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タイトル世界の峠
記事No137
投稿日: 2001/03/29(Thu) 10:33:12
投稿者*
***

タイトルナバセラーダ峠(1860m)スペイン
記事No393
投稿日: 2004/05/19(Wed) 13:15:11
投稿者kitamura
Navacerrada -Puerto de ナバセラーダ峠(1860m)
map:EURO-ATLAS-Spain-P74-Vf104

誰がために鐘はなる・・・ヘミングウェイの舞台
ロバート・キャパ・・・1937.5.31 キャパが訪れ、バレンシアでゲルダと合流

マドリッド近郊・北

http://www.kana-chiri.jp/sekai/album_09.htm
ナバセラーダの稜線
スペイン ナバセラーダ峠
1982.7.22/渡部 瞭
マドリッドの北方、セゴビアに近いグアダラーマ山脈のナバセラーダ峠に登山電車で登った。稜線には国境でもないのにかなり立派な軍事施設がある。風が強いらしく、亜高山植物の風衝草原が見られる。

タイトルララヤ峠(4,335m)
記事No319
投稿日: 2002/12/03(Tue) 11:24:22
投稿者*
ペルー:クスコから県境のララヤ峠4,335mを・・・

http://www6.ocn.ne.jp/~kkato/peru.html

タイトルセブレイロ峠1300m:スペイン
記事No294
投稿日: 2002/08/15(Thu) 09:45:08
投稿者***
セブレイロ峠:スペイン巡礼の道

http://homepage2.nifty.com/izmreise/Europe/Spain/Santiago/santiago06.htm

タイトル世界百名山
記事No272
投稿日: 2002/03/25(Mon) 11:16:17
投稿者*集約
世界百名山(白川義員氏プロジェクト)


世界百名山(白川義員氏プロジェクト)の中に、ヨーロッパアルプスは幾つ出てくるでしょう?そしてその近くの峠は?
−−−−−

 世界百名山選考委員が選定した百十名山に、白川氏が追加した三山を加え、合計百十三山とした。百十三座をすべて撮影し、百名山選定基準に従って最終的に白川氏が百山にする予定。
 「選定基準」は、以下のとおり。
1 雄大、壮大、荘厳であること。鋭さも必要だが、なによりも品性が高く、格調高い山であること。
2 独自の風格を持つ山。
3 人類の精神史に重要な関わりを持つ山(例えばシナイ山のような山)。
4 敬虔な信仰の対象になっている山(例えばマチャプチャレのような山)。
5 高さの順に選ぶわけではないが、高さも重要な要素となる。
6 登山史上有名な山
  (白川氏策定)

 撮影プロジェクトは97年2月中旬にパイネ主峰の撮影からスタートし、2000年にサガルマータ(エベレスト)でフィニッシュとし、約四年かける予定。計算によると一座を十一日間で仕上げ、すべて航空撮影後、地上撮影地点を決める。
 写真集は2001年に小学館から第一巻「アジア編」(二分冊の予定もあり)、第二巻「アフリカ・オセアニア・ヨーロッパ、南北アメリカ編」(各巻予価三万九千円)として刊行される。
(岳人 1977年2月号 P.102-103 より)
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世界百名山候補リスト(110座)

山名 高度 深田百世界名山

1 カンチェンジュンガ 8586
2 クンバカルナ 7710
3 サガルマータ 8848
4 マカルー 8463 ●
5 ローツェ 8511
6 プモリ 7161
7 チャムラン 7319
8 アマダブラム 6812 ●
9 チョー・オユー 8201
10 ギャチュンカン 7952
11 ガウリシャンカール 7134
12 ランタンリルン 7234
13 ドルジェラクバ 6966
14 マナスル 8163
15 ヒマルチュリ 7893
16 アンナプルナI 8091
17 アンナプルナII 7937
18 マチャプチャレ 6993
19 ダウラギリI 8167
20 ダウラギリIV 7661
21 アピ 7132
22 サイパル 7031
23 ティリッチ・ミール 7708 ●
24 ノシャック 7492
25 パトゥーラI峰 7785
26 ラカポシ 7788
27 スパンティーク 7027
28 マルビティン 7458
29 ハラモシュ 7409
30 ナンガ・パルバット 8126
31 ディスタギル・サール 7885
32 トリヴォール 7728
33 キンヤン・キッシュ 7852
34 バインタ・ブラック 7285
35 K2 8611 ●
36 ムスターグ・タワー 7273 ●
37 ブロード・ピーク 8047
38 ガッシャーブルムI 8068
39 ガッシャーブルムII 8035
40 ガッシャーブルムIV 7925
41 マッシャーブルム 7821
42 バルトロ・カンリ 7240
43 チョゴリザ 7665
44 トランゴ・タワー 6294
45 サルトロ・カンリ 7742
46 リモ 7385
47 マモストン・カンリ 7526
48 サセール・カンリ 7872
49 ヌン 7135
50 シブリン 6543
51 サトバント 7075
52 ニルカンタ 6596 ●
53 カメット 7756
54 ナンダ・デヴィ 7816 ●
55 トリスル 7120
56 チャンガバン 6864
57 シニオルチュー 6887 ●
58 ガンケル・プンズム 7590
59 シチュ・ダケ 6809
60 ナムチャ・バルワ 7782
61 ギャラペリ 7295
62 クーラ・カンリ 7531
63 チョモラーリ 7314 ●
64 シシャパンマ 8027
65 カンリンポチェ 6658
66 ナム・ナニ 7695
67 メンルンツェ 7181
68 ムスターグ・アタ 7546
69 コンダール 7719
70 ミニャ・コンカ 7656 ●
71 エルブルース 5595 ●
72 ウシュバ 4710
73 コミュニズム 7495
74 レーニン 7134 ●
75 ポベーダ 7439
76 ハン・テングリ 6995 ●
77 ビンソン・マシフ 4897
78 チンボラソ 6310 ●
79 チャクララフ 6112
80 ワスカラン 6768 ●
81 アルパマヨ 5947 ●
82 イェルパハ 6634
83 ヒリシャンカ 6126
84 サルカンタイ 6271
85 アコンカグア 6959 ●
86 フィッツ・ロイ 3405
87 パイネグランデ主峰 3050 ●
88 セロ・トーン 3020
89 ローガン 6050 ●
90 ロブソン 3395
91 アッシニボイン 3618
92 マッキンリー 6194
93 ハンター 4442
94 フォーレイカー 5304
95 アイガー 3970
96 マッターホルン 4478
97 ヴァイスホルン 4505
98 グランドジョラス 4208
99 モン・ブラン 4807 ●
100 ケニヤ山 5193
101 キリマンジャロ 5895 ●
102 ルウエンゾリ 5095 ●
103 シナイ山 2285
104 アララット 5165 ●
105 デマベンド 5670 ●
106 カルステンツ・ピラミッド 4884
107 クック 3764 ●
108 白頭山 2774 ●
109 富士山 3776
110 阿蘇山(高岳) 1592

