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Livigno
【f55.jpg:町の西斜面のハイキングコースから見るリヴィーニョの町】

Livignoリヴィーニョの町

アルプスの大分水嶺で隔離された免税の町。
ハイキングの足元はお花だらけです。

ロンバルディア州ソンドリオ県】   [北村 峠一].(Kitamura)      


 フォスカーニョ峠(2291m)、エイラ峠(2208m)を越え、イタリアのなかでも地理的に秘境です。眼下にリヴィーニョの町(海抜1818m)が見渡せる絶好の場所まで降りてきました。Spolシュペール川が作った谷の全貌が見渡せる場所、明るい渓谷が広がっています。

 西に見えている2500-3000mクラスの丘の向こうにFederiaフェデリア渓谷があり、そのさらに向こうのスイス国境の険しい山を越えないと、ポントレジーナ(1777m)やサンモリッツ(1856m)には行けないのです。大分水嶺のイン川流域とはいえ、スイスへの行き来もまた大変なところです。

Livigno
【e29.jpg:エイラ峠から降り、リヴィーノの町を見下ろす(西方向)】

Livigno
【d99.jpg:エイラ峠側を見上げる(東方向)】

リビーニョ・エリア
【リビーニョのエリアは、ドナウ川(イン川)の流域。
赤の線は大分水嶺で、北のOfenpassオッフェン峠から、Livignoリヴィーニョ峠を経て、Foscagnoフォスカーニョ峠に至る】
 リヴィーニョの市街地は、日曜のせいかたくさんの観光客が町の中を歩き、一般車両は通行止め。で、町の北側で見つけた宿で2泊を確保し、早速散歩に出てみます。
 6月末ですから、ランニングしている若者たちは夏休みの合宿でしょう。何組もの家族連れも、渓谷のSpolシュペール川に沿った散策路を行き来します。

Livigno
【d11.jpg:夏の合宿だろうか】

Livigno Livigno
【d12.jpg:家族連れの後ろを】 【d09.jpg:Spolシュペール川に沿って散策路が作られて】

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 翌午前中、町の西にある東斜面に沿ったハイキングコース(No.112)を散策することにします。ちょうど昨日見下ろした渓谷を、反対側から見下ろすように、斜面を南に歩くルート。昨夜見たTVで、この渓谷を見下ろす周遊のマラソン大会が毎年行われているようでした。

 北に見えるGalloガッロ・ダム湖は、水位がかなり低いのです。昨日見たCancanoUカンカーノU世のダム湖と同じく、昨年夏の猛暑、その後の降水量などが影響しているのでしょう。地元のTVでも、節水を呼びかけるCMなどが流れていました。

Livigno Livigno
【g01.jpg:ハイキングに西の斜面に登る】 【f09.jpg:Galloガッロ・ダム湖(リヴィニョ湖)はかなり水が少ない】

Livigno
【f18.jpg:町の西側斜面のハイキングコース(112)から見るリヴィーニョ全景】

 丘の斜面に10頭ほどの牛・山羊の面倒を見ている子供たちを見つけます。多分小学校3年ほどの女の子が、小学1年ほどの妹と、4−5歳の弟、一匹の犬だけでこの牛たちを世話しているのです。小さなテントの中で日差しを避けながら、時々本を読んだりしながらのお手伝いなのです。

 今年生まれた山羊でしょうか、好奇心から群れを離れて僕たちの付近まで観察にやって来ました。男の子が山羊を戻すために派遣されましたが、山羊から見ても末っ子は格が下、全然言うことを聞かず無視です。でも彼も男、叩くふりをしたり、履いていたサンダルを蹴ったりと、結局山羊を群れに戻したのです。お姉ちゃんも、弟も・・お手伝いご苦労さん。偉いですね。

