記事No | : 165 |
タイトル | : Re: トグラングラ峠 (5366m) |
投稿日 | : 2001/05/28(Mon) 15:28:38 |
投稿者 | : * |
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/ishikuni/trekking/95/mokuji.htm
手作りのヒマラヤ旅行
ラダック隊報告:7-12日報告
→10日目
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第8日 9/10 (日) 行程 レー→ツモレリ湖 (TSOMURARI)
記録 山 崎 晃 天気 晴れ 気温 5 00 3゜C
6:00 起床 藤井さん不調栗原さんの付き添いで二人残留ときまる。 7:30 朝食栗原・千代田さんの努力で生野菜が豊富、ジャガ芋もうまい。 8:30 ツアー出発 3台のジープでツモレリ湖へ。
9:45 ウプシで1回目のチェック (レーより 49Km)
10:05 ウプシ出発(ここからマナリへの道が分かれる。424Km )
10:55 HIMYA 休憩 (レーより 80Km)
12:43-13:25 昼食チョモタンという集落で、ランチボックス(りんご、コロッケ、パン、チョコ)
14:00 マヒで 2回目のチェック (レーより 159Km) MAHI(4180m)
ここから橋を渡り、未舗装の道を67Km走ればツモレリ湖。
15:00 休憩 (4680m地点)
15:22 チョルテンのある峠 (4895m地点) やや下り、塩の湖のまわりを走る。
16:00 ツモレリ湖の見える台地チベッタンのキャンプあり。
16:50 ツモレリ湖畔の集落につくポリスチェックをうける。
17:04 ツモレリ湖畔のキャンプ地につくテント設営 高度障害で作業がつらい
18:40-19:00 夕食 餅ラーメン 食欲減退食欲一番は森田千里さん
20:00 それぞれのテント 就寝外は月光が煌々と照る。
とにかくツモレリは遠かった。レーより226Km、そのうち約160Kmは軍用道路なので舗装がしてあるが、少々ゆれるがまずまずの道である。しかし小さなジープでは快適なドライブというわけにはいかない。ウプシはロータンパスやバララチヤ峠が開かれていれば、軍の冬期用の燃料や資材を運ぶトラックでにぎわっているとのこと。
ウプシでマナリへの道と分かれ、インダスの源流添いにさかのぼる。赤茶けた岩山が延々と続く、うんざりする程走って、やっとマヒにつく。ここで簡単な鉄橋でインダスを渡り、谷間の流れに添ってツモレリへのぼっていく。この悪路が67Kmである。
ここを3時間激しくゆられ、5000mちかい峠をこえてツモレリに向かう。途中KORZAKという集落を通る。約4300mぐらい、よくこんな高地に定住しているものだと感心していたが、道はここから急登となり、チョルテンのある峠に出る。
チャンタン高原の一角に入った。やや下り塩湖の周囲をめぐり台地を上りつめると、遠くにツモレリの青い湖面が見えた。バックに雪山が聳えている。思わず歓声があがるこのへんから遊牧民のキャンプがいくつかある。
日も西に傾き、湖畔をまわる道すじは山陰にはいりうす暗く、ツモレリの奥深さを感じさせる。キャンプ地は湖畔の定住集落の近くだった。
テントを設営していると、子供たちが集まってくる。気温が10゜C以下に下がっているのにハダシだ。粗末な衣服をまとい、生まれてから顔を洗ったことがないような黒い顔をしている。
4500mでのテント設営の作業は少々つらい。レーでの高度順化があっても、1000mも高度があがるとやはり苦しい。寒さもあって、作業に対しての積極性がなくなってしまう。夜は0度前後の気温になり、寒くて安眠できなかった。
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第9日・ 9/11 (月) 行程 ツモレリ湖 (TSOMURARI)→カル湖(TSOKAR)
記録 柿 沼 博 天気 朝薄曇り後晴れ 気温 4:30 -3゜C¤7:30 +3゜C
6:30 起床9月中旬というのに冬の寒さである。 8:00 朝食(おかゆにボイルしたじゃがいも) 9:20 キャンプ地を出発 徒歩で集落をぬけ、湖畔へ。
10:00 キッチンテント等を撤収したスタッフがジープにのり追いつく。全員乗車
11:20頃 昨日越えてきた4895mの峠を越える。
12:05頃昨日のコースを逆にくだり、KORZAK村で右折し、カル湖方面へ。