●:深田久弥の絶筆「世界百名山」に登場した41座のうち、26座。
http://www.dent.niigata-u.ac.jp/restend/okamoto/mtlis/sinsekai.html

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http://www.dent.niigata-u.ac.jp/restend/okamoto/mtlis/sekai.html
に、以下の記事があることを発見
「世界百名山」
深田久弥 世界百名山  絶筆41座 新潮社初版本
昭和四十九年十一月三十日発行 (子田晃一助教授より資料提供)

 「世界百名山」は、雑誌「岳人」に1970年1月号から毎月三編づつ連載され、翌71年3月21日の茅ヶ岳における深田久弥の急逝によって中断された。(雑誌発表は、同年4月号まで)
 新潮社より発行されたハードカバーには、41座に加えて、当然執筆が予定されていたと考えられ、且つ「世界百名山」中に重要な位置を占めると思われるエヴェレスト、カンチェンジュンガ、マナスルの三座を、他の著作の中から採録し、補充してある。
 時代は、常に移り変わり行く。ヒマラヤでトレッキング中の日本人が大量遭難といった事件からも判るように、海外の山も、興味の対象という点からは、先鋭クライマーの物だけではなくなりつつある。深田久弥の世界百名山は、今こそ、時代を先取りした名著になろうとしているのかもしれない。
世界百名山リスト(絶筆41座)
世界の百名山 ―アルマン氏の選んだ―
世界百名山のてがかり
地理10月増刊「世界の山やま」
世界の山を知りたい人のために

http://www.dent.niigata-u.ac.jp/restend/okamoto/okamotohome.html

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タイトルアンジャマ峠4700m(パキスタン:アフガン)
記事No211
投稿日: 2001/10/11(Thu) 22:36:55
投稿者kitamura
アンジャマ峠4700mというニュースが、TV映像で流れていました。
たくさんのアフガンの難民がトラックに乗って避難していました。

早く平和な地上が欲しいです。
(パキスタン:アフガニスタン国境のようです)

タイトルカイバル峠(1070m)(パキスタン:アフガニスタン)
記事No201
投稿日: 2001/09/26(Wed) 18:55:43
投稿者kitamura < >
Khyber-Pass
カイバル峠
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%AB%E5%B3%A0
標高1070m

パキスタン北西辺境州の州都ペシャワル郊外から、アフガニスタン国境の町トルハムに至る全長50キロ。紀元前15世紀のアーリア人に始まり、ペルシャ人、モンゴル人、トルコ人、アフガン人……と、多くの征服者が峠を越えてインド亜大陸に侵入した。ギリシャのアレクサンダー大王も足跡を残している。

−−−−−−−−−−
Mainichi INTERACTIVE アイ
http://www.mainichi.co.jp/news/journal/eye/200005/20-1.html
歴史のロマン カイバル峠 現実の厳しさ
−−−−−−−−−−
K.Chiba & N.Yanata
http://www.ne.jp/asahi/eden/kanata/pakistan/khyber/guide.html
Pakistan〜魅惑のパキスタン
−−−−−−−−−−
篠山貴信
http://shinoyama.cplaza.ne.jp/tabi/htm/03000/khyberpass/hin_sample02.html
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タイトルスペイン:ベレタ峰:峠:3398m
記事No168
投稿日: 2001/05/31(Thu) 15:31:58
投稿者
ベレタ峰ですが、スペインのグラナダから50kmほどで、高さはミシュランのグリーンガイドによると3398mあるそうです。以前は山頂まで車で行けたそうですが、現在は山頂11km手前で道がさえぎられています。もし、本当の山頂に行きたければ、そこは自分の足で登らなければいけません。
それと景色ですが乾いた空気なので遠くの山々まではっきりと見渡せますが、いかんせん夏のスペインの乾いた大地。茶色ともねずみ色とも見える山肌なので美しいとは言いがたかったです。
やはり山頂まで登頂し、360度の大パノラマを体験しないと本当の良さはわからないかもしれません。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=TR&action=m&board=183 ..... amp;mid=57
(Naolyさん /東京都目黒区)

タイトルRe: スペイン:ベレタ峰:峠:3380m
記事No629
投稿日: 2013/12/23(Mon) 00:55:17
投稿者kitamura
ベレタ峠Veleta(シエラネバダ山地)は行き止まり。グラナダからの道路は、2530Mで公道が終っている。

タイトルニュージランド:クラウンサドル1121m
記事No167
投稿日: 2001/05/31(Thu) 15:24:40
投稿者
NZの国道で、最高所を通る峠は、私の住むクィーンズタウンから
ワナカという街へ行く、裏道にあります。標高1121m。
ここは以前は『魔のクラウンサドル』と言って、レンタカーは通行禁止でした。
あまりにも事故が多かったので。いまは峠の南側3kmほどを残して
舗装されたので、レンタカーでも行けるとか。

あとクライストチャーチからクィーンズタウンへ来る途中の
メインストリートに当たる国道8号線に、リンディスパスという、
標高965mの峠があります。クラウンサドルもリンディスパスも、
冬には凍結する怖い道です。(Furudanukiさん/クィーンズタウン)
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=TR&action=m&board=183 ..... mp;mid=128

−−−−−−
http://www.kisnet.ne.jp/~esau/n_z5.html
(Crown Rangeの峠:写真:toroppeさん)

タイトル中国/キルギス国境:トルガルト峠3600m
記事No166
投稿日: 2001/05/28(Mon) 15:38:33
投稿者
http://peach.mis.ous.ac.jp/~horizon/harappa/_tsushin/_tsus98/tsus9807.html
地平線ポストから

