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Dieディ:「ガリアの戦争の女神」由来の街

この地を進軍した状況ハンニバルは?

かつてVoconceボコンティ部族の首都・・今はスパークリングワインと移牧祭の街・・

   【フランス:Rhone-Alpsローヌアルプ地方(Dromeドローム(26)県)】  [北村 峠一].(Kitamura)      


●Dieの市街地に入ってきました・・


Die
【Dieの姉妹都市表示が・・東にはプレ・アルプスの山並みが】

 Dieの姉妹都市(EU:Ville Junielee Avec)
  ・Varallo ヴァラッロ セシア(イタリア:ピエモンテ州)・・2012.6.11訪問の世界遺産:ヴァラッロのサクロ・モンテの町
  ・Frankenauフランケナウ (ドイツ:中部)
  ・Wirksworthワークワース(イギリス:中部)
  ・Kiskunfelegyhazaキスクンフェレギハーザ(ハンガリー:中南部)

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●Dieディ・・?? え!!・・なぜそんな不吉な名前を町名に!!??


「Die」は英語で「死」「滅びる」・・そんな名前の町??
 (ドイツ語は「〜の」。フランス語、イタリア語には「die」の訳は見当たらない。)

 どうやら「ガリアの戦争の女神」からこの町の名が来ているらしい。・・ガリアの時代に、大きな戦いがこの町周辺で起きた?・・それは・・ハンニバルにも関連するのでは??

●Dieディの町の名: 語源など

女神アンダルタ 女神アンダルタ ・「ドロームの都市の名前Die」「occitan vivaro-alpinビバロアルパインオック語の Diaディア」はラテン語のdea「女神」に由来。これはガリアの女神Andartaアンダルタ

・「アンダルタ」はケルト神話のガリアの戦争の女神。(ローマ時代の情報源)。

・「女神アンダルタ」は、ガリアの南東に住むVoconceボコンティの部族によって崇拝された。このガリアの神で興味深いのは、彼の祈りの 1 つがカトゥボドゥアの姿に見られることです。このケルト語の意味は「戦いのカラス」であり、バドゥブの神聖な伝説とモリガンが身に着けている三位一体を直接指している。

voconces ・「Dea Andarta」: 女神アンダルタ(dea=女神の意味)の名前の当時の Voconces の首都であった Die の都市がローマ人によって征服されたとき、それはDea Augusta Vocontiorom (〜 2 世紀の終わりまで)の名前となった。

・その後、 Dea、次にDiaの名前だけが残り、フランス語のDieに転置されるまで、女神を指定するために日常語で使用されました。

https://fr.wikipedia.org/wiki/Andarta
https://fr.wikipedia.org/【フランス語:wiki/Die_(Drome)】
https://oc.wikipedia.org/【オック語:wiki/Di%C3%A1】
https://de.wikipedia.org/【ドイツ語:wiki/Die】
https://fr.wikipedia.org/【wiki/Histoire_de_la_Drome:ドロームの歴史:ハンニバルの通過★各説の列記有】
https://terraesanctuary.weebly.com/
https://legendsoflove.wordpress.com/【ケルト神話:Artio- 野生の熊と豊穣の女神】
https://encyclopedie.arbre-celtique.com/【ケルトの木百科事典:voconces-deenses:3地域はボコンセ連合だった】
https://journals.openedition.org/gallia/【ヴォコンセスの碑文:DieとVaisonの2つの首都】


【東に見える山並は、2000mを越えるMontagne de Glandasse・・プレ・アルプス】


【北方向は、2002年に登ったCol de Rousset:ルーセ峠(1254m)」方面】


【町のスーパーマーケット:Inter-Marche】

Die
【Dieの駅・・Paris〜Valence〜*〜Gap〜Briansonの列車がある】


【Jaillanceジャイアンス社】

●Dieのワイン:
・Jaillanceジャイアンス社:スパークリングワイン。2000年以上前から、天然甘口微発泡のクレレット・ド・ディーが作られる・・

Jaillance.fr
aVin
https://firadis.net/tellme_wine/【Hermitage(エルミタージュ)& Crozes Hermitage(クローズ・エルミタージュ)】

