ヨーロッパ アルプス 峠ドライブ紀行 TOPに戻る [ヨーロッパ アルプス 峠ドライブ・写真・絵本]
峠indexへ戻る

[峠マルチIndex]/[1位]/ [10]/ [20]/ [30]/ [40]/ [50]/ [60]/ [70]/ [80]/ [90位]/ [1000m未満]/ [歴史/登山峠]/[トンネル]/ [解説]/[アルプスと歴史]/ [街道]/ [鉄道]/
[LINK/FAQ/情報提供]/


Andreas-Hoferアンドレアス・ホーファー
Panorama-Innsbruck.atから

Andreas Hoferアンドレアス・ホーファー (1767-1810)
 チロル独立戦争の英雄 とアルプスの峠


 チロル出身のAndreas-Hoferアンドレアス・ホーファー(1767-1810)は、 ナポレオンのオーストリア侵攻時に活躍し、チロル独立戦争の英雄と慕われている。
 彼の活躍を、ナポレオンのオーストリア・チロル関連の戦いと時間対比してみます。
また、彼の活躍にまつわる「Herz Jesu Sonntag:イエスのハートの炎の休日」についても、整理してみました。

●年表:


Andreas Hoferアンドレアス・ホーファーの活躍ナポレオンのオーストリアとの戦い
1767年11月22日:Andreas Hoferアンドレアス・ホーファーは、イタリア・南チロル・メランの東、Passeier地方のSt. Leonhard に生まれる。
1790年(22歳):チロル州議会の議員に選ばれる。
1796年(28歳):射撃部隊の伍長。

1797年(29歳):Passeier地方の射撃部隊隊長として、フランス軍と戦う。







(1769年:8/15:コルシカ島アジャクシオで生誕)


1796年:ナポレオンはイタリア征討総司令官に任命。→オーストリア軍との戦闘:Lodiロディ(Kc77)→5/16:ミラノ→Mantovaマントヴァ(Le78)の攻防戦
1797年:2月マントヴァ攻略→ヴェネツィア占領→東アルプスの峠越え(ナポレオン自身が、スロベニア・Socaソチャ川の渓谷をさかのぼり、Pledil峠を進軍、東アルプスを超え) →3/末:クラーゲンフルト →4/上:Semmeringゼメリング(Oe62) →4/18:Leobenレオーベン(Qa64)でオーストリア軍と休戦・講和 →10/17:Campoformioカンポ・フォルミオ条約締結。 12/5:パリに帰還。
1799年:クーデターで執政政府になり、ナポレオンが権力を握る。
 1800年:4-5月:ナポレオンが4万人の軍隊と3000頭の馬を引き連れ、スイス/イタリア国境、雪のGrand Saint Bernard -Col du グラン・サン・ベルナール峠(2469m)を越える。
  6/10:マレンゴ・アルコレのオーストリア軍を急襲し、勝利。
  12月:ミュンヘン東ホーエンリンデンの戦いで、オーストリアに大勝
1801.1:リュネヴィル条約締結=カンポ・フォルミオ条約とほぼ同じ
1805年(37歳):Passeier地方の射撃部隊隊長として、フランス軍と戦う。
1805年(37歳):アウステルリッツの戦いでナポレオンに破れたオーストリアは、プレスブルクの講和(1805年)によって、チロル、フォアアールベルグ、ヴェネツィアをフランスに譲渡。チロルはナポレオンと同盟したバイエルン(ババリア)に与えられた。
 この時期ホーファーは家業に戻ったが、密かにヨハン大公と反バイエルンの秘密協定を結んだ。
1804年:5月:ナポレオンフランス皇帝に
1805年:アウステルリッツの戦いでオーストリアに勝つ




1809年(41歳):フランスとオーストリアとの間に戦争が勃発した時、「ドイツ民族」に対し、フランスの圧制者への戦いの檄が発せられ、チロルではこれに呼応して、ホーファーらにより4月に兵が挙げられた。
【●1809.5:Kufsteinクーフシュタインの戦:要塞Die Festung
 彼らはバイエルンとフランスの軍隊をチロルから追い出し、8月17日にホーファーはチロルの元首の地位に着き、それからの2カ月をインスブルックの王宮で暮らした。
 しかしナポレオン軍の反撃に遭い、10月21日にはインスブルックを去らねばならなかった。
 11月1日のBerg-Iselの戦いでチロル軍は大敗を喫し、 ホーファーは降伏文書に署名した。
 しかしその後彼は逃亡し、その首には1500グルデンの懸賞金が懸けられた。
 彼は家族と共にPasseier地方で2カ月暮らしたが、Franz Rafflの裏切りにより逮捕された。
1810年(42歳):彼の身柄はマントヴァに送られ、フランス軍の軍法会議により、2月20日、マントヴァで銃殺された。
(1823年:彼の遺体はナポレオン戦争後、マントヴァからインスブルックの宮廷教会に移された)
1809年:3−4月オーストリアと戦争再開。ナポレオンはバイエルンに進軍。 →5/13:ウイーン入城。 →5/18:ナポレオン軍はスロベニア・Socaソチャ川の渓谷をさかのぼり、Pledil峠の砦を攻撃し、オーストリアの隊長ヨハン・ヘルマン以下多数の軍隊を殲滅。




