ヨーロッパ アルプス 峠ドライブ紀行 TOPに戻る この旅のtopへ戻る 前ページに戻る 次のページへ  Time/Data count ヨーロッパアルプスのハイキング地図
【ヨーロッパ・アルプスのハイキング地図】
  【国別地図】  【日本語ガイド本】

Gorges des Gas ガ渓谷

フランス:(26)ドローム県】 [北村 峠一].(Kitamura)     

 シャティヨン・アン・ディオワの村を越えると、山の中に分け入ります。ヴェルコール山塊の南に延長した岩山が、グリモーネ峠方面からの流れで削られた渓谷です。岩肌が自然の力で垂直にそそり立ち、現在はさらに自動車道路を拡幅するため削り、これ以上幅を広げられない個所はトンネルが掘られています。

【gorges-gas61.jpg:ドローム川支流に沿って上流に】 【67.jpg:狭い渓谷は照明のないトンネルの連続】



 ゴルジュ・デ・ガ渓谷に入って数km、ほとんど車とすれちがわない薄暗い渓谷は、ちょっと不気味なものです。分岐点が来て左にCol-de-Grimoneグリモーネ峠の標識が出て安心です。右に行くと谷の突き当たりですが「Bonneval(美しい谷) 8Km」とありますから、きっと秘境なのでしょう。
・・・・そして断崖の下を走るすごい地形の場所に来ました。これだけ岩が迫ってきて、右下に渓流・・・道幅が広いから落ちる心配はありませんが、ドロミテ以上の迫力です。

【77.jpg:峠とBonnevalの分岐点】 【b4.jpg:見上げるような岩の間を進む】


【b9.jpg:峠道は斜面の中腹を縫うように】


 そんな道が数km続いた後、Defile-du-Charanデフィレ・デュ・シャランからこんどはトンネルの連続です。岩盤を削って岩剥き出しの・・・当然トンネル内に照明はありません。・・・渓谷は左側、はるか下を流れています。

【c0.jpg:さらに狭い谷あいを進み】


【d0.jpg:さらに狭い場所はトンネルで抜けていく】

Elephants

●「ハンニバルと象」がこの地(推定)を進軍した当時の状況など。

 ●前のポイント「Chatillon」←  【●ハンニバルの有力推定ルート】  →●次のポイント「Glandage」


【広域推定ルートの地図(緑ルート)】


<ここまでの経緯>
 約4.5カ月前スペインを出たカルタゴの軍は、ローヌ川〜ドローム川を経由し、この「ガ渓谷」に入ってきた。

<この地のハンニバル>
・「アルプスへの登り道」はこの付近から始まる。

・この地点の行軍の規模は、Dieディとほぼ同じ=歩兵3.7万人、騎兵8千騎、象34頭(H-p177)。(途中大きな戦いがなかったため)

・ハンニバルが、このガ渓谷付近を通過したのは紀元前218年10月11日頃。イタリア国境の峠越えまで残14日。
  (ここがアルプスの登り口 1日目〜2日目:一日の行軍距離平均14km)

・ブランクス部族の山岳ガイドと護衛はこの付近で帰った(G-p76)。

ケルト族とローマ時代の兵士の戦い   ケルト族とローマ時代の兵士の戦い
   『図説ケルト』サイモン・ジェームズ著より
     
・この地方の獰猛な山岳族アプロゲスは、ここまでの平坦な地ではブランクスの護衛などを恐れて襲撃せず、一定の距離をおいてついてきた。
 しかし、護衛が帰り、この先の険しい渓谷、カルタゴの大隊にとっては困難な地形にさしかかろうとしているのを見て、アプロゲス族はその渓谷の中腹に攻撃体勢を作った。(「彼らが夜間は村に帰る」との情報をハンニバルは得る)

・ハンニバルはその情報で、渓谷の手前に軍の大部分を野営させ、火を焚いてこの地に全軍が留まるようにみせかけた。
 彼は夜のうちに軽装備の歩兵一隊とともに、アプロゲス族の町を占拠し、中腹の攻撃地点よりさらに高い場所で警護体制を構える。(G-p76)。

・翌朝、軍が渓谷に向かい、危険な地形にさしかかり、難所を縫うように進んでいるとき、アプロゲス族が高所から襲撃した。狭い道、急な崖で、驚いた多くの荷役の動物や馬などが大混乱し谷底へ落ちた。(G-p75/76)


