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Traversette
【d908n.jpg:トラヴェルセッテ峠、オルディ砦:峠まで25分、トンネルまで15分の地点・・見上げた写真を接続したため凹に歪んで見えるが】

トラヴェルセッテ峠Colle delle Traversette(2950m)へ(2)

これ以上は無理!・・ハンニバルが1万の兵を失った雪の峠・・かも【●峠DB

イタリア:ピエモンテ州・クネオ県】[北村 峠一].(Kitamura)      


●大量の残雪が・・


 日が差しているうちは山々も美しいのですが、霧が流れ陰ってくると眺めも寂しくなってきます。さらに先ほどまでは山に隠れて見えなかったのですが、張り出した山の縁を回った先には、岩の間の雪渓。そしてその先、残雪の中を歩くようなルートになってきました。
 4日ほど前、ソスペルの客が「イズラン峠が1mの雪で閉鎖、通過できない」とか、2日前のヴィナデオでも、「ボネ峠では雪のトンネルの中を走って、何も見えなかった」というバイカーの話は、まさか自分の身にも関係するとは思っても見なかったのです。

 当然出てくる妻の、「ここで引き返そう」、そして私の「まあ、もう少し」。とは言いながらも、1m以上積もった柔らかい雪の上では、前の人の足跡にそっと足を乗せ一歩一歩。やはりしっかりした登山靴が必要です。さらに雪も深くなってきました。

 前方の山の斜面、霧の中を人影が動きました。目を凝らして見ると数人のハイカーと2匹の犬が、上に見える山小屋風の建物へ入っていきます。 「山小屋らしいから、あそこまで行って昼にし、引き返そう」

Traversette
【v921.jpg:砦の下の斜面でこの二人の山男に話を聞く】

Traversette Traversette
【左map:Plande Reからのルート:左V21過ぎから●の砦付近まで北東斜面で雪】 【map2.gif:●砦付近(約2760m)から左下の峠へ。峠直下は急斜面】
Traversette
【d893.jpg:山陰の残雪は1m以上あり・・かなり足がとられる】

 その小屋の急斜面の下で、昼をしていた2人のおじさんたちに声をかけ聞くと、
「トラベルセットへはその登山靴では無理・・雪が深すぎる・・トンネルは閉鎖されている・・・」
 やはりここまでです。小屋までよじ登って昼にしましょう。

 山小屋のように見えていたのは、かつての軍の兵舎・砦らしき建物(F. te Ordiオルディ砦)で立ち入り禁止。多分第二次大戦時の、国境警備のためのものでしょう。そういえば途中大量の錆びたバリケード鉄線が放置してありました。

Traversette Traversette
【d896.jpg:砦の30mほど先にある案内板】 【v859.jpg:上から:Pian Meri(?)2717m20分。Pian del Re2020m2時間。Buco di Viso2882m15分。Colledelle Traversette2950m25分。Passo del Luisas3028m45分】


【Louis XI】

【FriedrichIII】

【Galileo Galilei】

【DauphineとMARsat Saluces公爵領の境にトンネル。紫色はサヴォワ領】
 休むと冷えてくるので雨具を着込み、昼のパンとバナナを食べながら、案内板を見ると「トラヴェルセッテ峠まで25分、トンネルまで15分」。今12時半で、2時間40分ほどかかりましたから、雪さえなければ標準の3時間で登れるところです。

 霧が走る合間に山を見渡します。多分あの看板らしいものあるあたりがトンネルで2882m。2950mの峠から、たった68mしか差のないところにトンネルを掘るのですから、かなり急な傾斜があの先にあるのでしょう。

 信じられないことですが、このトンネルは1480年という中世の時代、まだ掘削の機械もない時代に人力で、≪アルプスに、最初に掘られたトンネル≫なのです。
 西のドフィーネはフランス領でルイ11世。東はサルッツオ公爵領で、神聖ローマ皇帝・FriedrichIIIフリードリヒ3世が工事遂行の勅許証を出したという記録を見つけました。