 →10月:平和条約締結。









(nakashさんのページなどから)
Napoleon Bonaparteナポレオン・ボナパルト(1世)の年表などと、
『ナポレオン戦線従軍記』とアルプスの峠も参考に)


Herz Jesu
Panorama-Innsbruck.atから
Herz Jesu Sonntag
カステルルースの「山の炎」

●「Herz Jesu Sonntag:イエスのハートの炎の休日」:

(Herz Jesu Sonntagから)

・1796年6月、ナポレオン軍(フランス、ババリア=南ドイツ)のチロルへの1回目の侵略に対し、危険にさらされたチロル地方の人たちは、アンドレアス・ホーファーとともに戦った。
・彼らは、Berg-Isel-Schlachtの戦いの前に、「Holiest Heart Jesu:聖なるイエスのハート」の誓約をし、ホーファーの軍隊は驚くほどに打ち勝ち、山で高々と火を燃やした。
・その十分な休日となった日を記念し、聖体節の後の日曜日を「Heart Jesuの休日」と決めた。
・その伝統を維持するため、今でも南チロルの19の山には「Heart Jesuの炎」が燃える。

2004.6.20(日曜日)、南チロル、Kastelrusカステルルースで「山の炎」を見た。




●「Herz Jesu」(独)、「Sacred Heart」(英)」:「神聖な心」

http://de.wikipedia.org/【Herz-Jesu-Verehrung】
http://en.wikipedia.org/wiki/Sacred_Heart【Sacred_Heart】
☆和訳:「神聖な心」:イエスキリストSacred Heartの「神聖な心」の典型的なイラストは、人類に対する神の愛の表現としてのイエスの物理的な心臓への信仰心です。この献身は、ローマカトリック教会に支配的に使用されて、また、特に英国カトリック派の中で英国国教会派の教会に使用されます。Sacred Heartは神の光で輝く燃えるような心臓としてクリスチャンの芸術でしばしば表現されて、槍傷によって貫かれて、イバラの冠によって囲まれて、出血しています。 彼の負傷した手が心臓を指し示しているイエスの身体の上に時々、イメージがあります。 傷とイバラの冠はイエスの死の様式を暗示しますが、炎は愛を表します。・・Marguerite Marie Alacoque・・
http://www.excite.co.jp翻訳


●関連URL:

 ☆http://www.nakash.jp/opera/1993natu/10insbruck2.htm【音楽史跡とオペラの旅:彼の歴史】
 ☆http://www.onyx.dti.ne.jp/~sissi/episode-91.htm【オーストリア散策:Pomfiさん:チロル解放戦争とバイエルンの真相】
 ☆http://www4.ocn.ne.jp/~zimmer/p3oest_tirol.html【Zimmer:かおるさん:記念館の壁面に激しい戦いの模様が克明に描かれている】
 ☆http://tovalis.or.tv/Kalender_Heute/2.20.1810%20Adreas%20Hofer%20hingerichtet.htm【ドイツ語情報の広場:きょうは何の日:2月20日・・処刑の日】
 ☆http://andreas_hofer.tripod.com/【アンドレアス・ホーファー同盟(親独音楽サイト)】
 ○http://www.pension-alpenhof.it/【アンドレアス・ホーファーとチロルAndreas Hofer aus dem Passeiertal - Sudtirol -】
 ○http://www.panorama-innsbruck.at/d/thema/hofer_z.htmheart Jesu
 ○http://www.museum.passeier.it/【Passeierの博物館】
 ○http://www.suedtirolerland.it/【heart Jesu】
 ○http://www.dioezese-innsbruck.at/zustaendigkeit.asp?lfdnr=103【heart Jesu】

 映画:[映画:アルプスの血煙]・・・民族独立の戦い
 本B:「ミシュラン・グリーンガイド:オーストリア」(p145):彼の墓と記念碑が、インスブルックのマクシミリアンGrabmalにある。

ヨーロッパ アルプス 峠ドライブ紀行 TOPに戻る 峠indexへ戻る

[峠マルチIndex]/[1位]/ [10]/ [20]/ [30]/ [40]/ [50]/ [60]/ [70]/ [80]/ [90位]/ [1000m未満]/ [歴史/登山峠]/[トンネル]/ [解説]/[アルプスと歴史]/ [街道]/ [鉄道]/
[LINK/FAQ/情報提供]/

ヨーロッパアルプスのハイキング地図
【ヨーロッパ・アルプスのハイキング地図】
  【国別地図】  【日本語ガイド本】
AXcount