(トルガルト峠3600m)中国、キルギス国境
●生田目が行く! バイクで中央アジアへ!
 オートバイでは「世界初」

◆シルクロードをバイクで走りたい! そんな思いで発足したツーリングクラブ「シルクロード」の旅も今回で3回目となり、90年と93年で中国のタクラマカン砂漠を一周し、いよいよ98年は中国からキルギスタン、カザフスタンを走り、ウズベキスタンのサマルカンドまで足を伸ばすことにしました。

◆目標は決めたものの、初の中国脱出、情報の少ない中央アジア。バイクの調達、メンバーの募集(毎回、雑誌などで全国から募っています)など、問題は山積みでした。8月5日の出発まで1ヶ月を切った現在でさえ、行ってみなけりゃわからないことだらけなのです(トホホ・・)。

◆それにつけても会長の私ですら面食らったのが旅行代金でした。何せ個人の手配旅行のグループ版ですから、どう見積もっても安く上がらないのです。当初の70万円でもビックリなのに円安も手伝ってか、とうとう100万円近くかかってしまうこととなり(おかげで私はあくせくと昼夜仕事三昧の資金稼ぎの日々となり名ばかりの会長職となってしまいました)、初回及び2回目参加組のクラブ員ですら家庭の事情や仕事の都合でほとんどが残留サポーターとなってしまい、最終的にはクラブ員5名、初参加5名の10名が集まりました(内女性5名は結構凄い!)。

◆東南アジアなど、10万円もあれば1ヶ月は沈没できる時代に、たった2週間の旅に100万円の大枚はたいて苦労しに行く酔狂な(ありがたい)仲間が10人もいるとは、不況日本もまだまだ大丈夫だなと思わされます(笑)。「若いうちの苦労は100万円かけてもしろ」の一例。

◆中国西域カシュガル空港に我々は自分たちのツーリング用品の詰まった大荷物と共に着けるのか? ――前回は荷物が積みきれず別便(翌日)となり出発が遅れてしまいました。

◆カシュガルまで無事にバイクが来ているか? ――日本製のオフロードバイクなので盗まれる?

◆中国、キルギス国境(トルガルト峠3600メートル)はB級国境(国境にAとかBとかランクあり)――B級は土日は休みで24時間OPENではない! 富士山よりも高い国境で開いてなかったら鼻水どころか笑いも凍りそうだ!

◆国境を越えて高山病と闘いながら、寒空野営なのです。――だって宿がないのヨ(キルギスは中央アジアのスイスと言われています。高地→高山病→寒い→つらい→笑)

◆カザフ、ウズベクは今40℃近いらしい。北風と太陽か、スイスからサハラか‥すごいな。「ニュース速報」7月9日付け、本日、キルギス、カザフ国境大洪水により行方不明者70余名にのぼる模様・・・・えっ? まじ? 道残っているのかな? 我々キジルクムキャラバンは無事に青の都サマルカンドに辿り着けるのか?! 事の顛末は次回報告にて! 乞う御期待!! [生田目明美]

タイトルトグラングラ峠 (5366m)
記事No164
投稿日: 2001/05/28(Mon) 15:17:58
投稿者
ツォカル→トグラングラ→ウプシ→レー

http://www.aa.alpha-net.ne.jp/ishikuni/trekking/95/l_kirok2.htm

チョルテンのある峠 (4895m地点)

5000mちかい峠をこえてツモレリ

トグラングラ峠着 (5366m)
TOGLUNG-LA (5300m)の峠

タイトルRe: トグラングラ峠 (5366m)
記事No165
投稿日: 2001/05/28(Mon) 15:28:38
投稿者
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/ishikuni/trekking/95/mokuji.htm
手作りのヒマラヤ旅行
ラダック隊報告:7-12日報告
→10日目
−−−
−−−

第8日 9/10 (日) 行程 レー→ツモレリ湖 (TSOMURARI)
記録 山 崎 晃 天気 晴れ 気温 5 00 3゜C

6:00 起床 藤井さん不調栗原さんの付き添いで二人残留ときまる。 7:30 朝食栗原・千代田さんの努力で生野菜が豊富、ジャガ芋もうまい。 8:30 ツアー出発 3台のジープでツモレリ湖へ。

9:45 ウプシで1回目のチェック (レーより 49Km)

10:05 ウプシ出発(ここからマナリへの道が分かれる。424Km )

10:55 HIMYA 休憩 (レーより 80Km)

12:43-13:25 昼食チョモタンという集落で、ランチボックス(りんご、コロッケ、パン、チョコ)

14:00 マヒで 2回目のチェック (レーより 159Km) MAHI(4180m)

ここから橋を渡り、未舗装の道を67Km走ればツモレリ湖。

15:00 休憩 (4680m地点)

15:22 チョルテンのある峠 (4895m地点) やや下り、塩の湖のまわりを走る。

16:00 ツモレリ湖の見える台地チベッタンのキャンプあり。

16:50 ツモレリ湖畔の集落につくポリスチェックをうける。

17:04 ツモレリ湖畔のキャンプ地につくテント設営 高度障害で作業がつらい

18:40-19:00 夕食 餅ラーメン 食欲減退食欲一番は森田千里さん

20:00 それぞれのテント 就寝外は月光が煌々と照る。


とにかくツモレリは遠かった。レーより226Km、そのうち約160Kmは軍用道路なので舗装がしてあるが、少々ゆれるがまずまずの道である。しかし小さなジープでは快適なドライブというわけにはいかない。ウプシはロータンパスやバララチヤ峠が開かれていれば、軍の冬期用の燃料や資材を運ぶトラックでにぎわっているとのこと。

ウプシでマナリへの道と分かれ、インダスの源流添いにさかのぼる。赤茶けた岩山が延々と続く、うんざりする程走って、やっとマヒにつく。ここで簡単な鉄橋でインダスを渡り、谷間の流れに添ってツモレリへのぼっていく。この悪路が67Kmである。

ここを3時間激しくゆられ、5000mちかい峠をこえてツモレリに向かう。途中KORZAKという集落を通る。約4300mぐらい、よくこんな高地に定住しているものだと感心していたが、道はここから急登となり、チョルテンのある峠に出る。

チャンタン高原の一角に入った。やや下り塩湖の周囲をめぐり台地を上りつめると、遠くにツモレリの青い湖面が見えた。バックに雪山が聳えている。思わず歓声があがるこのへんから遊牧民のキャンプがいくつかある。

