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Serres セール村

フランス:(05)オート・アルプ県】 [北村 峠一].(Kitamura)     


【SerresからCabre峠へ】
 シストロンからヴェルコールの山に向かって走っています。本来ならこの山塊には数日前、グルノーブルから入るか、2泊したクルレから入って、高原のいくつかの峠を走る予定だったのです。しかし、天候がぱっとせず、そこに来て時差や疲れから来る体調不良と雪目で、一度断念した場所です。

 その後南に向かい、何度もヴェルコールの山並みを遠景し、どうしてもあそこの高原状態の場所に行かなくてはという気持ちになりました。万全を期すため、昨日は一度も車に乗らず、シストロンの城や街路を歩く休日にしました。やはりこの街からも、約100km北のヴェルコールの台地が青空にくっきりと映え、今日の楽しみをますます高めてくれました。

 シストロンで合流する、DuranceデュランスとBuechビュエチの二つの川の一本、ビュエチ川をさかのぼっていきます。


【serres04.jpg:シストロンからBuech川にそってセール村へ向かう】


 Serresセールの村の入口です。西側に張り出した奇岩(石灰質の岩、第四氷河期に形成されたもので、削りとられたり浸食されたりして縦/横/斜め/垂直に襞状になっている)のため、村はこの岩と川の狭い場所にあります。
北にグルノーブル、東にガップ、南にマルセイユ、ニース、西にニヨン、アルルと昔からの交通・交易の要地だったのでしょう。そのポイントがこの岩山と川で自然に作られた要塞に集まり、中世風の3階建てのカラフルな建物が競って作られたのでしょう。
【24.jpg:セル村直前で鉄道を越える。村は奇岩の真下に】


【34.jpg:橋のむこうのロータリー。真っ直ぐ行くとGapガップ/グルノーブル方面、左はNyonsニヨン方面】


【37.jpg:村は岩に沿って円周に】



 Cabreカブール峠方面の山に道を進めると、一面麦畑です。そして真っ赤なポピーが麦の上に浮き出しています。あと一月もすると、麦が伸び、ポピーはその中に埋もれてしまうので、今がこの風景を見ることのできる最適な時なのです。
【cabre59.jpg:AspremontからCabre峠に向かう道】


【65.jpg:赤のポピーが一面の麦畑】

Elephants

●「ハンニバルと象」がこの地(推定)を進軍した当時の状況など。

 ●前のポイント「Grimone峠」←  【●ハンニバルの有力推定ルート】  →●次のポイント「Gap」


<ここまでの経緯>
・Dieディから、Gasガ渓谷〜Grimoneグリモーネ峠〜経由でこのSerresセレの村に到り、Gapガップへは東にむかいます。

・この地点を通過したハンニバル軍の規模は、歩兵3.5万人、騎兵7.6千騎、象26頭です。
  (歩兵2千300人、騎兵400、象8頭が「ガ渓谷」の奇襲で死んだのです。)

<この地のハンニバル>
・紀元前218年10月12-13日頃のこと。イタリア国境の峠越えまで残り12日です。

・ハンニバル軍は、ここSerresセレ村周辺で丸1日滞在しました。

・この滞在地で全軍の3日を養える穀物と牛などの食料を手に入れました。

・この村で、今回の襲撃や、それ以前に略奪された多くの軍需品を取り戻すことができ、さらに何日かの間に山岳族に捕らえられていた戦友を発見したといいます。

・山岳族を打ち破ったという情報が近在の部族に伝わり、以降しばらく、自分たちの土地を通過するハンニバル軍を攻撃する部族はいなくなったといいます。




【DieからGapへの行軍推定ルート(緑実線)と、容易なルート(紫点線)】
<ハンニバルはなぜ、難しいルートを行軍したのでしょう>

 グリモーネ峠を通過したハンニバル軍は、このセール村周辺に到達し物資を獲得し、さらに1日留まりました。襲撃された軍を立て直す必要があったからでしょう。

 ところであらためて地図を見、ルートを描いて見ると、なぜハンニバル軍はCabreカブール峠の容易なルート(紫色点線)を取らなかったのかという疑問が浮かびます。

 Claps〜Cabre峠のルートのほうが距離も短く、襲われるような渓谷もなく、峠の高さも勾配なども容易です。(Claps〜Cabre峠の道路・峠状況はここを参考に

 なぜ難しいグリモーネ峠のルートを取ったかを想定すると、「やさしいルートを知らなかった」場合と、「知っていた」場合に分かれます。

 まづ、「容易なルートの情報が入手できなかった」場合を考えると、 Dieディ付近までの案内人は帰ったとの記載があることから、自軍の斥候による調査では地元民との言葉の問題などがあった。さらにその村人すら、ハンニバル軍が行こうとするイタリアへのルートを知らなかった。または教えた地元民が、実は襲撃したアプロゲス族と結託していた、などが考えられます。


より大きな地図で 2002Travel-Root-Point を表示
 次に「容易なルートは知っていた」が、そのルートに襲撃する敵や、ローマのスキピオ軍などが居るのではと想定しあえて通らなかったなどが考えられます。

 各種資料などから推測すると、最初の「容易なルートを知らなかった」ほうの可能性が大きいようです。そして3000人近い戦死者を出してしまったのです。

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・・・皆さんの想定、推測情報などありましたらお願いしますハンニバル応援

 ・Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア 『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』時任生子訳:博品社(G-page)
 ・John Prevasジョン・プレヴァス『HANNIBAL CROSSES THE ALPS ハンニバル アルプス越えの謎を解く』村上温夫訳:白水社(J-page)
 ・Hans Baumannハンス・バウマン『ハンニバルの象つかい』大塚勇三訳:岩波書房:(H-page)
 ・The Green Guide:『French Alps』2001 Michelin:(M-page)


<僕たちは、カブル峠経由でディの町、ヴェルコールの山に向かいます・・・・・>
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