Livigno
【104.jpg:4−5歳の男の子が、山羊を戻そうと・・】

Livigno Livigno
【122.jpg:スリッパを蹴ったりしながら】< 【130.jpg:10頭ほどの牛・山羊の面倒を見る子供たち】

Livigno
【146.jpg:山小屋のベンチで、おじさん2人が笑いながら雑談して・・と、よく見ると壁絵】

 3時間ほどのぶらぶら歩きの間に、実にたくさんの花を撮影できました。東斜面で暖かい日差しを一杯に浴び、家畜たちの糞も十分な栄養になっているのでしょう。いくつかの花の中でも、白の一番左2つの花、はじめて見たこれは「Antennaria dioicaアンテンナリア・ディオイカ(キク科エゾノチチコグサ属)」という花だそうです(takagiさん情報提供)。【●アルプスの花図鑑へ】【●近隣の峠のDBへ

Livigno
【f08.jpg:黄色の花:クレピス・アウレア(キク科)/カルタ・パルストゥリス(キンポウゲ科)/(キク科)/ロトゥス・アルピヌス(マメ科)/?/(キク科)/?】

Livigno
【f13.jpg:白の花:左からアンテンナリア・ディオイカ/同左/ケラスティウム(ナデシコ科)/シロツメクサ(マメ科)/?/?】

Livigno
【f66.jpg:赤の花:センペルビブム・アラクノイデウム(ベンケイソウ科)/アルペンローゼ(ツツジ科)/ポリゴヌム(タデ科)/シレイネ・ディオイカ(ナデシコ科)/(ジンチョウゲ科?)/ワレモコウ(バラ科)/アステル・アルピヌス(キク科)/トリフォリウム・アルピヌム(マメ科)】

Livigno
【f70.jpg:青の花:フィテウマ・オバトゥム(キキョウ科)/ヴェロニカ・カマエドゥリス(ゴマノハグサ科)/Viola calcarata(スミレ科)S/?/フィテウマ(キキョウ科)/ゲンチアナ・コキアナ(リンドウ科)/Bartsia-Alpina(ゴマノハグサ科)】

−−−
 丘を町の南はずれに下り、中心の道を宿に戻ります。このリヴィーニョには、一時Walserヴァルザーと呼ばれる人たちが住んでいたとのこと。この太い木で造られた古い民家は、他のヴァルザーの村にもある特徴的な建物です。その古民家を入手し、内装などを加工して住んでいるのは、Falcade ファルカーデ村で見たのと同じドイツ系の方でしょうか?

Livigno
【f88.jpg:木で造られたヴァルサー風民家】

Livigno
【f89.jpg:民家の壁画】

ヴァルサー人の道 ヴァルサー人の道:

●Walser(ヴァルザー人・ヴァリス人・ワルザー人)の居住地と道:

 ヌフェネン峠、フルカ峠、グリムセル峠・・ この3つの峠で囲まれたローヌ川の深い渓谷の奥に、人が住み着いたのは6世紀。ケルト系のアラマン人がゲルマンの侵入で南西に移動し、グリムセル峠を越えて下ってきて、上部ヴァリスを占拠した頃からだろうとのことです。
 その後このヴァルザーWalser人は、アルプス南部の谷に分散移住していったのです。その街道を「ヴァルサー人の道」と呼んでいます。ヴァルサー人はアルプスの峠の荷役運搬などでも、重要な役割を担っていました。

○ヴァルサー人の道:
 親は財産を一人の後継者に継ぎ、他の子供は新天地を求め移動した。最初はイタリア・アルプス、その後スイス・グラウビュンデン州の高地、さらにオーストリア・フォアアールベルク地方にまで。

==>●「Walserヴァルザー人」へ

(スイス)
 ・Wallisヴァリス/Valaisヴァレー州のローヌ川上流(6世紀以降)
 ・ダヴォスも・・(13世紀:ミシュラン:スイスp246)
(オーストリア)
 ・Bregenzer-Waldブレゲンツァーヴァルト(10世紀以降)
 ・Hochtannbergホーホタンベルク
 ・Brandnertalブラントナータール
 ・Kleinwalsertalクラインヴァルザータール(13世紀)
 ・Grosses-Walsertalグローセス・ヴァルザータール:10世紀以降スイス・ヴァリス地方から移り住んだ(ミシュラン:オーストリアp67/70/164)
 ・Galtur ガルチュール
(イタリア)
 ・Livignoリヴィーニョ
 ・Val-Gressoneyグレッソネ渓谷(13世紀)