日も西に傾き、湖畔をまわる道すじは山陰にはいりうす暗く、ツモレリの奥深さを感じさせる。キャンプ地は湖畔の定住集落の近くだった。

テントを設営していると、子供たちが集まってくる。気温が10゜C以下に下がっているのにハダシだ。粗末な衣服をまとい、生まれてから顔を洗ったことがないような黒い顔をしている。

4500mでのテント設営の作業は少々つらい。レーでの高度順化があっても、1000mも高度があがるとやはり苦しい。寒さもあって、作業に対しての積極性がなくなってしまう。夜は0度前後の気温になり、寒くて安眠できなかった。
−−−

第9日・ 9/11 (月) 行程 ツモレリ湖 (TSOMURARI)→カル湖(TSOKAR)
記録 柿 沼 博 天気 朝薄曇り後晴れ 気温 4:30 -3゜C&curren;7:30 +3゜C

6:30 起床9月中旬というのに冬の寒さである。 8:00 朝食(おかゆにボイルしたじゃがいも) 9:20 キャンプ地を出発 徒歩で集落をぬけ、湖畔へ。

10:00 キッチンテント等を撤収したスタッフがジープにのり追いつく。全員乗車

11:20頃 昨日越えてきた4895mの峠を越える。

12:05頃昨日のコースを逆にくだり、KORZAK村で右折し、カル湖方面へ。

12:15 開けた山間の中央を流れる川の近くに温泉が湧きだしている。

13:20 4900mの峠を越え、再びチャンタン高原へ。チョルテンのわきを通る。

14:00-15:00 昼食だいぶ遅れて高原を流れる川の付近で食事(野菜ラーメン)

遊牧民の青年がやってくる。灯油とたばこをもらいに。

15:20 車の中から、高原に住む動物を見る。野性の馬でキャンという。

16:00 カル湖を半周して、草原のキャンプサイトに着く。テント設営。

17:30 夕食 (おかゆに切り昆布・味噌等)

19:00 この頃までテントの外でお茶を飲みながら雑談をする。

20:00 各テントで就寝寒くて長い夜をすごす。外は満月。


朝食前にゴンパの裏の高台に登ってみた。陸の孤島のようなこんな高地の湖畔に実に立派なゴンパが建っている。ゴンパの後の高台には5〜6m程もある大きなストウバが10基程並んでおり、青く澄んだ大きな湖を見下ろしている。

湖の周囲は白雪を頂いた山々が連なり、実に荘厳な風景である。

KORZAK村で昨日来た道と分かれて、TSOKARの方向に向かった。途中地面が一面に霜が降りたように白くなっている。ジープの運転手によると、温泉のためだと言う。ジープから降りてみると、4〜5mも蒸気を吹き上げているところがあった。

地面の白さはソーダ分らしい。テントを張っている遊牧民家族がいたが、温泉に入りに来ているらしい。森田先生の話によると、毒性のある温泉もあるらしい。

カル湖の周辺の広大な草原を鹿のような動物が二頭走っていた。キャンとかいう珍しい馬だとのこと。

草原の小川のほとりで昼食をとっている時、はるか遠くから人間らしい二つの影がこちらに近付いてくる。みるみるうに我々の所へやってきた。遊牧民の若者二人である。殆ど人の通らぬこの地へ来たジープをはるか数キロの先から見つけてきたらしい。我々のスタッフから石油をもらい、我々からはタバコをもらいうまそうにふかしていた。残り物の野菜ラーメンを食べ、久しぶりのご馳走にありついたようだ。

TSOKARはチャンドラタール程の広さで、湖畔は雪か霜のように真っ白である。何千年もの間に溜まった塩分であろう。

荒涼たる広大な砂礫の大地につけられた一筋のかすかな道にそって、点々と崩れかけたストゥパがたっていて、それが道標となっている。今ではジープで数時間で行ける谷間の村々も、昔は何日もかけて歩かなくてはならないかすかな通路で結ばれていた。ストゥパはだいじな道しるべでもあったのだろう。

−−−
第10日 9/12 (火) 行程 ツォカル→トグラングラ→ウプシ→レー
記録 橋上 定次郎 天気 晴れ 気温 5:00 -4゜C

5:30 起床森田先生のモーニングコールで眠気をはらい起きだす。 7:25°7:40 朝食(赤飯・ラーメン・オムレツ・ポテト) 8:30 テント撤収し、出発 9:45 トグラングラ峠着 (5366m) 寒風のなか写真撮影 10:00 トグラングラ峠発ウプシへ下る。途中近道をしてジープ一台悪路にはまる。10:50°11:00 RUMTSEで休憩 チャイをのむ。

11:50 ウプシ着(ビスケット・チャイ・リンゴ・サモサ・コーラ・ミルク) 12:30 ウプシ発 ここから通い慣れた道に入る。 13:40 レー到着 思いの外早かった。懐かしの KANG-LHA-CHHEN ホテル

14:00 各自部屋へ

14:30°16:00 中庭で全員無事帰還祝い(ビール・ウィスキー・ジュース・つまみ)19:00 夕食 藤井さんも元気回復 久しぶりに全員揃う。

20:00 食後、今後の方針を話し合い、各自部屋へ。以後自由行動

朝、森田先生の「お茶がわいたよー」の声で起床。

高冷地のため、寒さが身にこたえる。ツォカルの夜明けだ。6時頃より、東の山頂附近一帯の雲が茜色に染まり、やがて20分もたつと草原一帯が太陽の光に包まれる。今日も快晴である。

ツァー3日目、今日はレーに戻る日、心なしか身も心も軽くなる。毎日7.8時間もジープにのり悪路で揉まれた。道らしい道を走ったのは最初の日の2時間半だけだ。

マヒの集落でインダス川を渡ると、河原と砂漠地帯のなかを走る。いけどもいけども目的地に近付いているような目標物が見つからない。広大な大地の所々に少しばかりの草地があり、数人の遊牧民に引き連れられた山羊がいるくらいである。

今日もまた同じような道を走る。高度4000m以上の荒涼とした大地をほこりと揺れに苦労しながら30分も走ったろうか、突然舗装道路に出る。マナリ−レー−スリナガルの幹線道路である。運転手は「マナリハイウェー」と言った。

ウプシへ90Km・レーまでは 135Kmの地点である。道はやがてTOGLUNG-LA (5300m)の峠にさしかかる。舗装はなく悪路となり、山腹をあえぎながら走り峠に出る。