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●旧市街・・かつては城壁に囲まれていた町


ドローム川に沿って東に向かうと・・石積みの城壁の跡があり、その中が旧市街なのです。


【旧城壁の内側が旧市街】


【Dieディの旧市街Map:クリックで拡大】



 その狭い旧市街の中、道路がこどもたちの遊び場






Cathedrale Notre-Dame de Dieノートルダム大聖堂:4世紀から司教区の大聖堂】

Die
【Dieの市街】

Die
【Dieのスポーツセンター】

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●Fete-Transhumance移牧祭:トランスヒューマンス フェスティバル

 町の中にいくつもの「羊の群れと行進する地図」が掲示されていました。
さらにお土産屋のショーウインドーには、色々の羊の人形が・・
 この町周辺はで毎年6月、羊の移牧祭「ディオワ・ヴェルコールのトランスヒューマンス・フェスティバルのイベント」が行われるとのことでした。
 日付は2019.6.21-23と、ちょうど僕たちがこの町を出発する日の昼頃からのイベント・・残念ですが


【Fete-Transhumanceトランスヒューマンス フェスティバル:2019.6.21(金)〜23(日)】





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●宿
Die
【Dieの宿】

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●レストラン


【Pl du Mazelのレストラン】






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●この宿をベースに・・
・Gorges-des-Gasガ渓谷(850m):2002.6.8につぎ、2回目の訪問
・Glandageグランダージュ村(880m):2002.6.8につぎ、2回目の訪問
・Les Maillefaudsマイユフォー村(1050m):▲ハイキング


【青線:Dieディー宿をベースに巡ったルート 】

●過去のこの町通過の旅メモ
・2002.6.12:Sisteronシストロン(泊) ⇒ Serresセール村 ⇒ Col de Cabreカブル峠(1180m)
 ⇒ ●この町(通過)


 ⇒ Rousset峠▲1254mなどVercorsヴェルコール山地 ⇒ Combe-Lavalラヴァル背斜谷 〜 Grignanグリニャン(泊) 〜



<⇒Gorges-des-Gasガ渓谷(850m)〜Glandageグランダージュ村(Les Maillefaudsマイユフォー村:ハイキング)〜 >

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【赤色:ドローム川に沿ったハンニバル軍推定ルート】
Elephants

●「ハンニバルと象」が、この地を進軍した状況など(推定-007)




●カルタゴの将軍ハンニバルと象が越えた峠
●有力推定ルートのIndex

 ・前のポイント=001:ハンニバルの生誕〜ローヌ川着(サン・ジル付近)
 ・前のポイント=002:「ローヌ渡河+渡河戦」(タラスコン付近)
 ・前のポイント=003:「ハンノの分遣隊ルート」(アヴィニョン付近)
 ・前のポイント=004:「島」 (エーグ川)(オランジュ付近)
 ・前のポイント=005:ドローム川に沿いアルプス方面に(ロリヨール付近)
 ・直前のポイント=006:ドローム川沿い〜アルプス方面に(Dieディの前まで)
  <006a:ドローム川〜アルプス方面に(Crestクレス付近)(2002.6.12紀行)>
  ↑↑
★このページ=007:Dieディの町
  <007a:Dieディ(Dromeドローム渓谷)(2002.6.12紀行)>
  ↓↓
 ・次のポイント=008:Chatillon en Diois シャティヨン・アン・ディオア
  <008a:シャティヨン・アン・ディオワ(2002.6.8紀行)>


<この地に到達時のハンニバル軍の推定状況>
・BC218年10月12日〜14日頃「ローヌ川を離れ、ドローム川に沿って進軍。アルプスの麓まで残り1日。
・「島」からブランクスの案内人が進路を案内してきたが、この町付近で戻る。
・軍の規模は、歩兵3.8万人、騎兵7.7千騎、象37頭(G-p49)。
・軍の荷物を運ぶ「駄獣」は、7-8千頭+民間人1-2千人。

