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predil
【a2.jpg:predil峠のライオン像】
vrsic-predil-map
【Kranjska-Gora〜Vrsic峠〜Soca〜Bovrec
〜Predil峠〜イタリアへ】

Predilプレディル峠(1156m)

 (スロヴェニア/イタリア国境)
 峠付近にあるライオン像は、スイス・ルツェルンの「瀕死のライオン」にそっくりです。【●峠のDBへ

 1797年の早春、ナポレオンがこの渓谷・峠を進軍し戦勝。1809年にもこの峠でフランスとオーストリア軍の間で、激しい戦いが行われた場所なのです。

[北村 峠一].(eu-alps)      


 ヴェルシェッツ峠を南に下った道を、Bovecボヴェックの町の手前で、V字にまた谷をさかのぼります。Korinica(Cortienza)コリニチャ川に沿った景色は、険しい岩山・残雪・緑の牧草地と、実に素晴らしいものです。このイタリア国境にあるMangatマンガット山(2677m)、Jalovecヤロヴェック山(2645m)などもユリアン・アルプスの名峰なのでしょう。

 それにしてもあまりに山深い、この国境付近にあるLog-pod-Mangartomマンガートン村の人たちは、林業、牧場、夏冬の観光などで生計を立てているのでしょうか。

log-pod-mangartom log-pod-mangartom
【11.jpg:Log-pod-Mangartom村付近からは前方=北東にすばらしい岩山が現われる】 【25/33.jpg:Log-pod-Mangartom村の風景。人家もかなりのある】

log-pod-mangartom
【55.jpg:イタリア国境のMangat山(2677m)、Jalovec山(2645m)など】

 さらに上流数kmのStrmec-Predeluプレディル村。旅する人を、ちょっと立ち止まらせるたくなるような色使いの家並みです。Mangartマンガート山への分岐点、山歩きなどの基点になる国境の村。日本の中央分水嶺、例えば岩手・秋田県境や、群馬・長野県境の奥深い村の感じに比べても、ずっと明るく豊かそうに見えます。

strmec-predelu
【82.jpg:Strmec-predelu村の家並み】

strmec-predelu
【96.jpg:素晴しい色彩と岩山が】

predil
【a9.jpg:高さ約6mの岩の壁にピラミッド型の石碑。
傷ついたライオンの鋳鉄の彫刻】

 峠に向かう村のはずれの山肌に、大きな石壁と三角形の碑が現れます。そしてその前にはいかにも疲れきったライオンの像が。碑にはIohann Hermannヨハン・ヘルマン、Kaiser Ferdinand皇帝フェルディナントI世の名前が読めます。

 帰国後、解読してみるとこれは「1809年5月18日、オーストリア国境守備隊のIohann Hermannヨハン・ヘルマン隊長以下が、ナポレオン軍と戦い殲滅した。皇帝FerdinandフェルディナントI世がそれをたたえて作った」記念碑なのです。
 (注:MDCCCIX=1809年=M:1000,DCCC:800,IX:9  「ローマ数字年号の変換テーブル」 参照)

 ところで、このライオン像、★スイス・ルツェルンの「瀕死のライオン像」とデザインがそっくりです。時代背景や戦いの相手がフランスだという点なども似ていますが、ルツェルンの像を作ったトルヴァルセンはすでに亡くなっていますから、弟子が作ったものなのか、偶然にしてはあまりにも酷似しています。

 著作権・複製権侵害などで争われる時代の前だとはいえ、そして落ちぶれてしまった フェルディナントI世だとはいえ、元ハプスブルク帝国の皇帝ですから、きっとルツェルンのコピーだと思われるようなデザインは認めなかったでしょう。作者やデザインの背景など、調べると奥深そうで面白そうです。(観光協会などに問い合わせ中)

<参考1:著作権の歴史と、このライオン像の時代>

・1710年、出版物の海賊版が出回るようになり、この取締りのためイギリスでアン女王が版権保護の法律を作った。
・その後、デンマーク、アメリカ、フランスなどでも出版に関する法律が制定された。
・1887年スイスのベルンで、ヨーロッパ各国が参加する国際的な著作権保護条約(Berne Conventionベルヌ条約)が結ばれた。
(出典:http://cozylaw.com/copy/tyosakuken/history.htm

・このふたつのライオン像は1821年と1851年の建造物。彫刻に対する著作権保護の法律は無い時代でした。

predil
【b3.jpg:隊長の戦死記念碑/
Hermannsdorf出身、Iohann Hermann
ヨハン・ヘルマン/1809年5月18日/
皇帝FerdinandフェルディナントI世】