より大きな地図で 2002Travel-Root-Point を表示
・ハンニバルはアプロゲス族を攻撃し完全に撃退したが、襲撃を許したこと、手間取ったことから被害が広がった。

・ハンニバル側の被害は、象8頭、歩兵2千300人、400の騎兵が死んだ。(H-p188)。


推定ルート
【ガ渓谷周辺の推定ルート地図(緑ルート)】



 その昔、もしここをハンニバルと象が通ったとしたら・・・食料、動物、金目のものなど、たくさんの獲物がそこにあるのです。そして地元の地形を十分把握している攻撃的部族(山賊)がいたら・・・当然この付近で襲うでしょう。
狭い渓谷の道を、数万の軍隊が行軍していた状況を想定して見ます。

 一番低い渓流の中の道は、大小の岩だらけで移動しにくい。川から少し上の、山の斜面に昔からある峠道(けもの道を広げた程度)を、工兵が象を引き連れて移動するために最低1mほどの幅に広げる。
数万の軍がこの狭い道をほぼ一列縦隊で通過するのですから、3つのかたまりに分かれます。渓谷の前の、行軍待ちの軍団。 約10kmにおよぶ細い渓谷の斜面を、一列に進む軍団(山道の10kmは、3時間以上かかるでしょう)。そして渓谷を過ぎた村に、到達した軍団。です。 すべてが通過するのに10数時間必要だったでしょう。(朝早くから暗くなるまでにすべてが通過できず、多分翌日もかかったでしょう。襲撃はさらに足を遅くしました。)

 アプロゲス族の作戦は、その狭い渓谷を通過する軍団の、荷役の馬(ポニー)、荷馬車、などを渓谷に落とし、そこに搭載された食料、貴金属、などを略奪することでしょう。彼らにとっては、谷の上からなるべく大きな岩を落とせばいいのです。岩は無限にあり、驚いた馬や象などがこれに驚いて足を踏み外せば、略奪できる量は増えます。

 ハンニバル側も事前に何の対策も打たなかったわけではありません。当然斥候をだし、アプロゲス族の動きを監視し、さらに警護の部隊を、渓谷の随所に事前配置しました。これだけの軍に賊は手を出しえないはずでした。

 しかし、地の利を持つ山岳族・アプロゲスは、その警護軍の間を抜け、山の上から岩石を落とし始めたとき、大パニックが起きたのです。この10km近くにもおよぶ身動きの取れない渓谷。1万人近い兵士がその渓谷に閉じ込められていたのです。
ハンニバル軍のさらに高い位置からの応戦や、戦いでほとんどのアプロゲス族を殺すまで、わずかの時間だったのです・・・が。

 なんと、ハンニバル側は、2千300人の歩兵、400の騎兵、象8頭もの被害を出したのです。死因は、ほとんどがパニックで渓谷に滑り落ち、岩に打ち付けられ、その上にさらに傷ついた動物が落ちてくる。その渓谷にこだます動物たちの悲鳴に、不安になった動物たちが暴れ、さらに被害を大きくしました。
骨折、切り傷などによる怪我も治療ができず、悪化で死亡したり、移動できない兵士がたくさんいたと思われます。

 しかし、この渓谷に留まるわけにはいきません。多数の死者を渓谷に残したまま、東に逃げます。
 (戻るのではなく、前進しかないのです。)


・・・皆さんの想定、推測情報などありましたらお願いしますハンニバル応援

 ●前のポイント「Chatillon」←  【●ハンニバルの有力推定ルート】  →●次のポイント「Glandage」

 ・Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア 『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』時任生子訳:博品社(G-page)
 ・John Prevasジョン・プレヴァス『HANNIBAL CROSSES THE ALPS ハンニバル アルプス越えの謎を解く』村上温夫訳:白水社(J-page)
 ・Hans Baumannハンス・バウマン『ハンニバルの象つかい』大塚勇三訳:岩波書房:(H-page)
 ・The Green Guide:『French Alps』2001 Michelin:(M-page)


<ようやくグランダージュの村にたどり着きます・・・>
●ご意見・お問い合わせ・情報・何でも・・・「峠の茶屋・掲示板」でお待ちしています。EU-ALPS.com
ヨーロッパ アルプス 峠ドライブ紀行 TOPに戻る この旅のtopへ戻る 前ページに戻る 次のページへ  Time/Data
ヨーロッパアルプスのハイキング地図
【ヨーロッパ・アルプスのハイキング地図】
  【国別地図】  【日本語ガイド本】