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Bobbio-Pellice
【h689.jpg:ボッビオ・ペッリチェBobbio-Pelliceの役場】

ボッビオ/トッレ・ペッリチェBobbio-Pellice/Torre-Pellice

大雨の中、ヴァルド派の谷に・・そしてここもハンニバルの・・

イタリア:ピエモンテ州・トリノ県】[北村 峠一].(Kitamura)      


●ヴァルド派の谷、ペッリチェPelliceへ・・


 6/15金、クリッソーロCrissolo滞在3日目。予報どおり激しい雨が早朝から続きます。朝食時、奥さんに「Meteo(天気予報)」と話し、新聞のある1階のバーに降りてきました。

 ところがここは一日遅れでの配達らしく古い新聞ばかり。マスターに「新しい新聞の天気情報はないか?」と聞きますが「山ではMeteoは日により、時間により予想が変わるんだよ」と・・まあ、当たり前の反応です。外をうかがいますが、時々普通の降りになることもありますが、ほとんど土砂降り。まあ、今日一日のんびりすることにして・・・
Bobbio-Pellice/Torre-Pellice
【map:ボッビオ/トッレ・ペッリチェ付近:クリックでMichelin地図へ】

 以前読んだ『ヴァルド派の谷へ』(西川杉子著)のプロテスタントが迫害されたという北の谷に行ってみようと思い、マスターに
「Vaudois-Valleyヴァルドの谷に行く」というと、バーにいた人が英語を解かったらしく、一本北側にあるペッリチェPellice渓谷への行き方を教えてくれます。

Barge
【v003.jpg:la Colletta峠(613m)】




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 11時過ぎに宿を出てパエサーナPaesanaで左折、大雨で薄暗いla Colletta峠(613m)を抜けさらに北へ。

 山から下りてきたせいか、Barge、Bagnoloあたりに来ると人家も多く、エクステリアの店なども時折見えるのは、トリノまで40-50kmのためでしょう。 トリノ県のLusernaで道路わきのパン屋の前で車を止め、妻がパンとバナナを買って戻ってきましたが、傘をさしていたのにびしょ濡れになるひどい雨です。

●トッレ・ペッリチェTorre-Pellice


 Torreには有名な教会があると、さっきのバーの人が言っていたが、大きな建物を道路脇に見つけます。すぐに大きな駐車場があり、その車内で窓ガラス越しに建物を見ながらの昼食です。

Torre-Pellice
【d038.jpg:トッレ・ペッリチェTorre-Pelliceの教会と博物館】

 食べながら観察しているとMusse博物館と書かれた建物から何人かの人が出てきます。きっとやっているだろうと、ちょっと小降りになった中を傘を差し入口まで行きますが、ドアは閉まって・・中から出てきた人に聞くと「週末のみ開いている」とのこと・・残念。
 まあ、こんなこともよくあると、向かいの教会に立寄りますが、こちらも鍵がかかっていて内部を見れません。

ヴァルド派(Vaudois仏・英/Valdese伊/Waldenzer独/Waldenses,Waldensian英)とは

・1173年頃、リヨンのヴァルテスにより始まった「厳格な聖書主義」。聖書の原点への復帰を求める教会改革運動に発展していき、異端として迫害・弾圧されたプロテスタント。
・16世紀の宗教改革の時期、サヴォワ・ヴァルド派に対するフランス(ルイ14世)、サヴォワ(アメデオ2世)両軍の迫害は熾烈で、1686年の戦いで2千人以上の死者を出し、その谷から追放・根絶させられた。
・捕虜はスイス盟約者団との交渉の結果、冬のアルプスを徒歩で越えジュネーヴに引き取られた。その数3381人とのこと。
・その3年後の1689年8月、数百人が「ヴァルド派の谷への栄光の帰還」という名のアルプス越えをし、谷に戻り、抵抗を続け現在まで住み続けている。
・ルートは「ニヨン→ボンノムBonhomme峠(2329m)→イズラン峠(2770m)→モンスニ峠(2084m)→クラピエ峠(2477m)→ボビ」。250kmを2週間で踏破した。

