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Col du Grand Saint Bernard
【4036.jpg:グラン・サン・ベルナールの南方面:湖とイタリア国境。正面の三角の山はTour des Fous(2579m)】

Col du Grand Saint Bernard/ グラン・サン・ベルナール峠(2473/2469m)

長い長い、歴史一杯の峠。【●峠DBへ
峠頂上のホスピス周辺は、なぜスイス領なのでしょう?

スイス:ヴァリス州/イタリア:アオスタ州】  [北村 峠一].(Kitamura)      


 エーグルAigleからローヌ川に沿ってマルティニMartigny、そこから南にDrandeの谷をさかのぼります。 途中のオルシェールOrsieres付近では2005.4.17にバス事故がありました。でもそんなに急な斜面も見えず、きっと路面凍結などの理由だったのでしょう。

 峠の直下、Bourg St Pierreブール・サン・ピエールのHotelナポレオンが道路わきに見えます。ここは1800年5月、ナポレオンが4万人の軍隊と3000頭の馬を引き連れ、まだ残雪が大量に残る中を峠越えてオーストリア軍を急襲・勝利。その時、ここの村人たちの多大な労力に対する「支払い約束手形」を書き残した村です。
Col du Grand Saint Bernard
【1/20万】
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ナポレオンの借用書 【Bourg St Pierreブール・サン・ピエール村】

 ナポレオンはイタリア遠征の際や、フランス皇帝になった以降、シンプロン峠モンジュネーヴ峠モンスニ峠など各地の峠に「大砲が通れる峠道」を作っていますが、ここグラン・サン・ベルナール峠の整備記録は見つかりませんから、この岩だらけの道を開いて作ったのは、それ以前のものだったのでしょう。

Col du Grand Saint Bernard
【v010.jpg:スイス側から峠へ。国境の非常時監視塔がところどころに見える。古代ローマの道もこのような岩を人力で削り建造された】

 Col du Grand Saint Bernard/ グラン・サン・ベルナール峠(2469m)に到着です。【●峠DBへ

Col du Grand Saint Bernard
【v064.jpg:峠の東の斜面からスイス側を見る。右手最高峰はM.Mort(2866m)】

Col du Grand Saint Bernard
【v054.jpg:大きな建物がホスピス。峠の東の斜面からイタリア側を見る。正面の三角の山はTour des Fous(2579m)。右の山はChenalette(2792-2664m)】

 峠の南の小高いところ、十字架がある場所まで登り360度を展望します。前回2000年に来たときは濃霧で何も見えなかったのですが、今回は曇りですがまずまず。岩だらけの峠の分水嶺と地図を見比べて見ます。

 ローヌ川とポー川の大分水嶺はほぼスイスとイタリアの国境なのです。しかしこの峠頂上、Hospiceホスピス付近が分水嶺なのですが、国境は湖の中。なぜホスピスはスイス側になったのでしょう? 実に長い歴史のあるこの峠、いくつか考えられることを列記しましたが、答えは判っていません。【●お分かりの方がおられたら、教えてください】

 ・新石器時代から、エトルリアの商人や、ケルト人などはこの峠を利用していた。
 ・BC58:Julius Caesarシーザーの軍もこの峠を越え、古代ローマ時代には重要な街道になっていた。
 ・中世:人々はこの峠をモンス・ヨヴィス(ユピテルの山)と呼び、最高点の近くにユピテルを祭った小さな神殿があった。
 ・11世紀末、アオスタの僧ベルナルドが救援所を設け、何人かの修道士とともにそこに常駐し、旅人の救援に尽力した。といいますから頂上はイタリアでも良さそうなのですが?
 ・峠一帯はサン・ベルナルド教会の敷地になっていたはず。生活のためには水が必須で、池を敷地内に持つことが考えられる。同じようにHostel=Hospisがある「Passo di S.Pellegrino サン・ペッレグリーノ峠」の教会も教会の敷地で、州境となっている。
 ・ここヴァリス州は1416年、スイス同盟州・保護地域になり、1815年(ウィーン会議)-1848年(憲法):ナポレオン失脚後、スイス・ヴァリス州はスイスに加盟。(関連:フォルクラ峠参照)
 ・宗教戦争(1560年頃)が関係している? ちょうどサヴォワ(カソリック)が弱体化し、スイス(プロテスタント)から撤退することにも関連?

 今後の課題としましょう。

Col du Grand Saint Bernard
1/2.5万地図:●クリックで拡大。
国境と分水嶺は一致していない。国境(緑色)は、峠の西にある湖を横切っている。分水嶺(赤色)は、稜線とホスピスを通り、スイス側はローヌ川に、イタリア側はポー川に流れ出す。峠の北にも小さな池がある。】

Google-Mapsで見る



【旅人が峠を行く】


【峠の遭難とSt.ベルナルド】 【Hospice du Grand-Saint-Bernard】


【ナポレオンと峠の教会】・・【上記の挿絵はDauphinois博物館資料などから】・・

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Col du Grand Saint Bernard
【4037.jpg:南方面:イタリア国境の聖人像。像の下に、横に伸びるのが古代ローマの道の工事跡が見える】

古代ローマの道
古代ローマの道:グラン・サンベルナルド峠からレマン湖岸を抜けVeveyヴヴェ・ベルンに抜ける主要道路

【イタリア国境の聖人像。像の下に古代ローマの道の跡がある。左上はMont Velan(3727m)。http://www.kelt.com/hippo/の写真より】
 イタリア側との国境付近、小高い岩の上に聖ベルナールの像が見えます。その像の付近、よく見るとかつて道路が走っていた形跡があります。「古代ローマの道」の跡です。

 Webの中で、この関連がよくわかる写真を見つけました。わだちの跡がしっかり残る貴重な遺跡です。

<Col du Grand Saint Bernard/ グラン・サン・ベルナール峠付近の関連サイト>


セント・バーナード犬救われる【Swissinfoニュース2004/12/23】
http://www.kelt.com/hippo/bernard/index.html【Gr.Stベルナルドの発掘】
http://www2.unil.ch/acvs/F/x08.html岩をくりぬいた峠道の絵 】
http://www.gsbernard.ch/美術館には歴史情報が】
アオスタ付近のホテル検索クールマイユール付近イタリア全域のホテル:地図から検索も】
モントルー付近のホテル検索スイス全域のホテル:地図から検索も】

<関連書籍・地図>
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<イタリア・アオスタへ下って・・ >

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