 周囲をサヴォワ王国に囲まれた小国サルッツオは、その独立を保つため「アルプスを越えるトンネル」を建設し、フランスとの生活物資などの交易をしていたのでしょう。しかし、やはり1548年にはフランスに占領され、1601年にはサヴォイア王に譲渡されてしまったのです。
 小国が生き延びるため、周辺国とのバランス政治の生産物だったわけですね。

 後日フランス側で知った情報ですが、ガリレオ・ガリレイGalileo Galilei(1564-1642年)もこのトンネルを通過しているとのこと。彼はこのあたりで丸い地球を観察したのでしょうか。

●トラヴェルセッテ峠のトンネル情報



●追記:Tenda tunnelテンダ(タンド)・トンネルが、「1450年にトンネル建設が始めたが、完成することはなかった」との情報を見つけました。トラヴェルセッテ・トンネル開通より30年も前。当時テンダ峠の両側はサヴォワ公国でしたから、神聖ローマ皇帝の許可は不要だったのでしょう。しかし、サルッツオ公爵は隣国のトンネル工事開始も、皇帝許諾のための材料に使ったと推測できます。

ヴィナディオVinadioの歴史情報も参照してください。

Traversette
【d908n2s.jpg:トラベルセッテ峠まで残り25分の看板の地点、左に大戦時の兵砦舎がある。左手上に向かって峠。赤の矢印付近がトンネル。この先さらに大量残雪のため引き返す。雲が走りその晴れた部分を撮影し、写真を貼り合わせたもので、実際は部分的にしか見えていない。見上げた写真を接続したため凹に歪んでいる】

Traversette
【d909n.jpg:砦から渓谷側を見る。ガスが次々と上がってくる】

Traversette Traversette
【v895.jpg:Fabbricato Pericolante non Avvicinarsi建物崩壊の危険性あり。近寄るな】 【v931.jpg:危険な兵舎とLuisas峠方面の斜面】

<Mundbergさんからの峠情報>

 2003年夏にフランス側から峠に登られた方から、2007.7.28(私がトライした1月半後、イタリア側からも登頂した旨の便りを頂きました。その写真と情報によると、「すでに残雪は消えていた。この砦付近から峠までの区間は、やせ尾根、急勾配等で、かなり厳しい」とのことでした。

Traversette Traversette Traversette Traversette
【1:●が砦の位置、↓が峠の位置(想定)】 【5:峠の直下急勾配】 【t1:峠頂上】 【2:トンネルのイタリア側入口】
−−−

●雪渓の下りは・・


 先ほど登ってきた雪渓、登りは慎重に体重を足にかけ、ゆっくりと登ってきたから良いのですが、下りはガスが巻いて来たことも関係してか足跡が見つかりにくく、かつ、つい柔らかい雪に足をのせ、もぐらせてしまいます。膝まで入った足は抜くのに大変なのです。

 ハンニバルの軍が、残雪の大量にある時期、悪天候・大吹雪の中を降りてきて、1万人もの兵(推測:歩兵9千、騎兵9百、象3頭)を失うという大被害が出たことが実感できます。でも身に付けていた武器や衣類、食料などは地元部族にとっては「思わぬお宝」だったでしょうから、すべて剥ぎ取られ・・いつかどこかの大岩の窪地などから、遺骨だけが見つかるかもしれません。

 ところでなぜ象は、たった3頭だけ(20→17頭)の被害で済んだのでしょうか。地図やこの付近の地形を見て想像すると、フランス側から山を大きく回るゆるい道を切開き、イタリア側でも右手に見えるPasso del Luisasなどの緩やかな傾斜路を下ってきたのではないでしょうか。象や食料・武器などの荷役物資のために、大岩を砕いたり道を作ったりして、イタリアの平原への到着は2-3日遅れたように当時の記録が読めるからです。

Traversette Traversette Traversette
【d924.jpg: 】 【d926.jpg:あと1時間20分】 【d957.jpg:下るにつれ雨は激しく、夕食だけを楽しみに疲れきった足を動かす】

Traversette
【d940.jpg:残り1時間】

 雨がしっかり降ってきて、時々アラレがパラパラと雨具を打ちます。斜面を飛び跳ねる小さな氷の動きは、見ていて可愛いものです。それに日本と違って雨具を着ていても汗でべたべたすることも無いので。