<参考2:ライオン記念碑と、デザインが酷似した碑>

ライオンの像 predil峠のライオン碑 ルツェルンのライオン碑
設置場所 ・スロベニア、Predilプレディル峠のライオン碑。 ・スイス、Luzernルツェルンにあるライオン記念碑
時代背景 ・ナポレオン戦争の1809.5.18、オーストリアの国境守備隊長ヨハン・ヘルマン以下は、ナポレオン軍と戦い殲滅した。
1851年、皇帝フェルディナンドI世がこれをたたえて建造した。(ただしフェルディナンドT世は1848年のウィーン革命でインスブルックに逃亡(1848.5)、フランツ・ヨーゼフT世(1848.12-)の時代になっていた)
・フランス革命時の1792.8.10、蜂起したパリの民衆がルイ16世とテュルリー宮殿を襲い、その傭兵スイス兵約600名が全滅した。

・碑は1821年(ナポレオンが失脚・死亡した年)に建てられた。
デザイナー
など
・彫刻家は不明。
(右の彫刻家トルヴァルセンは、1844年すでに死去している)
・横3m・縦1m。鋳鉄の彫刻。
・瀕死のライオンは、右手の下の何かを押さえている。槍は刺さっていない。
・デンマークの彫刻家Bertel Thorvaldsen トルヴァルセン(1770-1844)によってデザインされた。
・横8m・縦3m。岩に彫刻されている。
・槍が刺さり瀕死のライオンは、右手の下のユリの花(フランスの紋章)を守っている。
<参考URL>
 Thorvaldsens-museum【トルヴァルセン美術館】
 トーヴァルセンのキリスト像


<参考3:ナポレオン戦争関連MAP>

ナポレオン戦争 <関連URL>
Fortress in Predel【Pledel峠の砦】
http://www.ars-cartae.com/
【ナポレオン戦争とスロベニア
 Kluze/Herman砦も】
http://www.ars-cartae.com/napoleon/napoleon.htm 【1797/1809年:スロベニアにおけるナポレオン戦争】

 調べていくうちに、ナポレオン自身も1797年2月頃、このSocaソチャ川の渓谷をさかのぼり、このプレディル峠を進軍していった事がわかりました。

 このイタリア国境(当時はハプスブルク領内)の深い雪の中の行軍、あの山々を見ながら彼はヨーロッパ制覇、世界制覇を一歩一歩獲得している自分を見ていたのでしょうか。

<参考4:ナポレオンとオーストリア(スロベニア)、スイス、フランス関連の年表>

オーストリア(スロベニア)スイスフランス


1796:ナポレオン軍、北イタリア浸入
1797.2〜:ナポレオン自身がSocaソチャ川の渓谷をさかのぼり、
   東アルプスを超えLeobenレオーベン要塞を取る
  4/18:オーストリア軍と休戦・講和
  10/17:Campoformioカンポフォルミオ条約締結
  12/5:パリ帰還

1800.4:ナポレオン,オーストリア出兵
1804.8:オーストリア帝国誕生(神聖ローマ帝国フランツ2世)
1805.12:アウステルリッツの戦→ナポレオン・ウィーン入城
1806.8:神聖ローマ消える(→フランツ1世に改名)
1809:3−4月オーストリアと戦争再開
  5/10:ナポレオンはバイエルンを進軍しウイーン入城
   フランス軍の一部はこのソチャ渓谷を進み、
  5/18:Pledelプレディル峠の砦を攻撃、ヨハン・ヘルマン
   隊長以下多数が激戦・死亡。10月:平和条約締結
 →スロベニア地方はナポレオン配下(イリュリア州)に
1810.4:マリー・ルイズ(マリア・ルイーゼ)をナポレオンの妻に


1814-15:ウィーン会議→スロベニア地方が戻る


1835:フランツ1世死→フェルディナント1世
1848.12:フェルディナント1世→フランツ・ヨーゼフ1世
1851:フェルディナンドI世が碑建造
1792.8:傭兵大量死亡





1797.11:ナポレオン軍
  中立国のスイスを通過し帰国
1798.4:フランスがスイスを占領
    →ヘルヴェチア共和国












1815:スイス独立・永世中立承認

1821:ルツェルンの碑完成
1792.8:フランス革命
1796:ナポレオンはイタリア
 征討総司令官に任命される







1804.5:ナポレオン皇帝に








1812-3年:ロシア遠征で敗北
1814:ナポレオン退位
  →エルバ島に
1815:ナポレオン百日天下
  →失脚セントヘレナ島
1821:ナポレオン死亡


−−−−−−−−−

 間もなくPredelプレデル峠(1156m)に到着、そのすぐ先が国境です。【●峠のDBへ

 この国境、想像していたほど大きな設備がなく、見回しても換金所や買い物する店すらありません。手元に6400Sitトラール(≒3800\)の小銭が残ってしまいました。ユーロになる前のアルプスエリアでは、国境付近で他国通貨はかなり使えたのですが、このあまり価値の高くないスロベニア・トラールは、国境を出たとたんに使えなくなりました。結局換金できたのは、次に銀行の前を通過したオーストリアの町でした。

