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Larche ラルシュ村-2  (Border-Fort Village/フランス:イタリア国境・要塞の村) ラルシュ峠付近のMAP


【村の中心、村役場前の広場です。雨上がりの、まぶしい、同時に涼しい夕方の光です。】 3d9.jpg


【近代デザインの教会の十字架。大きな鐘のような形をした記念碑・・・周りに書き込まれている年代は・・・1914-1918年:第一次世界大戦。】 3c3.jpg
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【そしてここ、村役場の壁や周囲の建物には・・・1940、1945.4.22-25:第二次世界大戦終結直前の戦いの記念プレート、そしてその展示場などが。・・・この村はまさに国境の、領地争いの最前線だったのです。】 402.jpg



●このLarche:ラルシュ、フランスイタリア国境周辺の領地・領土・戦いの変遷を調べてみました。(西側:東側で記述)

<アルプスをはさんだ西東は、激しく領地争いが絶えません。
 その主要街道・峠のラルシュの村の歴史は、まさに戦いの歴史だったように見えます。>

 ・〜BC600年頃:リグリア人の領地
 ・BC400年頃:ケルト人の領地・・・ケルト人が南下
 ・BC218年頃:ガリア(ゴール)人とケルト人(ゴール人の祖先といわれる)の境界・・・ハンニバルのアルプス越え
 ・〜BC121年頃:カルタゴとローマの戦い:ポエニ戦争・・・→ローマに併合
 ・BC31年頃:ローマ帝国:帝国属州と元老院属州との境界・・・ユリウス・カエサル時代

 ・300年頃:ディオクレティアヌスのガリア管区とイリュリア管区の境界・・・ローマ帝国の再編
 ・450年頃:ブルグント王国と東ゴート王国との境界・・・ゲルマン民族の大移動

 ・540年頃:フランク帝国とダルマティアとの境界・・・ユスティニアヌスの再征服
 ・814年頃:カール大帝(フランク王国)・・・遠征と領土拡大でキリスト教帝国を
 ・910年頃:東フランク王国(低地ブルグント、高地ブルグント)とイタリア王国の境界・・・イスラム勢力との戦い

 ・1152年頃:ブルグント王国とイタリア王国の境界
 ・1200年頃:神聖ローマ帝国・・・十字軍の聖地解放
 ・1250年頃:ビザンツ帝国・・・コンスタンティノープル占領

 ・1600年頃:フランス:サヴォワ公国:モデルナ:ミラノ公国の境界・・・フランスの領土拡大/宗教改革/ハプスブルク帝国
 ・1790年頃:フランス:サヴォワ:サルデーニャ王国の境界・・・フランス革命
 ・1812年頃:ナポレオン帝国・・・ナポレオンによる領土拡大
 ・1815年頃:フランスとサルデーニャ王国の境界・・・ウィーン会議
 ・〜1860年頃:フランス:サヴォワ:サルデーニャ王国の境界・・・イタリア統一
 ・1914年頃:フランスとイタリアの境界・・・第一次世界大戦/民主主義体制とファシズム体制
 ・1940年:フランス・ヴィシー政権(フランス親独)とイタリア(ドイツ軍管轄)の境界・・・第二次世界大戦
 ・1945年:フランスとイタリアの境界

 ・・・1949年:NATO加盟/1995年ECヨーロッパ共同体加盟/2001年ユーロ通貨統合流通
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●第二次世界大戦とフランス南東部・イタリア北西部=国境周辺の状況

<ドイツの占領下、フランス・イタリアともレジスタンス活動が展開され、国境周辺に残ったドイツ軍との間で
 大戦の終結直前まで激しい戦闘が続いた模様です。
  それが村役場の壁にある・・・1945.4.22-25の戦闘の記念プレートなのでしょう。>