ヴァルド派の谷への栄光の帰還ルート
●G-Mapsで詳細ルートを見る

THE GLORIOUS RECOVERY BY THE VAUDOIS OF THEIR VALLEYS【ヴァルド派の谷への栄光の帰還】
The Vaudois【ヴァルド派とフランスの歴史】
Emigration vaudoise【ヴァルド派の移住:サヴォワからPragelaプラゲル渓谷などへ】
Church History【教会の歴史:Waldensiansなどプロテスタントの分布)】
http://en.wikipedia.org/wiki/【French attack on the Vaudois (1686)フランス軍の攻撃】
http://ja.wikipedia.org/【ワルドー派】
http://en.wikipedia.org/【Waldensiansワルドー派】
Waldensian Families Research【ヴァルド派関連地図】
Torre-Pellice
【d037.jpg:Museo Valdese/Waldensian museumヴァルド派博物館は休み】

Torre-Pellice
【d036.jpg:Chiesa Valdese/Waldensian churchヴァルド派教会は鍵がかかっている】

●Balzigliaバルジグリア+Ghigoギーゴ:ヴァルド派歴史資料館

2014年、北の谷の「Museo storico della Balzigliaヴァルド派歴史資料館」を訪れました。
Balzigliaバルジグリア
  
  ●旅の絵本

V.Praliプラリ谷:Ghigoギーゴ
  
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●ボッビオ・ペッリチェBobbio-Pellice


 雨の中、どこも見るところがないので、さらに先の村「Bobbioボッビオ」まで10kmほどを走ります。村役場がありその前の広場に駐車し、小雨になってきた村の中を散策してみます。この広場でバスもUターンしていましたから、ここが主要道路の終点なのでしょう。

Bobbio-Pellice
【h694.jpg:Bobbio-Pelliceの役場前に駐車して】

Bobbio-Pellice Bobbio-Pellice
【h696.jpg:役所前の広場】 【h688.jpg:雨の細い路地を散策】

Bobbio-Pellice
【h683.jpg:カトリック教会への路地】

Bobbio-Pellice
【h679.jpg:カトリック教会はこんな路地の奥】

Bobbio-Pellice
【h681.jpg:カトリック教会へ】

 路地から、さらに奥に「Chiesa Cattolicaカトリック教会」への看板を見つけました。プロテスタントの村、そんな中のカソリクの教会内部はどんな飾り物がしてあるのだろうとそこに向かってみます。

 が、教会の敷地に入るとすぐに出てきたおじさんに、「クローズ」と実に愛想もなく断られてしまいます。やはりこのような場所のカソリック教会を、わざわざ見に来る観光客の気持ち・好奇心を読んだのでしょうか。


 別のぬかるんだ細い路地を戻ってくると、小雨の中を山から2-30頭の牛を連れて下ってきた、おじいさんとおばあさんに会います。2日前の夕食時のクリッソーロでは、若者2人とオヤジさんが連れて登る牛追いでしたが、こちらはどこか寂しい感じです。

Bobbio-Pellice Bobbio-Pellice
【v024/h697.jpg:小雨の中、牛を連れて下ってきた、おじいさんとおばあさん】

 村の広場に戻り、大戦の慰霊碑を見ます。正面は第一次大戦で亡くなった人の名前、その左側に:第二次大戦の人名。まさか1918年に引き続き30年ほど後にこんな大きな戦いがあるとは慰霊碑を建てたときには思わなかったでしょうね。

Bobbio-Pellice Bobbio-Pellice
【h690.jpg:第一次、第二次大戦の慰霊碑】 【h691.jpg:この面は第二次になくなった人たち】

 その奥の公園のプレートに[Ristolas]と書いた表示板があります。2002年に、山を越えたフランス側のリストーラスに3日間滞在していたのですぐにこの名前は気づきます。
「4.Giugno 2000 Gemellaggio Ristolas-Bobbio-Pellice J Umelage」
 2000年に「Ristolasリストラス村」は、ここ「ボッビオ村」と姉妹都市=Gemellaggio(伊)=Jumelage(仏)の提携をしたのです。

