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Pian del Re
【d059.jpg:ポー川源流のピアン・デル・レーとトラヴェルセッテ峠方面】

王の平地Pian del Reピアン・デル・レー(2020m)

王・ハンニバルは、このポー川源流の草原で、アルプスを無事に越えた軍勢を確認した?

イタリア:ピエモンテ州・クネオ県】[北村 峠一].(Kitamura)      


●翌日の夕方・・


 6月15日金曜日、予報どおり激しい雨が朝から続き、散策は無理と北側にある谷「ヴァルド派の谷」をドライブしました。

 その戻リ道、雨が急激に上がり、クリッソーロの手前パエサーナに来ると、モン・ヴィーゾ山付近が徐々に明るくなってきました。

Pian del Re
【h715.jpg:パエサーナからのモンヴィーゾ】

 もしかすると晴れ上がるのかな? と、昨日走った山道を、モンヴィーゾ山のすぐ下の駐車場、ピアン・デル・レー(王の平地:2020m)まで約10kmを走らせます。先端だけに雲のかかるモンヴィーゾ・・・

Pian del Re
【d051.jpg:Pian del Reから昨日登った峠方向】

Pian del Re
【d055.jpg:Pian del Reからクリッソーロ方面と山小屋。右の雲の中にモンヴィーゾがある】

 Rif Alpino Pian del Reピアン・デル・レー山小屋の少し高くなった場所に行き、トラヴェルセッテ峠を確認します。

Pian del Re
【d062.jpg:Rif Alpino Pian del Re山小屋】

Pian del Re
【v045.jpg:山小屋から見る「王の平原」全貌と、トラヴェルセッテ峠方向】

 逆光気味ですが、昨日トライしたルート、残雪で折り返した地点付近まで・・今日ははっきり見えます。

Pian del Re Pian del Re
【v039.jpg:昨日登った峠ルート(赤の線、点線は山陰)と、トラヴェルセッテ峠の位置(矢印)】 【d058.jpg:ピアン・デル・レー付近の地形構造:解説】

 1時間以上も待ったでしょうか、やっとその時が来ました。見事に雲の切れたモンヴィーゾ山(3841m)、まさにそこから流れ出しているように見えるポー川の源流。

Pian del Re Pian del Re
【h739.jpg:ピアン・デル・レー(王の平地)から、雲の切れたモンヴィーゾ山(3841m)頂上。流れ出すポー川の水は、まるで川の源のように見える】 【d070.jpg:モンヴィーゾと案内プレート】

 今日の夕食はなんだろうと楽しみにしながらも、モンヴィーゾのすばらしい勇姿に別れ難く、ギリギリの6時半まで粘って何枚も写真を撮ったのです。
−−−

 渓谷を下りながら、右後ろに見えるモンヴィーゾをさらに何度も振り返ります。谷のはるか先方には、ポーの平野がかなり遠くまで見晴らせます。きっとあの雪山で自然と闘ったハンニバルも、生き残った2万の兵たちも、この光景を見ながら・・自分たちの強運に自信を持ち、戦いを進めていったのかもしれません。

Pian del Re
【v119.jpg:下りながら見えるモンヴィーゾと左下にポー川の平原】

Pian del Re
【v145.jpg:このポー川の、遠くまで見渡せる平原を・・ハンニバルは見たのか】



Pian del Re
【d079.jpg:クリッソーロへの途中にあった青い壁の石つくりの小屋】

<●以下2002年作成の「Traversette -Col de la トラヴェルセッテ峠のイタリア側下り・・想定の旅」をら転記>

 この峠・・・イタリアに向かっての下りの行軍で、ハンニバル軍は 約1万人の死者(歩兵9千,騎兵9百,象3頭と推定:kitamura)を出したのです。何が原因なのでしょう。この傾斜はたしかに急ではありますが、通常の山の頂上付近の地形・勾配と同じ程度ではないでしょうか。大量の死者が出た理由は?  ・・・それは「凍死」ではないでしょうか・・・ ◎参考:歴史上の「山岳・凍死」事件
Elephants

●ハンニバルと象が「トラヴェルセッテ峠」の下り(推定)を進軍した状況など

 −− ポリビオス(BC200-BC118)の記述による。「」は推定の地名 −−
 ●前のポイント「Belvedere-du-viso2」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●次のポイント「Po川上流平地」

<ここまでの経緯>

 約5カ月前、スペインを出たカルタゴ軍は、ようやくアルプスの最後の峠に到達する。
 しかし地元部族の奇襲などで疲労し、さらに食糧は底をつき、また、雪・寒さで軍の士気も衰えていた。
 前日、ハンニバルは全部隊の指揮者を集め、眼下のイタリアの谷を見せ、翌朝の進軍を指示した。
 雪山での行軍を経験していない彼ら・・・山に本格的な雪が降り出した。
 軍の規模は、歩兵2万9千、騎兵6千9百、象20頭。