乾燥地帯のため雪はなく、湧水はつららとなり、道路には氷が張っている。下りになり近道をし、途中荒れ道にはばまれ先頭車が立往生、スタッフの手押しでやっと脱出する一幕もあった。

まもなく一昨日通ったウプシに到着、軽い食事をすませ、レーに帰着する。二泊三日のサファリコースの無事終了。中庭で下山祝いをする。藤井さん栗原さんも元気でほっとする。

17時30分頃よりシャワーのお湯が出る予定だったが、ぬるくて使用できない、これもインドかな?当初予定のジープによってマナリへ帰るコースも駄目らしい。飛行機の手配も不明、翌日の行動も夕方に知らされる状態、やはりサンペルではむりだったのかな?明日は予定なしの休日とのこと、皆はそれで納得しているのかな。

−−−
第11日 9/13 (水) 行程 停滞 休養 (自由行動日)
記録 森 田 雅 夫 天気 晴れ 気温 4時頃 3゜C

5:30 コーランの響きで目覚めたが、そのままうとうとする。 6:00 起床 血圧・脈拍の測定 6:10 血圧計を各部屋にまわす。 8:15 朝食千代田さん不調、自室で食事(やや風邪気味) 9:00-12:00 休養のため、各自自由行動となる。

・昼食の食材調達のため買い出しにでる(橋上・栗原・藤井)

・他のひとは洗濯記録の整理等で過ごす。

12:30°13:30 昼食・栗原コック長による和風サラダ(トマト・玉葱・カニ缶等)

・ホテルのメニュー(大根・ジャガ芋・人参・カリフラワー、マカロニ・バナナ等)調理、味付けに配慮あり。14:00-18:00 午後の自由行動 各自各様

19:00-20:00 夕食卵スープやラム酒等でたいへん盛り上がる。

森田千里さんの十八番「インダスで鯨がとれる」歌がとびだす。

20:00 サンペルより明日の行動予定の報告。

・ゴンパ見学し、昼食はホテルで・体調の悪いひとは考えて行動する。

21:00 各部屋ごとに就寝。

午後の暖かな日差しのもと、ベッドにもぐりこみ、うとうとしているうちに何時の間にか寝入ってしまった。コーランの甲高い声が部屋に飛び込んできた。はっと目覚めたそういえば今朝もコーランの音で目覚めた。ともに5時であった。

コーランの朗唱の声は哀愁をおびていて、私になにか懐旧の気持ちを起こさせてくれる。外気は冷気となってキュッと身を引き締めてくれる。

桃源郷の旅も10日あまり経過すると、疲労も蓄積し、何の行動もない空白の一日が必要になってくることを実感する。

ぼんやりした一日ではあるが少々考えた。現役で活動している人たちにとって、秘境ラダックで数日のホリデーを過ごすことは必要なことだと思う。現在年金生活で、のんびり過ごしている私にとってもここでの生活は必要のように思えるのだから。

それは今後の人生になんらかの示唆を与えてくれるからと思えてならない。本当に雄大な大自然、時の流れを超越した環境に身を置いてみると、自己の存在の小ささをいやというほど感じさせられる。

過去については致し方ないが、残された余生について、死について考えてみたい。

森田千里氏の人生観では、「普通、生と死は紙の表裏のように考えられているが、同一平面上にあるのだ。平面のある時が生であり、ある時死になる。生と死は同一平面上で気紛に発生する」という考え方である。

そして彼は「最後はタクラマカン砂漠の中で人生の終焉(死)を迎えたい」と大声で言い、あとはカラカラとした笑い声でしめくくった。

私はこの話をききながら、同感の思いにかられながら、自分に当てはめて考えてみた人間の生死は紙の表裏ではないという彼の考えに似ているのだが、私流に言えばメビウスの環のように考えればいいのではないかと言うことである。即ち、メビウスの環は表だけである、あるいは裏だけであると言ってよい。

彼は人生の終末をインドに求めて生きようとしている。私も地球の表面を眺めまわして、広く浅く捜し回りながら、どこかで終焉を迎えられたらなあ\\\\\\と思う。

私もまだその場所はわからない。、限られた時間のなかでそれを追い求め、放浪の旅を続けたい。


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タイトルインデペンデンスパス(3700m)
記事No162
投稿日: 2001/05/28(Mon) 14:19:11
投稿者
標高3700mのインデペンデンスパス:峠
アメリカ大陸横断:コロラド
http://www.sljapan.com/transtour.htm

タイトル賀曽利隆さん
記事No160
投稿日: 2001/05/28(Mon) 13:33:44
投稿者
http://peach.mis.ous.ac.jp/~horizon/harappa/_news/_news96/news96-05.html

■賀曽利隆の著書

『アフリカよ』(浪星・1973年7月31日)
『極限の旅』(山と溪谷社・1973年11月1日)
『歩いて出会って六大陸』 (日本放送出版協会・1075年6月20日)
『賀曽利隆のオートバイ・ツーリング』(成美堂山版・1982年8月20日)
『賀曽利隆の峠越え』 (交通タイムス社・1983年11月25日)
『50ccバイク日本一周ツーリング・上巻』(交通タイムス社・1984年5月15日)
『50ccバイク日本一周ツーリング・下巻』(交通タイムス社・1984年6月25日)
『オフロードライダー』(晶文社・1985年10月25日)
『貧乏ツーリングBIBLE』(光文社・1986年6月20日)
『アフリカを疾る』(光文社・1987年4月20日)
『俺たちのパリ→ダカール』(講談社・1987年7月10日)
『峠道バイクツーリングガイド(1)』(交通タイムス社・1987年7月15日)
『峠道バイクツーリングガイド(2)』(交通タイムス社・1987年12月5日)
『爆走!SAHARA』 (講談社・1989年5月15日)
『50ccバイク日本一周2万キロ』(日本交通公社・1990年11月15日)
『賀曽利隆のオフロー道』(学習研究社・1992年1月1日)
『峠越え』 (光文社・1992年7月20日)
『50ccバイク世界一周2万5000キロ』(日本交通公社・1992年11月15日)
『日本の林道&峠1000』(モーターマガジン社・1992年12月15日)
『海外ツーリング完全ガイド』(イーストプレス・1994年6月18日)
『バイクで駆けるインドシナ1万キロ』(日本交通公社・1994年7月1日)
『バイクで越えた1000峠』(日本交通公社・1995年10月1日)
『鈍行乗り継ぎ湯けむり紀行』(日本交通公社・1995年12月1日)
『バイクで駆ける 地球食べある記』(三一書房・1996年4月30日)
-----