<関連サイト>
 ☆http://www.myswiss.jp/hr/【歴史:ヴァルサー人の道解説
 ○http://www.tlfq.ulaval.ca/【Le walser:居住地地図】
 ○http://www.provincia.vercelli.it/【イタリア・ピエモンテ北部のヴァルザー】
 ○http://utenti.wide.it/【WALSER:スイスからイタリアへのアルプス峠越えの移住進路】
 ○http://www.vorarlberger-walservereinigung.at/ueber-die-walser/【Uber die Walser:分布地図とオーストリアのヴァルサー人】
 ○http://utenti.wide.it/torriste/4414.php【WalserのGressoneyへの移動ルート】
 ○http://www.regione.piemonte.it/【WalserのIssimeの民族衣装など。歴史
 ○http://www.inalto.org/【IssimeとWalserの歴史】
 ○http://www.prolocoissime.it/【IssimeとWalserの歴史】
 ○http://www.walserland.org/【Walserの民族衣装など】
 ○http://www.tlfq.ulaval.ca/【Walser解説・イタリアの分布】


 ハイキング中、ほとんど人に会わず、町の中でも昨日(日曜日)のたくさんの人たちの1割ほどしか見かけません。あのほとんどの人は、ボルミオやスイスから日帰りだったように思えます。 このリビーニョの町は「免税エリア」で、ブランド品やソニーなどの日本のカメラ製品がショーウインドウに並べてある店がいくつかあります。がデジカメなどの価格を見ると、免税とはいえ秋葉原の2倍近い価格がついているように感じます。やはり買っている人もほとんど見かけません。 免税効果が大きく、人気があるのはガソリンなのでしょう。スタンドがこの小さな渓谷の中になんと10以上もあります。

 この「免税/自由エリア」はどうやってできたのでしょうか? 当初ダムの恩恵かと思っていたのです。調べてみると、ダム工事以前の1910年、第一次大戦の前に法制化されていましたから、イタリアの僻地リヴィーニョを活性化するための政策だったのかもしれません。

 夕暮れ時、S.Mariaサンタマリア教区教会のまわりの散策は、雪山をバックに物悲しい風情です。近くのスポーツ設備には、フリークライミング用の人工壁があり、垂直20m以上も上にホールドが見えています。怖いでしょうね?

Livigno
【fa9.jpg:S.Maria教会(北側/南側)、フリークライミング用の人工壁、20m以上も上にホールドが・・怖い?】

<Livignoリヴィーニョ>

・イタリア・ロンバルディア州・ソンドリア県のValtellinaヴァルテッリーナ(Bormio=リビーニョ付近、Valtellina=ソンドリオ付近、Chavenna=カヴェンナ付近)は、以前はミラノ公国に属していた。

⇒1512年以降は現在のスイス・グラウビュンデン州と一体で、グラウビュンデンに属していた。その頃、ヴァルテッリーナはWesttirol(西ティロル)or Veltlinとも呼ばれていた。

⇒1797年:ナポレオン配下でチサルピナ共和国の合流させられた。
⇒1815年:ロンバルディ・ヴェネツィア王国⇒1859年:サルデーニャ王国⇒1861年:イタリア王国

 ○http://www.eurovacanza.it/uk/destinazione.asp?destinazione=24【Livigno history:村は一度Walser人が居た】
 ○http://www.gallisportcompany.it/_english/livigno/livigno_curiosita.cfm【自由エリアはどうやってできたのか】
 ○http://www.ktt.com.pl/【Livigno-スキー地図】
 ○http://www.alpineskimaps.com/italy/livigno/summap.htm【Livigno-ハイキング地図】
 ○http://www.bergfuehrer.com/【リヴィーニョのMTBツアーガイド】


<スイスへ抜けるトンネル「Munt la Schera」方向に、「Passo del Gallo ガッロ峠」という表示を見つけて・・・>

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