 ・1939年9月 1日:ドイツがポーランドに侵入すると、イタリアも参戦を決定。
 ・1940年5月10日:ドイツがオランダ・ベルギー(西部戦線)〜フランスに侵攻。
   英仏の抵抗は弱く翌6月にはフランスは降伏・休戦協定。
   フランス北西部はドイツの占領下に、中部・南部は親独のヴィッシー政権(ペタン元帥)が統治。
 ・1940年6月18日:ド・ゴールの呼びかけでレジスタンス(抵抗運動)の展開。
   自由フランス軍が組織、連合軍側について戦闘参加。
 ・1942年:フランス全土はドイツ軍の占領下に。

 ・1943年7月:連合軍がシチリアに上陸
 ・   7月25日:ムッソリーニは首相を解任され逮捕(ローマ東方の山地の山荘に監禁)。
 ・   7月26日:Duccio Galimbertiがクーネオで対ファシスト抵抗の演説
 ・   9月8日:ムッソリーニ後任のピエトロ・バドリオ首相は無条件降伏。イタリア政府(南イタリア)は連合側に。
 ・   9月12日:ドイツ軍は特殊部隊がムッソリーニを救出。
 ・   9月23日:ドイツはファシスト政権かいらいのイタリア社会共和国をサローに樹立
 ・   10月頃:イタリア北部はドイツ軍の管轄におかれ、戦闘が繰り返される。
   北イタリア各地で、パルチザンによるレジスタンス運動が展開される。
   (Colle de Jouxジュー峠Pont Saint Martinポン・サン・マルタンCuorgneクオルニェ)

 ・1944年夏:イタリア北部のドイツ軍はポー川沿いに防衛線(ゴシック線)を築き戦闘。
 ・1944年6月 6日:連合軍のノルマンディ上陸。8月プロヴァンス上陸。8月25日パリ開放。
   (Lisリス峠(1311m)は1944.7.2まで)

 ・1945年3月末〜:フランス山岳師団はプティ・サンベルナール峠、イズラン峠、モンスニ峠でドイツ軍を撃破。
 ・   4月10日〜:ラルシュ峠、ロンバルデ峠も含み激戦。(7日後に峠奪取)
 ・   4月22-25日:このラルシュ村での激しい戦い
 ・   4月25日:連合軍によってミラノ開放。イタリア全土で戦闘が終結(フランス国境はドイツ軍が残存)。
 ・   4月28日:アルプス派遣隊(連合軍)、国境の北・中・南の峠から総攻撃・進撃。アオスタ・トリノ・インペリア占領
 ・   4月28日:ムッソリーニ逮捕・処刑
 ・   4月30日:ヒトラー自殺。
 ・   5月 2日:アルプス地区のドイツイタリア軍部隊、降伏
 ・   5月 8日ドイツ軍無条件降伏。

    (参考資料:『ヨーロッパ大陸歴史地図(東洋書林)』、『フランス開放戦争史(柏木明:原書房)』など)



【宿に帰って・・・どこのホテルもほとんど奥さんが仕切っています。ここもやはり40代後半の女将さんが仕切っていました。
が、もう70才を過ぎたと思われるおばあさんが・・・表には出てこないのですがシャキっとして・・・料理の材料の電話などをしていましたから
・・・ディナーはきっとおばあさんの田舎料理でしょう。野菜のスープ、ポーク、ゆでたカリフラワーとジャガイモに肉汁・・・イチゴのアイスと

・・・第二次大戦の頃、あのおばあさんはまだ20代・・・どこで、どんな苦労をされていたのでしょう?】 422.jpg

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【ラルシュの村の静かな夜が明けて。真っ青な空が、夜露の牧草と峠からの渓流を照らしています。今日も暑くなりそうです。】 453.jpg



【出発して数km・・・峠に向かう道で通行止めです。長い車の列ができます。そして誰もがのんびりと日向ぼっこと雑談です。僕たち以外はみんな同じ村の人のように挨拶を交わしています。だれも通行止めについてジタバタしません・・・右の渓谷の先の山で土ぼこりが上がって・・・道路の拡張工事が30分以上も続きます。】 469.jpg 456.jpg
<長い長い工事閉鎖のあと・・・Vars峠に向かって・・・どの車も全速力です・・・・>
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