 さて、国境検問所の役人にパスポートを見せるのですが、数日前の スロベニア入国時の検査の厳しさを思いだします。車の証明書(グリーンカード)やレンタカー契約書を手荷物の奥から出し、今朝事前にチェックした後部トランクの中や、カバンの中を再度思い出します。OKのはずだが・・・

 ちょっぴり何を検査されるのだろう、とびくびくしながら車を進めます・・・が、ここの役人はパスポートの形を遠めに見ただけ、荷物の検査などまるでありません。

 「OK、行け」の合図に、あっけに取られているうちに、車はイタリアに入ってしまいました。

predil predil predil
【c0.jpg:Predel峠 1156m】 【d5.jpg:Predel Gibanje-Omejeno 国境の建物】 【d9.jpg:真っ直ぐ行くとTravisio、左折でSella-Nevea峠へ】

−−−−−

【赤が通過したルート。●は峠、家マークは泊まった場所】

 スロベニアの紀行はここで終わります。最初に立てた通過目標の峠や、分水嶺のほとんどを無事通過することが出来ました。はじめて入った国、厳しかった入国チェック、全然通じない言葉など、はじめはどうなることかと思った旅でした。

 初日の山の中の村での歓迎、神秘的な鍾乳洞や洞窟の城、明るいアドリア海と山の湖での若い娘たちの日光浴、ユリアンアルプスの美しさなどと、たくさんの思い出が残る旅となりました。旅先の皆さん、本当にありがとうございました。

−−−−−

 年が明けた1月になって、あのロヴレンツェ村のペンションから半月以上かかってクリスマスカードが届きました。多分娘さんに書いてもらった、そのたどたどしい英語の文面には、日本人の宗教を気遣ってか「メリークリスマス」をはぶき、「ハッピー・ニューイヤー」だけが書かれていました。

 写真やおヒナさんの飾りを入れた封筒は届いたでしょうか? 書いてあったメールアドレスへの返信は、試行錯誤しても「あて先なし」で戻ってきます。まあ、パソコンが似合わないペンションなので、郵便でのんびり連絡をとり合いましょう。

 そして、今回通過できなかった峠や、古い歴史の地などに、また機会を作って遊びに行きたいと思っています。それまでに、今回の旅でのたくさんの疑問点なども、少しづつ調べていきたいと思っています。(観光協会などに問い合わせ中)


【スロベニアのアルプス、分水嶺、川。赤は分水嶺】

<スロベニアの峠・分水嶺と、旅の結果>

 標高  峠の名  【場所、分水嶺・川などの備考】
   
【→●:通過  →X:今回見送り】
1611m Vrsic(Werschetzpas)ヴェルシェッツ峠 ・・・●
 【Si(It国境まで5km):大・分水嶺Soca川→地中海
       /Sava-Donau川→黒海】
1517m Rogla/Koca-na-Peskuログラ峠     ・・・●
1385m Koca-na-Peskuコチャ・ナ・ペスク峠  ・・・●
 【Si(Maribor西):Drava-Donau川→黒海
       /Dravinja-Drava川→】
1277m Boh.Sedloボヒニ・セドロ峠      ・・・●
 【Si(Podbrdo北):大・分水嶺Baca-Soca川→地中海
       /Sava-Donau川→黒海】
1218m Seeberg-sattel Passゼーベルク峠   ・・・X
 【At/Sl国境:Vellach-Drau-Donau川→黒海
       /Sava-Donau川→】
1156m Predil -Passoプレディール峠     ・・・●
 【It/Si国境:大・分水嶺Koritnica-Soca川→地中海
        /Gaill-Drau-Donau川→黒海】
1084m Sleme                ・・・X
 【Si(Velenje北西):Meza-Donau川→/Savinja-Sava-Donau川→黒海】
1073m Wurzenpas Korenヴルツェン/コーレン峠・・・●
 【At/Si国境:Gaill-Drau-Donau川→黒海/Sava-Dunav川→】
0804m Potrovo-brdoブルド峠         ・・・●
 【Si(Podbrdo北):大・分水嶺Baca-Soca川→地中海/Sava-Donau川→黒海】
0525m Postojnska jamaポストイナ鍾乳洞   ・・・●
 【Si(Postoina)大・分水嶺の東:Pivka-Unica−Ljubljanica-Sava-Donau川→黒海】
0433-0570m Predjamski gradプレッド洞窟城・鍾乳洞・●
 【Si(Postoina西)大・分水嶺の西:→地中海・アドリア海・トリエステ湾】

<イタリア・オーストリア国境を、大・分水嶺に沿って西に進みます・・・・>
●ご意見・お問い合わせ・情報・何でも・・・「峠の茶屋・掲示板」(eu-alps)でお待ちしています。EU-ALPS.com  旅のGET旅のGET

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