日本国内では、1975年以降、「峠越え」をつづけているが、1994年11月に1000峠を達成。また、同じく1975年以降、「温泉踏破行」をつづけているが、1995年6月に1000湯を達成。1996年5月1日現在、越えた峠は1178峠、入った温泉は1161湯におよぶ

タイトルアンデス山岳標高5,000mの峠越え
記事No159
投稿日: 2001/05/28(Mon) 13:16:35
投稿者
永原弘行の地球ツーリングレポート

中米・南米大陸縦横断49,000kmの記録 ☆

アンデス山岳地帯 標高5,000mの峠越え、泥沼の
トランスアマゾニカ横断。一年間17カ国放浪の記録。
 モバイルPCを用いて旅先からアップロード
−−−−−
中米・南米大陸縦横断ツーリング
 By Hiroyuki Nagahara 永原弘行
http://www.northernwalkers.com/southamerica/info/road.htm

アンデス4,000m級の峠道・・・
バックロード 未舗装路でも結構よく整備されている。コトパクシはザクザクの山砂なので、4,800mの小屋まであがるには

タイトルジャンガヌコ峠(4767m)
記事No161
投稿日: 2001/05/28(Mon) 14:06:59
投稿者
http://www.northernwalkers.com/southamerica/peru/19980709.htm
ジャンガヌコ峠(4767m)
Col Huacoccha:標高4350mの峠

タイトルRe: 世界の峠ランキング投票・・工事完了
記事No144
投稿日: 2001/04/10(Tue) 18:58:20
投稿者kitamura
タイトル: 世界の峠ランキング
・・・工事完了しました

あなたの投票所のURL: ・・・工事完了です
http://www3.big.or.jp/~kitamura/bbsmvote/comvote.cgi?id=kitamura

--------------------------------------------------------------------------------

タイトルRe^2: 世界の峠ランキング投票
記事No145
投稿日: 2001/04/13(Fri) 21:36:39
投稿者TITO
> タイトル: 世界の峠ランキング
> 2重投票簡易防止: 防止しない
> 投票項目は?: 誰でも追加できる
> 投票形式: 投票理由も取得
> 最大投票項目数: 20 個まで
>

kitamura様、こんにちは。
お忙しいのに、リクエストに応えて頂いてしまって、たいへん恐縮です。
でも、なぜか私アクセスできません...
いまだにインターネットは不慣れです。
とりあえず、GWにどこかへ行ってきます。
峠に行けるかどうか分かりませんが、その時の結果を反映させたいものです。
それでは。

タイトルRe^3: 世界の峠ランキング投票
記事No146
投稿日: 2001/04/15(Sun) 17:23:51
投稿者kitamura
参照先http://w
TITO さん すみません
あのLINKさきは、目下工事中です。

前回設置したサイトは、もう追加が出来ませんでした。
で、その所からたどってソフトを入手し、設置してみたのですが・・・

動作がいまいちで・・・
そこで削除すればいい物を・・・仕事にかまけて・・・ほっておいてしまいました。すみません。

近日修正・動作確認後、連絡します

> kitamura様、こんにちは。
> お忙しいのに、リクエストに応えて頂いてしまって、たいへん恐縮です。
> でも、なぜか私アクセスできません...
> いまだにインターネットは不慣れです。
> とりあえず、GWにどこかへ行ってきます。
> 峠に行けるかどうか分かりませんが、その時の結果を反映させたいものです。
> それでは。

タイトル世界の峠ランキング投票・・OKです
記事No148
投稿日: 2001/05/01(Tue) 19:17:10
投稿者kitamura
参照先http://www3.big.or.jp/~kitamura/i-site/
ようやくOKになりました。
URLは

http://www3.big.or.jp/~kitamura/bbsmvote/comvote.cgi?id=kitamura

です。いくつかの過去の投稿から名前を書いておきました。
−−−−−−−−−

ヨーロッパアルプス峠ランキング --------
●申し訳ありません:前回の無料サイトで「ランキング投票」を皆さんにも投票していただいたのですが、消されてしまいました。
(「15日以上書き込みなしで削除」となったのか?)
●で、再度自サイト内に作りました(今度は消えません・・申し訳ありませんが再投票してください)
●投票ボタンをクリックすると投票されます。一人何回でもOKです。重み付けもお願いします

http://www3.big.or.jp/~kitamura/bbsmvote/comvote.cgi?id=pass001

タイトルデル・ベルメホ峠:3832m
記事No142
投稿日: 2001/03/31(Sat) 21:59:40
投稿者TITO
マニュアル車がなくてAT車だったので、走りながら景色を楽しむ余裕がありませんでした。(実は私、最近では珍しいAT恐怖症なのです。)
道はアルゼンチンのメンドーサとチリのサンチアゴを結ぶ大幹線道路で、大型トレーラーがたくさん走っており、そのせいか道幅も路肩もたいへん広く、カーブもとても緩かったです。
こういう道は、その気になれば簡単に100km出るはずですが、10年ぶりのAT車の運転で手に汗ばかりで精神的にきつかったです。また、もしマニュアル車だったとしても、チリではストレートの高速でさえ100km以上出す車が少なく交通マナーが良いので、ムチャな運転はしなかったと思います。(ついでにサンチアゴ市内の運転の方は、楽しかったですよ。)
ここはまるでヒマラヤのトレッキングコースにハイウェイを設けたようなもので山のスケールがものすごいです。何しろ6000m級に囲まれていますから。南米最高峰のアコンカグア(6959m)も近くにあります。
ずっと谷を走っていきますが、肝心の峠は、運転者が国境を越える旨、事前に登録しておかないと通過できません。私は、登録してませんでしたから、峠のチリ側のスキーリゾート(ポルティージョ)で素晴らしく美しい景色を眺めて、サンチアゴに帰りました。

