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ヴィナディオVinadioの宿
【d823.jpg:ヴィナディオの宿で:フランスとドイツの客】

ヴィナディオVinadio

ホテル・イタリアのあのマスターは・・この5年であまりにもやつれ・・?

イタリア:ピエモンテ州クネオ県】[北村 峠一].(Kitamura)      

SospelからVinadioへ
【SospelからTenda峠を経てVinadioへ】

●Sturaストゥーラ渓谷を西へDemonteデモンテへ・・


 テンダ峠Colle di Tendaをあきらめ、塩の街道を北へ。Borgo S.Dalmazzoボルゴ・サン・ダルマッツォの交差点からやっとSturaストゥーラ渓谷に向かった頃、かなりひどい雨が降り出しました。

 明日の峠への分岐の町はDemonteデモンテなので、その付近に宿を見つけようと思っていたのですが、時折激しく降る雨の中からは、なかなか宿が見つからないものです・・

Aisone
【v305.jpg:AisoneはすでにDemonteデモンテを通り過ぎていたのに・・雨の中走っていて気づかず】

Aisone
【v315.jpg:Aisone:役場もあったのに気づかず】

Aisone
【v343.jpg:宿を探しながらAisoneの町外れを過ぎ】

ヨーロッパアルプスのハイキング地図
【ヨーロッパ・アルプスのハイキング地図】
  【国別地図】  【日本語ガイド本】
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●ヴィナディオVinadio、あのHotel-ITALIA・・5年も経つとマスターも・・


 気が付いたら10kmほども通り過ぎた町、Vinadioヴィナディオに入ってしまいました。そしてここは2002年の旅で、Lombadeロンバルデ峠(2350m)から下ってきて、コーヒーを飲んだHotel-ITALIA。その宿の目の前に着いたのです。

ヴィナディオVinadio
【v356.jpg:ヴィナディオVinadioの町に入って来てしまった】

ヴィナディオ:ホテル・イタリア
【d825.jpg:ヴィナディオ:ホテル・イタリア(翌朝は晴れ)】
 きっとこの宿は、縁があっって僕たちを呼んでくれたのでしょう。ホテルに空き部屋はあって、宿代が55eur/2人(朝食付)。朝食を付けなくても50eurと、たった5eurの差かしか無いので当然朝食付きにします。

 翌朝、安い理由は判りました。コーヒーとクロワッサン、スナック菓子のみ、でもやはり安い朝食です。

 フロントの男の人は、2002年のとき目の前で、1杯たった1eur(当時100円以下)のコーヒーを、わざわざ入れてくれたおじいさんによく似た顔と体型。でもかなり若い人だったので「2002」と紙に書き「5年前にあなたの親父さんにコーヒーを入れてもらった。同じ顔だったよ」と話すと、かなり嬉しそうな反応でした。


ヴィナディオ:ホテル・イタリア
2002年に来たときのホテル・イタリア

宿の利用結果:感想、お勧め度、住所など

【宿のパンフから:多分 話題のマスター?】
●イタリア:ピエモンテ州:クーネオ県 Vinadioヴィナディオ
<Hotel Italia イタリア (☆3)>

Hotel Italia
・住所など:in Via Roma 18. 12010 Vinadio Italy
・Tel:0171-959148 -959225。fax 0171-959148
地図

・2007年6月12日、1泊。
2002年、ロンバルディア峠を下った時、コーヒーを飲んだ店
・クネオ西部の峠・踏破の基地として
・Arma渓谷〜クネオ西部の峠への入り口、Demonteまで約10km、ラルシェ(マッダレーナ)峠の東に位置し、移動に便利。
・レストランの料理もうまい。
・ツインルーム(夕朝食付き)99 eur(約16.4千円)/2人・泊
・駐車場は道路の向かいの敷地内。
・1904年にはじめたHotel。宿の正面と西に砦がある。
私のお勧め度:4.0
過去に利用した宿:ホテル・ガストフ

 6時半過ぎ、そろそろディナータイムかと思い、レストランの張り紙を見ると8時から。やっぱりここの町も遅いのです。仕方なく散歩でもしようと道路脇に出ると、宿のテラスベンチでおじいさんがコーヒーを飲み、本を読んでいます。
 妻が、「5年前の人のような気がする。あの息子が呼んだのよ」
 でも私は、「いやもっと大きくて、かっぷくのいい人だったよ」
 気力が失せ、ボーッと道行く車を眺めているおじいさん。多分違うだろうとは思ったのですが、
「こんにちは」と英語で声をかけると、ちょっとニコッとして、ボソボソとなにか返事をくれたのですがよく聞こえません。
「5年前、あそこのカウンターでコーヒーを作ってくれた人ですか」。
 それに対して、「コーヒー」とか「ホテル」の単語と同時に、ホテル内部を指さして、また何かボソボソと言ったのですがまたも聞き取れません。

