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ナポレオンの栄光をたたえて作られた碑が遠くから見えます。・・・フランスとイタリア間のアルプスを越える最古の峠の歴史は、長い戦いの歴史でした。この峠・・・通年通行可能な峠、イタリアへの下りはそれほど急ではなく・・・ハンニバルの下った峠はここではないと思うのですが。
![]() 【Briancon〜Montgenevre峠〜Cesana〜のルート】 |
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ここモンジュネーブル峠は、古代からフランスとイタリアのアルプスを越える最古の峠でした。紀元前58年、ガリア遠征にむかったユリウス・カエサル(シーザー)もこの峠を幾度も通過したと記録されています。帝政ローマ帝国の時代(〜5世紀)には、スペイン・フランス方面に向かう街道として整備され、キリスト教の布教にともなった巡礼などにもさかんに用いられてきました。他の峠道に比べ、各地方への分岐点であり、標高もあまり無く、地形もそれほどけわしくないことなどから選ばれたのでしょう。 6世紀フランスの地に興きたフランク王国は、その領地を東のイタリアに広げていきます。10世紀以降、ブルグント王国、サヴォワ公国、サルディーニャ王国など、スイスのような山岳地帯の国家ができますが、フランスにより分割併合されてしまうのです。 ナポレオン帝国の侵略(〜1812年)は、ほぼ西ヨーロッパ全域に達しますが、このモンジュネーヴル峠もナポレオンからの「大砲が通れる道」の指示で、幅7〜8m、最大傾斜10%の整備が1804年に完成したのです。 この峠をめぐる古い歴史は、イタリアの攻勢のあと、フランスによる侵略の歴史そのもののように思えるのです。(欄外の歴史参照) |





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●NAPOLEONS OBELISK :ナポレオンの方尖塔(ほうせんとう) 1804年9月、このモンジュネーヴル街道の開通(整備)と、ナポレオン皇帝(一世)の栄光をたたえて建てられたものです。 この道は、古代ローマの時代からの道でもあり、ナポレオンの指示でシンプロン峠、モン・スニ峠とともに大規模な整備が行われた。領土拡大のためにも、大型の武器が通行できる道の整備が必要だった。 <この付近のURL> ○http://www.montgenevre.com/index1eus.asp【Montgenevreガイド】 |

![]() 【ブリアンソンには大規模な砦が築かれている】 |
●Echelleエシェル峠(1766m)、Granon峠(2413m)のことこの峠を西に10kmほど下ったところから、北に向かう道があり、Echelleエシェル峠(1766m)を経てBardonecchiaバルドネッキアの町、モダーヌへのトンネル方面へいきます。 今回の旅でもここを走ろうと思ったのですが、林道レベルの道で、かつ、峠の下は私道で必ず通行できるとは限らない(イタリア公式ガイドp31)とのことで、今回ここの通過はあきらめました。 さらにGranon峠(2413m)も近くにあります。こちらも林道・・・バイクの方は是非トライしてください。 |

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<付近のWebサイトなど> ☆ ☆ |
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Kompass社の地図
・紀伊国屋で[洋書 Kompass Karten] のキーワードで検索) |
●イタリア・トリノ:2006年冬季オリンピック関係
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●ハンニバルと象はこの「モンジュネーヴル峠」(推定)を進軍したか?−− ポリビオス(BC200-BC118)の記述による。「」は推定の地名 −−●前のポイント「Brianconブリアンソン」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●次のポイント「Po川上流平地」 紀元前218年秋「ハンニバルと象がこの峠を越えた」とする推定もあります。 ・・・(トラヴェルセッテ峠や、アニュエル峠の確率のほうが高いのですが)・・・・ ここの勾配をグラフにして見ます。当時、道路のない斜面を工作しながら下ったことを考え、峠の頂上から、川に沿って1Kmごとにプロットして傾斜を見ます。高度も無く、比較的なだらかな峠です。 イタリアに向かっての下りの行軍で、ハンニバル軍は 約1万人の死者(歩兵9千,騎兵9百,象3頭と推定:kitamura)を出したのです。「凍死」が原因と考えられますが・・・ ・この道は古代ローマの以前からも峠道があった可能性があります。 ・イタリアを見下ろすすばらしい展望はそれほどありません。 ・標高がそれほど高くなく、9〜10月に雪で遭難するほどの積雪はありません。 これらの状況からみて、この峠を通過した線は薄そうですね。
![]() 【黒実線:峠前後5kmの川に沿ったルートと高度。 赤点線:GR5Cハイキングコース 】 ●クリックで拡大します ●前のポイント「Brianconブリアンソン」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●次のポイント「Po川上流平地」 ・・・皆さんの想定、推測情報などありましたらお願いします 参考資料: この記載情報はポリビオス(BC200-118)の記述による。これをもとにルートを推定・解説している本は以下のものである。 ・Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア 『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』時任生子訳:博品社(G-page) ・John Prevasジョン・プレヴァス『ハンニバル アルプス越えの謎を解く』村上温夫:白水社(J-page) |
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<凡例> ★:国境 、 ←:侵略の方向:→ (上から下に★をたどると、国境の移動が見える) |
| 西暦 | 関連事項 | フランス側 | モンジュネーブル峠の領有者 | イタリア側 | |||
| -BC300 | ケルト | ||||||
| -BC200 | 1/2次ポエニ戦争(-BC201) | ガリア | ← | ←★ローマ | |||
| -BC100 | 3次ポエニ戦争(-BC146) | ←★ | ローマ | ||||
| - 00 | カエサル(シーザー:BC57-59) | ← | ←★ | ローマ | |||
| - 100 | 帝政ローマ | 帝政ローマ | |||||
| - 200 | 帝政ローマ | ||||||
| - 300 | 帝政ローマ | ||||||
| - 400 | 帝政ローマ | ||||||
| - 500 | ゲルマン族移動 | フランク王国 | ★ | ブルクント王国 | ★← | 東ゴート王国 | |
| - 600 | フランク王国 | ★ | 東ローマ帝国 | ||||
| - 700 | |||||||
| - 800 | → | → | → | →★ | |||
| - 900 | カール大帝 | フランク帝国 | → | → | → | →★ | |
| -1000 | 西フランク王国 | ★ | ブルグント | ★ | イタリア王国 | ||
| -1100 | |||||||
| -1200 | フランス王国★ | ブルグント王国 | ★ | イタリア王国 | |||
| -1300 | 十字軍(-1270) | ||||||
| -1400 | フランス | ←★ | 神聖ローマ帝国 | ||||
| -1500 | →★ | サヴォワ公国 | |||||
| -1600 | 宗教改革(-1572) | フランス→ | → | ★ | ★ | ミラノ公国 | |
| -1700 | |||||||
| -1800 | フランス革命(-1793) | フランス→ | ★ | サヴォワ | ★ | サルデーニャ王国 | |
| - | ナポレオン(-1815) | → | → | ★ | |||
| -1900 | ウィーン会議後(-1815) | フランス | ★ | サルデーニャ | ★ | イタリア | |
| 第一次大戦(-1919) | フランス | ★ | イタリア | ||||
| -2000 | 第二次大戦(-1945) | フランス | →★← ★← | イタリア | |||
Time/Data
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