タイトルティシュカ峠:2260m
記事No141
投稿日: 2001/03/31(Sat) 21:56:49
投稿者TITO
モロッコで最も標高の高い峠です。
ここの山脈はオートアトラスといってモロッコ南西部に連なっており、この山脈は冬は雪も多く、リフトが7基くらいあるスキー場もあります。
オートアトラス山脈は大西洋側の平原(ほとんど土漠)とサハラ砂漠の境にあり、ティシュカ峠は大西洋側の古都マラケシュとサハラ砂漠側のワルザザートを結ぶ幹線道路の最高地点です。峠といってもたいした観光地とはいえません。食堂も十分でなく、トイレも暗くて狭くて使い勝手が悪いです。
道路は整備されており、険しい部分は少ないです。
峠道としての気持ち良さを感じるのは、マラケシュ側の切り立った稜線上を走るところでしょう。ここは、両サイドが切れてますから、景色が良くてついついよそ見してしまいがちなので御注意を!
また、景色を眺めるならこの地点からマラケシュ側に下るところはだいたい納得いきます。
雰囲気としてはイタリア・ドロミテの小型版という感じでしょうか。
一方、ワルザザート側は峠を少し離れればすぐに遠望がききます。
峠道でスピードを出すのが大好きな人、すなわち身近な所で富士山スカイライン(南側)・鈴蘭からの乗鞍エコーラインなどで右側車線を走る方が多い人!にとっては、物足りないでしょう。ガイドブックに書かれているほどの険しい道ではないのです。峠道のヘアピンを期待している走り屋さんは、スイスの三大峠めぐりみたいにずっこけます。
ただし、ひとつ気をつけなければならないのは平均スピードが100kmは優に超えている事でしょう。ストレートの道になると皆140km出しますから注意です。対向車もスピードを落とさないので、たまに片側のタイヤが路肩に飛び出てラリーのような気分になります。走り屋さんには嬉しいかもしれませんが。道幅は狭くロバを引張る地元の人や子供達が飛び出しますから、要注意です。イスラムの国ゆえ他人に対する事故は極めてやっかいな問題になるとのことです。
とりあえず、イタリアでは物足らないスピード狂の方にはご案内しておきます。
もちろんゆっくり走られても抜かれるだけで、後方車のパッシングが気にならなければ素晴らしい旅になるはずです。
マラケシュもワルザザートも、物乞いは多いですが、文化や遺産を楽しむには素敵なところなのでお勧めしておきます。

タイトルトレデュドン峠:361m
記事No140
投稿日: 2001/03/29(Thu) 10:43:03
投稿者romeosierraさん
トレデュドン峠・ブルターニュ半島・フランス。標高たった361m。でも一面のヒース、360度全部地平線の視界。伏せた平皿の上。

タイトルフンジュラーブ峠4730m
記事No139
投稿日: 2001/03/29(Thu) 10:39:04
投稿者日和佐 昌 さん
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2561/kara03.html
日和佐 昌MASARU HIWASA e-mail:atsukawa@geocities.co.jp
■ムズタークアタ峰とコングール峰の山並みがダークブルーのカタクリ湖に映り、湖岸に点在する遊牧民の白いパオが美しく彩りを添えていた。

 2000年8月17日、カシュガルを発って2日目、中国西域の辺境の町タシュクルガンで朝を迎えた。
 タシュクルガンとはタジク語で石の城を意味し、標高三千二百メートルで朝晩は寒く、もしもと思って持参していたセーターと防寒ジャンパーはとても重宝した。
 昨夜はバスで乗り合わせたひとり旅の日本人三人と同じドミトリーに泊まった。朝食後、町の背後にある小高い丘、城跡の石頭城に上った。
 日本にある平城に似ていたが、石垣は古色蒼然というような雰囲気ではなく、楕円型の外形をしており、その上に土の壁が載っていた。
 その壁の断面が露呈した個所があり、壁の両側に木製の枠を押し当てて、土を一層ごとに盛ってつき固めていく版築という方法がよく理解できた。
 眼下には大湿原が無限大に広がり、カラコルム山脈、ヒンズークシ山脈、パミール高原の山々のふところに抱かれた雄大な景色に圧倒されて、その印象は筆舌しがたかった。
 昨日通ったカタクリ湖の景観も石頭城と違わなかった。ムズタークアタ峰とコングール峰の山並みがダークブルーの湖面に影を映して、湖岸に点在する遊牧民の白いパオが彩りを添えていた。
午前11時ごろに宿屋に戻ると、パキスタンへの国際バスはすでに出発していた。同室の仲間は12時出発だと言っていたので、慌ててしまった。
 ひとり旅だと用意周到になるのだが、仲間が告げた出発時間を信用していたので、相手を責めても仕方がないことだった。
 バスは町から二キロ離れた税関に止まっており、乗客は出国手続きの最中であったので、私は駆けて行ってすんでのところで間にあった。
 通関手続きを終えてバスに乗り込むと、パキスタン人が中国で買い付けた毛布や麻袋で覆われた重そうな荷物を、足の踏み場がないほどに通路一杯に積み込んだ。
 国境越えする時にどこの国でも目撃される光景で、商人たちはたくましいと思ったが、座席が窮屈になるのを心配した。
 中国のカシュガルとパキスタンの首都イスラマバードを結ぶ道路はカラコルムハイウエーと呼ばれ、中国・パキスタン友好道路として1978年に完成した。
2年前には中国・ネパール友好道路を縦断しており、今回の旅はその時からの念願であった。
標高四千七百三十メートルのフンジュラーブ峠が国境で、雪の状況により峠の通行は左右され、例年5月から11月までは通行でき、それにあわせて私はやって来た。
 荒涼とした更地でバスは止まり、トイレ休憩したあとに出発した。そこで機関銃を構えたパキスタン人の兵士が乗り込んできて、彼は運転席の隣で、乗客と向かい合うように腰かけた。
 兵士の傍らの乗客は彼にタバコを差し出したりして、気を使っていた。峠の国境の標識を背景に写真を撮りたいと私は思っていたが、兵士が入って来た時が峠でようであった。 峠を通過するのをとても期待していて、知らない間に過ぎてしまい、峠を見逃してしまったのが誠に残念であった。
 通過後は両側に急峻な崖が迫ったインダス川伝いのでこぼこ道を走り、周りの景色や道路は様代わりしていた。国境を越えてこんなに光景が違うのも珍しく、私にとって中国の景色が懐かしかった。
 9時間かかって、パキスタンの税関のあるスストに着いた。予定ではそこに宿泊するつもりでいたが、まだ日が暮れていなかったのでフンザのカリマバードまで足をのばした。その日は12時間も車に揺られて、食事もありつけずに疲労困憊の一日であった。