12:15 開けた山間の中央を流れる川の近くに温泉が湧きだしている。
13:20 4900mの峠を越え、再びチャンタン高原へ。チョルテンのわきを通る。
14:00-15:00 昼食だいぶ遅れて高原を流れる川の付近で食事(野菜ラーメン)
遊牧民の青年がやってくる。灯油とたばこをもらいに。
15:20 車の中から、高原に住む動物を見る。野性の馬でキャンという。
16:00 カル湖を半周して、草原のキャンプサイトに着く。テント設営。
17:30 夕食 (おかゆに切り昆布・味噌等)
19:00 この頃までテントの外でお茶を飲みながら雑談をする。
20:00 各テントで就寝寒くて長い夜をすごす。外は満月。
朝食前にゴンパの裏の高台に登ってみた。陸の孤島のようなこんな高地の湖畔に実に立派なゴンパが建っている。ゴンパの後の高台には5〜6m程もある大きなストウバが10基程並んでおり、青く澄んだ大きな湖を見下ろしている。
湖の周囲は白雪を頂いた山々が連なり、実に荘厳な風景である。
KORZAK村で昨日来た道と分かれて、TSOKARの方向に向かった。途中地面が一面に霜が降りたように白くなっている。ジープの運転手によると、温泉のためだと言う。ジープから降りてみると、4〜5mも蒸気を吹き上げているところがあった。
地面の白さはソーダ分らしい。テントを張っている遊牧民家族がいたが、温泉に入りに来ているらしい。森田先生の話によると、毒性のある温泉もあるらしい。
カル湖の周辺の広大な草原を鹿のような動物が二頭走っていた。キャンとかいう珍しい馬だとのこと。
草原の小川のほとりで昼食をとっている時、はるか遠くから人間らしい二つの影がこちらに近付いてくる。みるみるうに我々の所へやってきた。遊牧民の若者二人である。殆ど人の通らぬこの地へ来たジープをはるか数キロの先から見つけてきたらしい。我々のスタッフから石油をもらい、我々からはタバコをもらいうまそうにふかしていた。残り物の野菜ラーメンを食べ、久しぶりのご馳走にありついたようだ。
TSOKARはチャンドラタール程の広さで、湖畔は雪か霜のように真っ白である。何千年もの間に溜まった塩分であろう。
荒涼たる広大な砂礫の大地につけられた一筋のかすかな道にそって、点々と崩れかけたストゥパがたっていて、それが道標となっている。今ではジープで数時間で行ける谷間の村々も、昔は何日もかけて歩かなくてはならないかすかな通路で結ばれていた。ストゥパはだいじな道しるべでもあったのだろう。
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第10日 9/12 (火) 行程 ツォカル→トグラングラ→ウプシ→レー
記録 橋上 定次郎 天気 晴れ 気温 5:00 -4゜C
5:30 起床森田先生のモーニングコールで眠気をはらい起きだす。 7:25°7:40 朝食(赤飯・ラーメン・オムレツ・ポテト) 8:30 テント撤収し、出発 9:45 トグラングラ峠着 (5366m) 寒風のなか写真撮影 10:00 トグラングラ峠発ウプシへ下る。途中近道をしてジープ一台悪路にはまる。10:50°11:00 RUMTSEで休憩 チャイをのむ。
11:50 ウプシ着(ビスケット・チャイ・リンゴ・サモサ・コーラ・ミルク) 12:30 ウプシ発 ここから通い慣れた道に入る。 13:40 レー到着 思いの外早かった。懐かしの KANG-LHA-CHHEN ホテル
14:00 各自部屋へ
14:30°16:00 中庭で全員無事帰還祝い(ビール・ウィスキー・ジュース・つまみ)19:00 夕食 藤井さんも元気回復 久しぶりに全員揃う。
20:00 食後、今後の方針を話し合い、各自部屋へ。以後自由行動
朝、森田先生の「お茶がわいたよー」の声で起床。
高冷地のため、寒さが身にこたえる。ツォカルの夜明けだ。6時頃より、東の山頂附近一帯の雲が茜色に染まり、やがて20分もたつと草原一帯が太陽の光に包まれる。今日も快晴である。
ツァー3日目、今日はレーに戻る日、心なしか身も心も軽くなる。毎日7.8時間もジープにのり悪路で揉まれた。道らしい道を走ったのは最初の日の2時間半だけだ。
マヒの集落でインダス川を渡ると、河原と砂漠地帯のなかを走る。いけどもいけども目的地に近付いているような目標物が見つからない。広大な大地の所々に少しばかりの草地があり、数人の遊牧民に引き連れられた山羊がいるくらいである。
今日もまた同じような道を走る。高度4000m以上の荒涼とした大地をほこりと揺れに苦労しながら30分も走ったろうか、突然舗装道路に出る。マナリ−レー−スリナガルの幹線道路である。運転手は「マナリハイウェー」と言った。