 でもその動きなどで、あの時のおじさんだろうと決めました。病気でもしたのでしょうか、すっかり痩せ、小さくなり、髪も薄くなってしまいました。息子夫婦に宿経営を任せて隠居し、療養でもしているのだろうと身につまされたのです。
 話題がないので、「あそこにある大きな壁のような建物は何ですか」と指差すと、
「FORT砦」のような答えが返ってきて、見学に行くことにしてその場を離れます。

 そのあと、砦を回っているときも、あがっていた雨がまた降ってきて雨宿りしているときも、部屋に帰ってからも、妻との話題は「老い先と、あの人の5年間の変化など」が話題になりました。そして宿を出るときにプレゼントを渡そうと決めたのです。

ヴィナディオVinadioの砦 ヴィナディオVinadioの砦
【d816.jpg:ヴィナディオVinadioの砦】 【d817.jpg:ヴィナディオVinadioの砦】

ヴィナディオVinadioの砦
【v380.jpg:ヴィナディオVinadioの砦】

ヴィナディオVinadioの砦 ヴィナディオVinadioの砦
【v386.jpg:ヴィナディオVinadioの砦】 【h655.jpg:ヴィナディオVinadioの砦】

●Forte Albertino

フォルテ・アルベルティーノForte Albertino(it)は、サルデーニャ王国が19世紀半ばに建設した要塞である。軍事的な施設として、また標高1200mの山岳部に建設された巨大建造物として特徴的なものである。1834年に建設が始まり、2年間の中断をはさんで1847年に完成した。3層構造となっている城壁の総延長は1200m、堀の総延長は10kmに及ぶ。第二次世界大戦中には米英軍による爆撃も受けた。2000年に修復が終わり、現在はツーリストセンター・文化センターとなっている。2003年、町が「2CV友の会世界大会」(World Meeting of 2CV Friends) のホストとなった際にはこの要塞が会場となり、世界各国からおよそ7000人が集まった。
 ○http://ja.wikipedia.org/wiki/【wiki/ヴィナーディオ】


●この周辺の歴史


<先史>
・BC4000年頃、Ligurii族の集落があった(Alba,Aisone,Bellino)
・BC400年頃、ケルト族の移動があった。
・Bossea洞窟での遺跡がある。

<古代ローマ時代>
・BC300年-AD63、集落が各地に点在していた。

<中世>
・402年:Pollenzoでスチリコ(ローマ)とアラーリック(ゴート)の間の戦。
・7-8C: ロンゴバルトとフランクの領土争い。大修道院の建設。
・9-10C:サラセンによる襲撃や略奪。
・899年:AlbaはHungariansにより破壊される。
・11-12C:サルッツォ侯爵が地位を確立した。(1230年サルッツォ侯爵がクネオから譲渡)
・12-13C:自由都市が各地に出来た(Savigliano,Cuneo,Mondovi,Fossano,Bra,Cherasco)
・14C:周辺の平野が徐々にSavoyの財産になる。ロマネスク美術、ゴシック建築、城の構築、僧院、絵画などの文化が栄える。

<1500 - 1800年>
・1515年:フランソワ1世が、当時未知のラルシュ峠を3千人の工作隊で切り開いた。
・1546年:サルッツォ侯爵はフランスの配下になる。
・1601年:ライオンズ条約で、サルッツォはSavoy家の領地になる。
・1631年:Cherasco平和条約で、AlbaはSavoyの領域となる。
・1713年:ユトレヒト平和条約で、Castellata(上Varaita谷)はSavoy所有となる。
・1736年:州全体がSavoy配下となる。
・1796年:Savoysはナポレオンに降伏。

<1800年 -今日>
・ナポレオン退位後、この地はSavoy王家の休日や狩猟用のお気に入りの地になる。
・1859年:イタリア独立でクネオ州に。
・1915-18年:第一次世界大戦
・1940-45年:第二次世界大戦。Cuneese山岳エリアは、ロシア軍により壊滅された。1943年9月8日以降パルチザン闘争開始。ドイツがBovesの町を2度焼き払う。1944年10月10日自由共和国アルバの23日間。
・1947年:Briga と Tendaはフランス領となる。

http://turismo.provincia.cuneo.it/【クネオ県の歴史】
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●フランス人、ドイツ人夫婦も、全員が同じメニューを注文?・・