 いつものように下り坂で、疲れが足に来た妻のスローペースに合わせ、カメラに雨がかからないように気づかいながら、花の写真を大量に。そして珍しいAlpine Salamandraアルプス・サンショウウオの歓迎まで受けてのハイキングでした。

Traversette
【d974.jpg:Alpine Salamandra】

●Alpine Salamandraアルプス・サンショウウオ

 ・サンショウウオ科:体長10-15cm、前・後足4本の指(日本の種は、前足4本、後足5本指)
 ○http://www.herpetofauna.at/【英:Alpine salamander/仏:Salamandre noire/伊:Salamandra alpina】
 ○http://tolweb.org/Salamandra
 ○http://fr.wikipedia.org/wiki/Salamandra
 ○http://www.comune.massello.to.it/


Traversette
【d937.jpg:青・白系●花の図鑑:青色へ  ●花の図鑑:白色へ

Traversette
【d935.jpg:黄系:●花の図鑑:黄色へ

Traversette
【d877.jpg:赤系:●花の図鑑:赤色へ

 登りより20分余計かかりましたが、駐車場到着は3時50分と出発から合計6時間のハイキングでした。次回の挑戦は何年後になるでしょうか。濡れた雨具をトランクに入れ、雨の道を宿に帰ります。シャワーで汗を流した後の夕食のビールとワイン。ラビオリ、仔羊・・そしてスイーツ。今晩も「ボーノ! ボーノ!」の連続のおいしさです。


 翌日の夕方、雨が急激に上がり・・ピアン・デル・レーまで走らせます。そして・・・



<●以下は、2002年作成の「Traversette -Col de la トラヴェルセッテ峠のイタリア側・・・下り・・想定」・・を転記>


 この峠・・・イタリアに向かっての下りの行軍で、ハンニバル軍は 約1万人の死者(歩兵9千,騎兵9百,象3頭と推定:kitamura)を出したのです。何が原因なのでしょう。この傾斜はたしかに急ではありますが、通常の山の頂上付近の地形・勾配と同じ程度ではないでしょうか。大量の死者が出た理由は?  ・・・それは「凍死」ではないでしょうか・・・ ◎参考:歴史上の「山岳・凍死」事件

Elephants

●ハンニバルと象が「トラヴェルセッテ峠」の下り(推定)を進軍した状況など

 −− ポリビオス(BC200-BC118)の記述による。「」は推定の地名 −−
 ●前のポイント「Belvedere-du-viso2」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●次のポイント「Po川上流平地」

  <ここまでの経緯>

 約5カ月前、スペインを出たカルタゴ軍は、ようやくアルプスの最後の峠に到達する。
 しかし地元部族の奇襲などで疲労し、さらに食糧は底をつき、また、雪・寒さで軍の士気も衰えていた。
 前日、ハンニバルは全部隊の指揮者を集め、眼下のイタリアの谷を見せ、翌朝の進軍を指示した。
 雪山での行軍を経験していない彼ら・・・山に本格的な雪が降り出した。
 軍の規模は、歩兵2万9千、騎兵6千9百、象20頭。

