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Pont St.Martin
【4051.jpg:Ponte-Romano:BC1世紀建造のオリジナルの橋】

Pont Saint Martinポン・サン・マルタン

この紀元前1世紀建造の橋は、なんと後世の手が入っていないオリジナルの橋!

イタリア:アオスタ州】  [北村 峠一].(Kitamura)      


 このアオスタ渓谷の入口にある街、Pont Saint Martinポン・サン・マルタン(マルチン)に紀元前からの石橋があることは、壁絵の松味先生からの情報でした。そこに泊まりアオスタ3峠めぐりのベースキャンプにしようと思っていたのです。

 街の中心、あの石橋に面した広場に駐車し、目の前にあったホテル、橋と同名の宿「PONTE ROMANOポンテ・ロマーノ」のカウンタに入ります。昨日までのスイス・ロシニエールがかなり田舎なのにB&B1泊130Sfr(≒1.2万円)でしたから、この立地条件のいい三ツ星の宿、高いだろうと思っていたのですが「B&B1泊、65Eur(≒9千円)」。イタリアは安いのです、迷うことなく3泊(土曜夜〜火曜朝)を頼みます。

 部屋は4階の角部屋、まさに部屋から橋が見下ろせ、広場の町の人たちの動きもよく観察できる絶好の場所でした。旅の半ばになって、この9月のオフシーズン、日曜になって宿を確保するのはかなり苦労することが判ったので、ここで連続確保はラッキーでした。【●宿DB

●アーチ構造

アーチ構造
【木造型枠によるアーチ構造、レンガとコンクリートによるトンネル型ヴォールト構造:『西洋建築史』p35

Pont St.Martin
【4053.jpg:石橋の部分拡大。鉄の金具は石垣の石が外にはみ出すのを防ぐため?】

 本『西洋建築史』桐敷真次郎
 ☆http://www.kumamotokokufu-h.ed.jp/【アーチ式石橋の架け方、桁橋からアーチ橋へ:図説】
ポン・サン・マルタン
【Pont St.Martinポン・サン・マルタンとZuccore峠、Joux峠の位置】


 いくどもこの石橋を観察したのですが、2000年以上も前に作られたとはとても思えない実に見事なもの。モンテローザ氷河からのLysリス(Gressoneyグレソネ)渓谷がアオスタ渓谷に合流する直前の、荒れる川に架けられた石造りアーチ。

 径間35.64m、高さ23m、全巾5.82m、通路巾4.62mもあるがっちりした石橋が、なんと紀元前1世紀、2000年以上も前に作られたものなのです。さらにその橋が「後世、手がかかっていないオリジナルの橋」というのですから、驚くばかりです。 【●旅の絵本へ

Pont St.Martin
【4042.jpg:橋の東側の導入部は、下の道路からジグザグに登る。向かいのアーチは駐車場】

Pont St.Martin
【4055.jpg:右から:Ponte-Romano橋、橋をまたぐ礼拝堂。橋からの道はだらかなスロープで西の山に沿って下の道へ。Ponte-Romanoのホテル。街の広場。丘の上には城や博物館、ブドウ畑がある】

Pont St.Martin
【r119.jpg:石橋の上から南を見る。下を走る道がN26の国道。正面の山はGran-Paradiso山に続くアオスタ州とピエモンテ州の境】

Pont St.Martin
 【r123.jpg:西側の礼拝堂から見る橋】
 現在この橋は通行には使われていないのかと思ったのですが、東側数軒の民家の車の出入りに用いられているようで、数台の車が駐車してあります。橋の上は車がすれ違うに十分な4.62mもの巾があるのですから、贅沢な道路です。

 橋の上から南にアオスタ渓谷のDora-Baltea川付近まで見渡せ、正面にはアオスタ州とピエモンテ州の境の山が迫り、その山脈はGran-Paradiso山にまで続いていますから、まさにここはアオスタの関門。大きな石が流れ出す、荒れるリス川を越えるにはこの橋しかなかったのでしょう。

 そしてあのユリウス・シーザー(カエサル:BC100-BC44)も、ガリア遠征の折(BC58-53年)には、この橋を渡ったのではないでしょうか。アントニウス(BC43-33 )は? アウグストゥス(BC27-AD14)は? さらにそれに続くローマ帝国で用いられた「古代ローマの道」そのものなのです。

Pont St.Martin
【4059.jpg:橋の上:悪魔祓いの聖人像と大きな石の畳】

Pont St.Martin Pont St.Martin Pont St.Martin
【4057/r117.jpg:橋の東にある聖人像と石のプレート】 【r124.jpg:13世紀の城跡に建てられた博物館】

 ホテルの1階のバーで朝食を取っているとき、4-5才位のかわいらしい女の子を連れたご夫婦が隣の席に来られました。この子の愛くるしさに思わず声をかけ、写真を撮らせてもらいました。残念ながらその思い出の写真はMOの中から見つかっていません(以下のBlogメモ参照)が、Mariaマリアさんとご両親は、その後近くの花屋で大きな花束を持って、自家用車で山のほうに登っていきました。広場の第二次大戦・戦死者慰霊碑には大きな花輪が供えられていましたから、訪れた2005年9月11日(日曜)がその墓参りの日だったのでしょうか。

 9.11といえばニューヨークのグランドゼロの日、現地のTVでもその報道を流していました。(同時に流れていた日本の情報は、Koizumiの自民が300議席近い大勝利というものでした)

 この街自身もこの大戦で大きな被害を受けていたのです。ホテルに隣接した建物の柱には「1944.8.23、大空爆により市民の犠牲者が出た」とあり、当時まだドイツの実質的支配地だったこのエリアに、連合軍側の大規模な空爆が行われ、ローマ橋の西側の家々は完全に破壊され、たくさんの死者が出たのです。幸い橋は無傷、2000年前当時のままの遺跡が完全に生き残ったのです。
 (第二次大戦当時のイタリア北西部の歴史は、フランス国境のラルシュ村で整理したので参考にしてください)

  Pont St.Martin Pont St.Martin Pont St.Martin
【r125.jpg:第二次大戦の戦死者慰霊碑と花輪】 【r126/r1262.jpg:1944.8.23、連合軍の大空爆により市民の犠牲者が出た。記念碑が建物の柱に】

Pont St.Martin
【v464.jpg:朝の部屋の窓から見下ろす広場の動き。ワインを運び人が出会い・・】

Pont St.Martin
【v479.jpg:大きな広場は、定期バスが頻繁に行き来する。ただし観光客はあまり降りない】

<Pont-St.Martinポン・サン・マルタン付近・関連のサイト>


 ○http://www.comune.pontsaintmartin.ao.it/【橋の歴史】
 ○http://www.regione.vda.it/【橋での花火など祭りの写真】
 ○http://www.caed.kent.edu/【古代の橋リスト】
 ○【泊まった宿:PONTE ROMANO
   【3☆:Piazza Iv Novembre 14, Pont St Martin, Italy、Phone: +39 012 584 320】

Pont St.Martin
【v499.jpg:アオスタ州とピエモンテ州境のGran-Paradiso山に続く雪山】

<モンテローザの氷河を見に、Lysリス(Gressoneyグレソネ)渓谷を・・ >

<関連書籍・地図>
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