 かなり激しい雨の中を砦から帰ってくると、バイクを脇に停め、これ以上走れないと観念した客など何組かがホテルに集まってきています。
 やっと8時のディナータイム、入口のドアの前に僕たちを含め3組が待っていますが、なかなか開きません。どんどんと戸をたたいて催促する人も居て約10分遅れでやっと室内に。

ヴィナディオVinadioの宿
【d818.jpg:ヴィナディオVinadioの夕食:冷肉、パスタ、ポーク。これ以外にデザート】
 飲物をたのみ、次は料理なのですが、ここの若女将らしい人はイタリア語しか通じません。周りでもフランス語とドイツ語が入り混じり、若女将の右往左往する時間が過ぎました。

 メニューを読んでも、思っていたような料理が来ないのが当たり前。いつも、何が出てきてもたいして驚かないのですが、今回は驚きました。妻と私のものが同じだったのです。まあ良いんじゃないかと思っていたら、3組6人が、まるで同じもの。それぞれの席でガヤガヤしている雰囲気でわかります、皆言葉が通じなかったのです。

 でも料理の味に満足した1時間ほどが終わり、デザートが来た頃、隣のご主人に「ラルシェ峠はどうでしたか」と声をかけます。これをきっかけに、私が持参した畳一枚ほどのイタリア・ピエモンテの地図が空きテーブルに広がり、男の雑談が始まりました。

ヴィナディオVinadioの宿
【d822.jpg:ヴィナディオVinadioの宿で:前はフランス人、後ろはドイツ人の客】
 隣の夫婦はフランス北西部から車で、
「ピノキオの壁画がこの村に、そしてここにもあるんだ」と教えてくれます。
 ご主人はフランス語だけなのですが、奥さんが英語に通訳してくれます。

 もう一組はドイツからバイクを列車に乗せてやってきて、峠めぐり。
「ボネ峠はやっと除雪したばかりで、雪の壁の中を走ってきたんだよ」「今年の天候は寒くて大変だ」などと。
 やはり英語は奥さんが少し話せて、でも、地名と単語とジェスチャーで会話している分には、そして必要によって筆談すれば何語でもかまわないのです。

 地図を囲んでワイワイやっている男たちを、後ろで見ている奥さん連中は、
「男はどこの国の人も同じね」などと笑いあっています。
 1時間近くも雑談し、夜10時近く、皆で記念撮影しメールアドレスを交換したのです。

 旅の後、写真送付をきっかけにフランスの人からは、2ヶ月ほどの間隔で、ピノキオの写真・旅先情報などがフランス語で送られて来、私からは年賀の絵や英語メールなどの交換が続いています。

−−−

●パパは見送りにも・・?


 翌朝出発時、宿代支払に出てきたのは昨夜の若女将。
 日本のすしネタを書いた「手ぬぐい」に『お元気でいて下さい』と英字メッセージを添えたものを渡しながら、英語とイタリア語の単語会話で「5年前の親父さん(パパ)の話」をし、プレゼントを渡しました。

 バックを車に運ぼうとホテルのドアを開けると、あの老人がコーヒーを飲んでいます。見送りに出て来てくれたようです。
 で、若女将に、
「あそこに座っているのがパパ?」と聞くと、
 とんでもないという顔で「いえ、いえ・・違う」・・近くの老人が朝夕コーヒーを飲みに来ているだけらしいのです。

「5年くらいじゃ、あんなに衰えないよなー」「すっかりそう思い込んでしまったので・・」
 車内でしばらくこんな笑い話が続きました。



より大きな地図で 2007Tr-avel-R-oot-Po-int を表示
ヴィナディオの教会
【d824.jpg:ヴィナディオの砦にある博物館と教会】

<Vinadio関連サイト>

 ○http://turismo.provincia.cuneo.it/【Vinadio:砦の歴史など】
 ○http://ja.wikipedia.org/wiki/【wiki/ヴィナーディオ】
 ○http://www.piemonte-emozioni.it/【Vinadio:砦・教会・St.Annaなど】
 ○http://www.ghironda.com/vermenag/comuni/verna.htm【Vernante(Tenda峠北の町)ガイド:ピノキオの壁画情報など】
 ○http://www.ghironda.com/【Alpi Marittime自然公園】
 ○http://www.piemonte-emozioni.it/【Valle Sturaガイドなど】

<イタリア/フランス・ワイン>

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