<紀元前218年10月22日:アルプスの登り道から12日目。イタリアの平野まで残り3日

○前夜からの雪はさらに激しくなった。風も吹き吹雪となった。
○朝、寒さ・飢えなどで動けない兵士が多発する・・・彼らを置いて先に行く・・・凍死へ。
○歩きだした兵士達は、寒さに耐えるためすべての衣類を身につけ、足元も革、布でくるむ。・・・しかし雪・氷は、その衣類を冷たい水で冷やし、足を麻痺させる。
○隊は、吹雪の中を下りだした。・・・ゆっくりした行軍・・・吹雪でさらに冷える・体温下がる。
○前方の偵察隊は道を見つけ、各所で氷・雪の層に足場を作る。
○狭い危険な道が続く。足を踏み外し、滑り落ち、岩に打ち付けられるものがでる・・・怪我→凍死へ。
○大量の荷を積んだ動物は、不安定な場所で、雪・氷に足を踏み抜く。動けなくなる・・・凍死へ。
○地すべりで大きく山肌がえぐられ、大きな垂直の崖に行き当たる。
○工兵たちは、少し上方に道を作る。・・・待つ兵士の体温はますます下がる。
○しかしそこを通過するうちに、氷・雪とともに地すべりが起きた。通過中の多数の兵・荷役動物が滑落。・・・怪我・凍死へ。
○夜間になり、移動が危険になり野営することになる。
○兵の中に絶望感が出始める・・・・勝手な移動・・・凍死へ。
○斜面・尾根で野営・・・かなりの軍は、フランス側の比較的平坦な地に戻る。
○寒さ対策のため、フランス側の森林のある下まで木を集めに行き、運びあげ、薪火で暖をとる。
○さらに雪は降り続き、吹雪も続く。・・・体温下がる・・凍死へ。

−−−−
<紀元前218年10月23日:アルプスの登り道から13日目。イタリアの平野まで残り2日

○朝、寒さ・飢えなどで動けない者が多発・・・凍死へ。
○吹雪はまだ続く。
○まだ暗い時間から、工兵は新たな道の建設を始める。
○少しずつ軍は動き、下る。・・・ゆっくりした行軍・・・吹雪でさらに冷える。
○途中に大きな岩がありそれ以上進めなくなった。巨大で動かず、ハンマー・つるはし・斧などによる程度では壊れなかった。・・●象や荷役のためのルート作成のためだろう
○絶望がさらに全軍に広がる・・・独自の行動・パニック・・・凍死へ

  ・・・大吹雪が続く・・・ハンニバル軍に大きな絶望感が広がる・・・
●巨大な大岩をどうやって破壊し、道を作ったか・・・
・峠のフランス側にかなりの兵を戻し、森林限界の付近から大量の森の木を切った。動物と兵士は次々とその薪を峠を越えて運んだ。さらに荷物の中から酸っぱいワインを大量に集めた。
・大岩の横・上で薪を焚き、岩を十分に熱し、酸っぱいワインをそそぐ。大岩は砕け、亀裂をつるはし・斧などでさらに砕き、道を開いた。
−−−−−
<紀元前218年10月24日:アルプスの登り道から14日目。イタリアの平野まで残り1日

○朝、通過できなかった兵、動物の中に、凍死、寒さ・飢えなどで動けないもの多発・・・凍死
○狭い幅の道を、歩兵隊、騎兵隊、輜重隊は下の平野に向かって下っていく
○工兵は、象、荷を移動するための幅広の道をさらに作る。
○軍の先頭は、ポー川の平野部に到着し、キャンプを設営する。

−−−−
<紀元前218年10月25日:アルプスの登り道から15日目。イタリアの平野に到着

○工兵は、象・荷のために道を整備・建造。
○歩兵は全員キャンプまで下る。
○夜:ほとんどがポー川の平野部に到着し、キャンプする。>

<10/26頃:イタリアの平野部
○象もすべて、ポー川の平野部に到着。
○兵、動物、荷の点検把握をする。1万2千のアフリカ兵、8千のスペイン兵、6千の騎兵、象17頭を確認する。
 この峠の下りで、9千の歩兵、9百の騎兵、3頭の象を失った。
 出発から5カ月で、1万8千の歩兵(3.8万→2万)、2千の騎兵(8千→6千)、20or22頭の象(37or39→17頭)を失った。


参考資料:
 この記載情報はポリビオス(BC200-118)の記述による。これをもとにルートを推定・解説している本は以下のものである。
 ・Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア 『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』時任生子訳:博品社
 ・John Prevasジョン・プレヴァス『HANNIBAL CROSSES THE ALPS ハンニバル アルプス越えの謎を解く』村上温夫訳:白水社
 ・Hans Baumannハンス・バウマン『ハンニバルの象つかい』大塚勇三訳:岩波書房

< 関連サイト>

 ○http://www.parks.it/【Parco della fascia fluviale del Po - tratto Cuneese】
 ○http://www.parks.it/【Itineraries:Tour of the Lakes】


<イタリア・ワイン/チーズ>

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