<行軍の町や村への影響>
・ハンニバルの数万人の軍が移動したルートの村は、大量の食料提供で冬を越す食料すらなくなったと思われます。
・ここディは、大きな町だったし、秋の畑の農作物や、山の果実の収穫期でしたが、町の1〜2カ月分に相当する食料を提供したことでしょう。
 (必要食料/日=25ton=約5万人*500g/1日1人当り食料・・・4000人規模の町の約1月分以上)
・10月半ば、黄葉にはまだ早い時期ですが朝夕は冷えます。屋外での野営はマントに包まって寝ても寒かったと思われ、周辺の枯れ木を燃やして暖を取ったのでしょう。炊事に使う火も考えると・・・1kg/日人なら50ton=4tonトラック13台分!!・・・ちょっとした林がなくなる量でしょう。


【ガリアの種族とその場所】
●ローヌ川を離れ、ドローム川に沿い〜この地まで
 ・「島」でブランクスから軍の再装備を受けた。さらにアロプロゲス連合や敵からの襲撃を避け、安全にアルプスの麓まで行軍できるよう案内人を同行させたが、この町付近でその役目を終え戻る。「島」(G-p33-54)(P-p306=第3巻49-13)
 ・「島」を出発し10日間、川沿いを約800スタディオン(約142km)進んだ。(P-p307=第3巻50-1)

●アロプロゲス連合の領土

アロプロゲス族のエリア(緑色+黄色=不確実)
 ・右図のようにドローム川(Drome/Drona)に沿い、ディ(Die/Dea/Dea Augusta)に向かうことでガリアのアロプロゲス族Allobrogesの領地を通過せず進軍。

 ・プレアルプス(アルプス山脈につながる中程度の高さの山地)に向かったであろう。

 ・ハンニバルが行軍したであろうルートは、後の「古代ローマの時代の街道<Valence/Valentiaヴァランス〜Vapincurn/Gapガップ〜Brianson/Brigantiumブリアンソン〜Torinoトリノ>」の道に沿っている。(SN-P.177-)



⇒ハンニバル軍の道案内したブランクスの使者も、この「アロプロゲス領に入らない」ルートで、当時でもかなり人の行き来の多かったと想定される「このトリノに向かう街道」を案内したのではなかろうか。
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●ガリアの種族とその場所
 ・当時の推定地図
Allobrogesアロプロゲス族【 イゼール川の北。現代のリヨンとジュネーブの間のガリア人】
Segalauni/Segovellaunesセガラウニ/セゴヴェローヌ族【ヴァランス周辺(アッロプロゲスの南、カヴァレスの北)のローヌ渓谷に位置するガリア人】
Tricastiniトリカスティーニ族【ローマ時代に、現在のサンポールトロワシャトーの近くにある現代のトリカスティン地域に住む小さなガリア族】
Cavariカヴァリ族【ローマ時代の現在の都市アヴィニョン、オレンジ、カヴァイヨン周辺(ボークリューズの西部)に住むガリア人】
Voconces/ラテン語 Vocontiiヴォコンティ族【プレアルプに定住したガリア人の連合体】
Tricorii/Tricoresトリコリイ族【南アルプスに住むナルボンヌゴール出身のケルト人-リグリア人。「3つの軍隊」の意味】

■参考資料:
本:Polybiusポリュビオス著 『ポリュビオス 歴史〈1〉』城江良和訳:京都大学学術出版会(P-page)
本:Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア著 『ハンニバルの象 ALPS and ELEPHANTS』時任生子訳:博品社(G-page)
本:John Prevasジョン・プレヴァス著『ハンニバル アルプス越えの謎を解く HANNIBAL CROSSES THE ALPS』村上温夫訳:白水社(J-page)
本:Hans Baumannハンス・バウマン著『ハンニバルの象つかい』大塚勇三訳:岩波書房:(H-page)
https://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Polybius/3*.html【Polybius/歴史第3巻】
https://omnesviae.org/#【OmnesViae:Roman Routeplanner:Google-Mapsにポイティンガー図を展開】
本:新潮文庫:『ローマ人の物語「すべての道はローマに通ず」上:No.27 p.177〜』塩野七生:(SN-page)
本:The Green Guide:『French Alps』2020 Michelin:(M-page)



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