タイトルクンジュラーブ峠
記事No250
投稿日: 2002/01/23(Wed) 21:14:07
投稿者kitamura
http://www.kcat.zaq.ne.jp/mathit/kyoto-inet/pakitabi/paki15.html

松田仁志さん:パキスタンの旅

高度は16000フィートとある。約4800m。モンブランとほぼ同じ高さだ。

タイトルクンジュラブ峠(標高4733m)
記事No158
投稿日: 2001/05/28(Mon) 11:59:43
投稿者
Khunjerab Pass
クンジュラブ峠(標高4733m、世界一標高の高い舗装してある国境)のパ中国境に設置してある1982年の開通式

http://www.ne.jp/asahi/r.yamana/homepage/Pakistan/pak006.htm

パキスタンの風景
LANDSCAPE

写真もあります

タイトルプエルト デ ラ カナダス:2300m
記事No138
投稿日: 2001/03/29(Thu) 10:35:00
投稿者romeosierraさん
3.ヨーロッパのはずれの峠
プエルト デ ラ カナダス。スペイン領カナリア諸島のテネリフ島。標高なんと2300m、しかも標高差は2300m。レンタカーは、ツインゴ(ルノー)かカー(フォード)なので、海辺のバナナ畑からサボテンの高原を通って雪山(テイデ山)の麓へと、あえぎながら攀じ登る感じ。この島は峠道派を満足させる峠が他にもいくつかあります。

投稿者:romeosierra 投稿日:2001/03/26(Mon) 01:34 No.132

タイトル舗装道路-世界最高地点(3713m)
記事No552
投稿日: 2008/12/05(Fri) 11:04:54
投稿者kitamura
アメリカ西海岸では、ヨセミテ国立公園、グランドキャニオン、モニュメントバレー、アーチーズ国立公園、ロッキーマウンテン国立公園、マウントラッシュモアなど、国立・国定公園を中心に回りました。

注目は、ロッキーマウンテン国立公園と、マウントラッシュモア。

デンバーから、約2時間でロッキーマウンテン国立公園の入口に到着し、まずグランドレイクという湖が見えてきます。そして、●舗装道路の世界最高地点(3,713m)を目指し、トレイルリッジロードをバスで走ります。
http://marunouchi.clublog.jp/d2007-07.html

タイトルペルー:4335m
記事No553
投稿日: 2008/12/05(Fri) 11:06:19
投稿者kitamura
ペルー:クスコ〜プーノ間:最高地点「ラ・ラヤ峠LA RAYA PASS 」

http://oideyasu.exblog.jp/3099498/
http://www.photolibrary.jp/img22/3345_45731.html

http://picasaweb.google.co.jp/lh/searchbrowse?q=euro++pass&un ..... filter=1#7

タイトルミンタカ峠(4706m):パキスタン、アフガニスタン、中国の国境
記事No582
投稿日: 2009/01/18(Sun) 09:47:29
投稿者kitamura
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%AB%E5%B3%A0
3国の国境交会部の近くに位置する峠。カラコルム山脈とパミール高原との接点にあたるアギール山脈の中にある。
古くから中央アジアとインドとを結ぶ交易路として利用されてきた。5世紀初めには法顕がミンタカ峠を通った。

タイトルテハチャピ峠 (1156m):アメリカ
記事No583
投稿日: 2009/01/18(Sun) 09:53:10
投稿者kitamura
テハチャピ峠 (Tehachapi Pass、標高1156 m) はアメリカ合衆国カリフォルニア州南部にある峠である。

テハチャピ山脈とシエラネヴァダ山脈 (アメリカ)との間に位置する。 峠はサンワキーンヴァレーとモハーヴェ砂漠をつないでいる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%8F%E3%83%81%E3%83%A3 ..... 4%E5%B3%A0

タイトル武嶺(3275m):台湾
記事No584
投稿日: 2009/01/18(Sun) 09:58:29
投稿者kitamura
東海岸の花蓮から太魯閣渓谷に入り、省道(実質的には国道)8号と14甲号を通り、武嶺という海抜3275mの峠を越える。・・m3variant さん

GoogleMapsで「台湾 武嶺」のキーワードで検索

http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&geocode=&q=%E5% ..... 3&z=13

タイトルサラン峠(4000m)アフガニスタン
記事No601
投稿日: 2010/02/11(Thu) 10:24:56
投稿者kitamura
参照先http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%B3%E5%B3%A0
アフガニスタンのヒンドゥークシュ山脈にある峠。標高約4,000m。
首都カブールの北、約100km。
首都と北部の要衝マザーリシャリーフを結ぶ街道に位置する。
数少ない交通路として、古くから往来が活発あったが、険しい地形のため冬期間はもちろん通常時でも自動車の通行は困難であった。
このため、1970年代には、隣国であったソビエト連邦の支援により数本のトンネルが建設され、冬期間の通行も積雪や天候などの条件が良ければ可能となった。
最高地に位置する全長2,000mのトンネルの標高は3,363mで、世界最高地に設置されたトンネルとされている。
皮肉なことに1980年代、ソビエト軍はトンネルを通って首都へ侵攻した。

タイトルアフガン・サラン峠、雪崩連続170人死亡
記事No602
投稿日: 2010/02/11(Thu) 10:29:12
投稿者kitamura
参照先http://www.asahi.com/international/update/0211/TKY201002110109.html
2010年2月11日
【イスラマバード=四倉幹木】
アフガニスタンの首都カブールの北約80キロのサラン峠で雪崩が相次ぎ、車両が埋まったり谷底に押し流されたりして10日までに170人が死亡した。さらに約500人が取り残されているという。

 アフガン国防省によると、雪崩は8日からサラン峠の17カ所で断続的に発生し、バスを含む100台以上の車が巻き込まれた。サラン峠はカブールと北部を結ぶ交通の要衝で、駐留外国軍の重要な補給ルート。

タイトルAbano-passアバノ峠(2850m)
記事No628
投稿日: 2013/12/23(Mon) 00:50:25
投稿者kitamura
コー&#8203;&#8203;カサス山地<グルジア国。欧州の一部とは見なされていませんが・・ 42°16'42 "N 45°30'31 "E