ウプシへ90Km・レーまでは 135Kmの地点である。道はやがてTOGLUNG-LA (5300m)の峠にさしかかる。舗装はなく悪路となり、山腹をあえぎながら走り峠に出る。
乾燥地帯のため雪はなく、湧水はつららとなり、道路には氷が張っている。下りになり近道をし、途中荒れ道にはばまれ先頭車が立往生、スタッフの手押しでやっと脱出する一幕もあった。
まもなく一昨日通ったウプシに到着、軽い食事をすませ、レーに帰着する。二泊三日のサファリコースの無事終了。中庭で下山祝いをする。藤井さん栗原さんも元気でほっとする。
17時30分頃よりシャワーのお湯が出る予定だったが、ぬるくて使用できない、これもインドかな?当初予定のジープによってマナリへ帰るコースも駄目らしい。飛行機の手配も不明、翌日の行動も夕方に知らされる状態、やはりサンペルではむりだったのかな?明日は予定なしの休日とのこと、皆はそれで納得しているのかな。
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第11日 9/13 (水) 行程 停滞 休養 (自由行動日)
記録 森 田 雅 夫 天気 晴れ 気温 4時頃 3゜C
5:30 コーランの響きで目覚めたが、そのままうとうとする。 6:00 起床 血圧・脈拍の測定 6:10 血圧計を各部屋にまわす。 8:15 朝食千代田さん不調、自室で食事(やや風邪気味) 9:00-12:00 休養のため、各自自由行動となる。
・昼食の食材調達のため買い出しにでる(橋上・栗原・藤井)
・他のひとは洗濯記録の整理等で過ごす。
12:30°13:30 昼食・栗原コック長による和風サラダ(トマト・玉葱・カニ缶等)
・ホテルのメニュー(大根・ジャガ芋・人参・カリフラワー、マカロニ・バナナ等)調理、味付けに配慮あり。14:00-18:00 午後の自由行動 各自各様
19:00-20:00 夕食卵スープやラム酒等でたいへん盛り上がる。
森田千里さんの十八番「インダスで鯨がとれる」歌がとびだす。
20:00 サンペルより明日の行動予定の報告。
・ゴンパ見学し、昼食はホテルで・体調の悪いひとは考えて行動する。
21:00 各部屋ごとに就寝。
午後の暖かな日差しのもと、ベッドにもぐりこみ、うとうとしているうちに何時の間にか寝入ってしまった。コーランの甲高い声が部屋に飛び込んできた。はっと目覚めたそういえば今朝もコーランの音で目覚めた。ともに5時であった。
コーランの朗唱の声は哀愁をおびていて、私になにか懐旧の気持ちを起こさせてくれる。外気は冷気となってキュッと身を引き締めてくれる。
桃源郷の旅も10日あまり経過すると、疲労も蓄積し、何の行動もない空白の一日が必要になってくることを実感する。
ぼんやりした一日ではあるが少々考えた。現役で活動している人たちにとって、秘境ラダックで数日のホリデーを過ごすことは必要なことだと思う。現在年金生活で、のんびり過ごしている私にとってもここでの生活は必要のように思えるのだから。
それは今後の人生になんらかの示唆を与えてくれるからと思えてならない。本当に雄大な大自然、時の流れを超越した環境に身を置いてみると、自己の存在の小ささをいやというほど感じさせられる。
過去については致し方ないが、残された余生について、死について考えてみたい。
森田千里氏の人生観では、「普通、生と死は紙の表裏のように考えられているが、同一平面上にあるのだ。平面のある時が生であり、ある時死になる。生と死は同一平面上で気紛に発生する」という考え方である。
そして彼は「最後はタクラマカン砂漠の中で人生の終焉(死)を迎えたい」と大声で言い、あとはカラカラとした笑い声でしめくくった。
私はこの話をききながら、同感の思いにかられながら、自分に当てはめて考えてみた人間の生死は紙の表裏ではないという彼の考えに似ているのだが、私流に言えばメビウスの環のように考えればいいのではないかと言うことである。即ち、メビウスの環は表だけである、あるいは裏だけであると言ってよい。
彼は人生の終末をインドに求めて生きようとしている。私も地球の表面を眺めまわして、広く浅く捜し回りながら、どこかで終焉を迎えられたらなあ\\\\\\と思う。
私もまだその場所はわからない。、限られた時間のなかでそれを追い求め、放浪の旅を続けたい。
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