 帰国後ネット情報を調べ、le Col Lacroix峠(2299m)十字架峠で提携を結んだらしいことが判ります。そこはL'Echalpの東の国境峠です。

Bobbio-Pellice Bobbio-Pellice
【h692.jpg:フランスのRistolasと姉妹都市提携】 【v007.jpg:ボッビオの先の山・・】

 どうやら、フランス側とこの村は以前からの交流も盛んだったように思えます。

 そして、ハンニバルの候補峠にもなっている「Malaure -Col de Malaureマロール峠(2522m)」(推定記述者:A・Rヌボ:1925年)もこの東にあるのです。
 ハンニバルの軍が、Abrisアブリエス付近でトラヴェルセッテ峠方面に南下せず、からほぼ東に進んで行ったとしたら・・ギルの谷に迷い込んできたとしても、ローマのある真東に進路を取っているので大いに有り得るルートです。
 さらにGoogleマップで推測するに、峠からイタリア側のボッビオ方面は展望も開けていそうです。その国境峠を下ってきたらこの村に到達するのです。
−−−

 実は・・・村役場の駐車場から、さらに西に峠方向に走ってみたのです。が数百m行くと、かなり細い道になってしまい、天候もいまいちなので今回は引き返すことにしました。【●谷DB

●Bobbio-Pellice/Torre-Pelliceの関連サイト


http://www.ghironda.com/【Torre-Pelliceガイド】
http://www.ghironda.com/【Bobbioガイド】
http://www.wayoflife.org/【The Waldenses yesterday and today】
THE GLORIOUS RECOVERY BY THE VAUDOIS OF THEIR VALLEYS【ヴァルド派の谷への栄光の帰還】
The Vaudois【ヴァルド派とフランスの歴史】
Emigration vaudoise【ヴァルド派の移住:サヴォワからPragelaプラゲル渓谷などへ】
Church History【教会の歴史:Waldensiansなどプロテスタントの分布)】
http://en.wikipedia.org/wiki/【French attack on the Vaudois (1686)フランス軍の攻撃】
http://ja.wikipedia.org/【ワルドー派】
Waldensian Families Research【ヴァルド派関連地図】

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●クリッソーロに戻るに従い・・


 雨はあがり、la Colletta峠を越えた付近の小さな礼拝堂(・・と思ったら「DOM」とありますから、かつての地区教会の跡?)の壁に、美しい壁画を見つけます。

Paesana Paesana
【d039/d040.jpg:PaesanaのDom:壁画】

Pian del Re
【h715.jpg:パエサーナからのモンヴィーゾ】



 ますます天候が回復し、Paesanaペッサーナ付近では一部青空が。モンヴィーゾも正面に見え、山の頂上こそ見えませんがしばらく待機して、何枚も写真を撮っているうちに・・

 昨日、雨の中を下ってきた王の平地へ行けば、晴れ上った山が見えるはず・・と、昨日走った山道を、モンヴィーゾ山のすぐ下の駐車場、ピアン・デル・レー(王の平地:2020m)まで約10kmを走らせた訳です。

<関連書籍・地図>

touring-club-italiano
Piemonte,Valle D'Aosta
ピエモンテ、アオスタ州 (TOURING CLUB ITALIANO)1/200,000

『チーズで巡るイタリアの旅』本間 るみ子 (著)
4840108196
ロンリープラネットの自由旅行ガイド イタリア
ダミアン・シモニス

4840114382
ベスト・オブ・トリノ
サリー オブライエン Sally O’Brien

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ヨーロッパ・アルプスエリアの国とハイキング・トレッキング・ドライブの地図:index

イタリア・トリノ:
 2006年冬季オリンピック関係



<アニュエル峠を越え、フランスのギル渓谷に向かいます・・・>
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