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カール大帝とアルプス:関連 Carlemagno and the Alps



●カール大帝、シャルルマーニュ、カール1世 Carlemagno(724-814)
・ラテン語:Carolus Magnus(カロルス・マーグヌス、カロルス大帝)
・ドイツ語:Karl der Grose(カール・デア・グローセ、カール大帝)
・フランス語:Charlemagne(シャルルマーニュ)
・英語:Charles the Great(チャールズ・ザ・グレート、チャールズ大帝)

・フランスで誕生。父:小ピピン(=ピピン3世)の長男
・フランク王768-800:、皇帝800-814


<歴史参考事項>
●ランゴバルド族によりラヴェンナが奪われ、ローマが侵略された。
・のローマ教皇ステファヌス V世(Stephen III)は、フランク国王ピピン3世と面会・救援を求めるために、パヴィーアからモンス・ヨヴィス峠(後の名前:グラン・サン・ベルナール峠)を753.11.25頃に越え、フランスのローヌ川上流の聖マウキウスの修道院へ向った。
・ピピンは2度の戦いによりランゴバルド族を破り、奪還したラヴェンナをステファヌスV世に献上「ピピンの寄進」した。(754〜755年)・・ローマ教皇領となる。



<通過した峠>

●46年間の治世のあいだに53回もの軍事遠征をおこなっている。
●770(-1-3年?)年:カールはランゴバルド王家の娘ゲルペルガと結婚・・1年後離婚。(*B3:p42)・・どこかの峠を通過しているはず。
●773年:モンスニ峠を越え、スーサのデシデリウスのランゴバルト王国に攻め入り滅ぼす。教皇ハドリアヌスを救う。(『世界を創った人びと:6:カール大帝』平凡社p14)

・このアルプス越えのとき、大量の軍隊を素早く移動させるため、モンスニ峠とグラン・サン・ベルナール峠の2つの峠で分散通過させた。(確度の高い情報)


●776年:イタリア再遠征・・どこの峠を越えたか?


●786年:南イタリア、ベネヴェント公領に侵攻・・どこの峠を越えたか?

●799年:ローマ司教レオ3世がローマからカールの居たパデルボルンにやってきた(*B3:p45)・・どこの峠を越えたか?

●800年:カールはローマに赴いた(カールの5回目のアルプス越え)(*B3:p45)・・どこの峠を越えたか?

●801年:カール大帝がミラノでの戴冠式(800年12日25日)の帰りにグラン・サン・ベルナール峠を越えた。


●802年以降:国王巡察制度に伴う移動で、アルプス越えもあったのでは?


<関連サイト>
 ☆カール大帝【wikipedia】
 ☆カール大帝による領土の拡張【msn.com】

<参考書籍>
 B1『世界を創った人びと:6:カール大帝』平凡社
 B2『週刊100人:087:カール大帝』デアゴスティーニ社
 B3『新書ヨーロッパ史 中世篇 (新書) 』堀越 孝一(編) 講談社
 B4『中世ヨーロッパの歴史 (学術文庫) 』堀越 孝一(著) 講談社


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