<紀元前218年10月22日:アルプスの登り道から12日目。イタリアの平野まで残り3日>

○前夜からの雪はさらに激しくなった。風も吹き吹雪となった。
○朝、寒さ・飢えなどで動けない兵士が多発する・・・彼らを置いて先に行く・・・凍死へ。
○歩きだした兵士達は、寒さに耐えるためすべての衣類を身につけ、足元も革、布でくるむ。・・・しかし雪・氷は、その衣類を冷たい水で冷やし、足を麻痺させる。
○隊は、吹雪の中を下りだした。・・・ゆっくりした行軍・・・吹雪でさらに冷える・体温下がる。
○前方の偵察隊は道を見つけ、各所で氷・雪の層に足場を作る。
○狭い危険な道が続く。足を踏み外し、滑り落ち、岩に打ち付けられるものがでる・・・怪我→凍死へ。
○大量の荷を積んだ動物は、不安定な場所で、雪・氷に足を踏み抜く。動けなくなる・・・凍死へ。
○地すべりで大きく山肌がえぐられ、大きな垂直の崖に行き当たる。
○工兵たちは、少し上方に道を作る。・・・待つ兵士の体温はますます下がる。
○しかしそこを通過するうちに、氷・雪とともに地すべりが起きた。通過中の多数の兵・荷役動物が滑落。・・・怪我・凍死へ。
○夜間になり、移動が危険になり野営することになる。
○兵の中に絶望感が出始める・・・・勝手な移動・・・凍死へ。
○斜面・尾根で野営・・・かなりの軍は、フランス側の比較的平坦な地に戻る。
○寒さ対策のため、フランス側の森林のある下まで木を集めに行き、運びあげ、薪火で暖をとる。
○さらに雪は降り続き、吹雪も続く。・・・体温下がる・・凍死へ。


−−−−
<紀元前218年10月23日:アルプスの登り道から13日目。イタリアの平野まで残り2日>

○朝、寒さ・飢えなどで動けない者が多発・・・凍死へ。
○吹雪はまだ続く。
○まだ暗い時間から、工兵は新たな道の建設を始める。
○少しずつ軍は動き、下る。・・・ゆっくりした行軍・・・吹雪でさらに冷える。
○途中に大きな岩がありそれ以上進めなくなった。巨大で動かず、ハンマー・つるはし・斧などによる程度では壊れなかった。・・●象や荷役のためのルート作成のためだろう
○絶望がさらに全軍に広がる・・・独自の行動・パニック・・・凍死へ

  ・・・大吹雪が続く・・・ハンニバル軍に大きな絶望感が広がる・・・
●巨大な大岩をどうやって破壊し、道を作ったか・・・
・峠のフランス側にかなりの兵を戻し、森林限界の付近から大量の森の木を切った。動物と兵士は次々とその薪を峠を越えて運んだ。さらに荷物の中から酸っぱいワインを大量に集めた。
・大岩の横・上で薪を焚き、岩を十分に熱し、酸っぱいワインをそそぐ。大岩は砕け、亀裂をつるはし・斧などでさらに砕き、道を開いた。
−−−−−
<紀元前218年10月24日:アルプスの登り道から14日目。イタリアの平野まで残り1日>

○朝、通過できなかった兵、動物の中に、凍死、寒さ・飢えなどで動けないもの多発・・・凍死
○狭い幅の道を、歩兵隊、騎兵隊、輜重隊は下の平野に向かって下っていく
○工兵は、象、荷を移動するための幅広の道をさらに作る。
○軍の先頭は、ポー川の平野部に到着し、キャンプを設営する。
−−−−
<紀元前218年10月25日:アルプスの登り道から15日目。イタリアの平野に到着>

○工兵は、象・荷のために道を整備・建造。
○歩兵は全員キャンプまで下る。
○夜:ほとんどがポー川の平野部に到着し、キャンプする。>
<10/26頃:イタリアの平野部>
○象もすべて、ポー川の平野部に到着。
○兵、動物、荷の点検把握をする。1万2千のアフリカ兵、8千のスペイン兵、6千の騎兵、象17頭を確認する。
 この峠の下りで、9千の歩兵、9百の騎兵、3頭の象を失った。
 出発から5カ月で、1万8千の歩兵(3.8万→2万)、2千の騎兵(8千→6千)、20or22頭の象(37or39→17頭)を失った。

参考資料:
 この記載情報はポリビオス(BC200-118)の記述による。これをもとにルートを推定・解説している本は以下のものである。
 ・Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア 『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』時任生子訳:博品社
 ・John Prevasジョン・プレヴァス『HANNIBAL CROSSES THE ALPS ハンニバル アルプス越えの謎を解く』村上温夫訳:白水社
 ・Hans Baumannハンス・バウマン『ハンニバルの象つかい』大塚勇三訳:岩波書房

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< 関連サイト>

 ○http://www.crissolo.com/【Crissolo観光ガイド】
 ○http://www.ghironda.com/【Valle Po:宿・山小屋・美術など】
 ○http://www.albeisa.org/【Dolcetto di Doglianiワインの産地はアルバの南】
 ○http://www.cooperativaeuro.com/premi.htm【Albergo Monvisoの賞状は】

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<北側にある谷「ヴァルド派の谷」をドライブ・・このペリーチェの谷をハンニバルが下ってきた可能性もあるのです・・・>
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