記事No | : 139 |
タイトル | : フンジュラーブ峠4730m |
投稿日 | : 2001/03/29(Thu) 10:39:04 |
投稿者 | : 日和佐 昌 さん |
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2561/kara03.html
日和佐 昌MASARU HIWASA e-mail:atsukawa@geocities.co.jp
■ムズタークアタ峰とコングール峰の山並みがダークブルーのカタクリ湖に映り、湖岸に点在する遊牧民の白いパオが美しく彩りを添えていた。
2000年8月17日、カシュガルを発って2日目、中国西域の辺境の町タシュクルガンで朝を迎えた。
タシュクルガンとはタジク語で石の城を意味し、標高三千二百メートルで朝晩は寒く、もしもと思って持参していたセーターと防寒ジャンパーはとても重宝した。
昨夜はバスで乗り合わせたひとり旅の日本人三人と同じドミトリーに泊まった。朝食後、町の背後にある小高い丘、城跡の石頭城に上った。
日本にある平城に似ていたが、石垣は古色蒼然というような雰囲気ではなく、楕円型の外形をしており、その上に土の壁が載っていた。
その壁の断面が露呈した個所があり、壁の両側に木製の枠を押し当てて、土を一層ごとに盛ってつき固めていく版築という方法がよく理解できた。
眼下には大湿原が無限大に広がり、カラコルム山脈、ヒンズークシ山脈、パミール高原の山々のふところに抱かれた雄大な景色に圧倒されて、その印象は筆舌しがたかった。
昨日通ったカタクリ湖の景観も石頭城と違わなかった。ムズタークアタ峰とコングール峰の山並みがダークブルーの湖面に影を映して、湖岸に点在する遊牧民の白いパオが彩りを添えていた。
午前11時ごろに宿屋に戻ると、パキスタンへの国際バスはすでに出発していた。同室の仲間は12時出発だと言っていたので、慌ててしまった。
ひとり旅だと用意周到になるのだが、仲間が告げた出発時間を信用していたので、相手を責めても仕方がないことだった。
バスは町から二キロ離れた税関に止まっており、乗客は出国手続きの最中であったので、私は駆けて行ってすんでのところで間にあった。
通関手続きを終えてバスに乗り込むと、パキスタン人が中国で買い付けた毛布や麻袋で覆われた重そうな荷物を、足の踏み場がないほどに通路一杯に積み込んだ。
国境越えする時にどこの国でも目撃される光景で、商人たちはたくましいと思ったが、座席が窮屈になるのを心配した。
中国のカシュガルとパキスタンの首都イスラマバードを結ぶ道路はカラコルムハイウエーと呼ばれ、中国・パキスタン友好道路として1978年に完成した。
2年前には中国・ネパール友好道路を縦断しており、今回の旅はその時からの念願であった。
標高四千七百三十メートルのフンジュラーブ峠が国境で、雪の状況により峠の通行は左右され、例年5月から11月までは通行でき、それにあわせて私はやって来た。
荒涼とした更地でバスは止まり、トイレ休憩したあとに出発した。そこで機関銃を構えたパキスタン人の兵士が乗り込んできて、彼は運転席の隣で、乗客と向かい合うように腰かけた。
兵士の傍らの乗客は彼にタバコを差し出したりして、気を使っていた。峠の国境の標識を背景に写真を撮りたいと私は思っていたが、兵士が入って来た時が峠でようであった。 峠を通過するのをとても期待していて、知らない間に過ぎてしまい、峠を見逃してしまったのが誠に残念であった。
通過後は両側に急峻な崖が迫ったインダス川伝いのでこぼこ道を走り、周りの景色や道路は様代わりしていた。国境を越えてこんなに光景が違うのも珍しく、私にとって中国の景色が懐かしかった。
9時間かかって、パキスタンの税関のあるスストに着いた。予定ではそこに宿泊するつもりでいたが、まだ日が暮れていなかったのでフンザのカリマバードまで足をのばした。その日は12時間も車に揺られて、食事もありつけずに疲労困憊の一日であった。