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プレッケン峠の第一次大戦のモニュメント

Plockenpass / Pso.di Mte.Croce Carnico
プレッケン/モンテ・クローチェ・ディ・カルニコ峠(1363m)
 古代ローマの「道路補修の碑」さえ残っている、古い「十字架山峠」 【●峠のDBへ

 大きな戦争で多くの若者が、将来の夢を果たせずに散っていったのです。旅のプレゼントには、どんなものがいいでしょう。
[北村 峠一].(eu-alps)      


 ケチャッハ・マウテンからの登り道は、緑がうっそうとした峠道、このあたりで少し休憩したいですね。今日は朝から2000mほどの山を往復し、サングラスをしていてもあの強烈な紫外線に目も疲れているはずです。さらにこの先、きつそうな峠をいくつか越さなければいけません。峠道の脇にあった木陰に車を停め、少し休憩しながらSPAR(スーパー)で買った、甘いさくらんぼなどをほうばります。目薬を点けることも忘れていません。

 みなさんは「雪目」になったことはありますか?なぜか急激に頭の芯が痛くなり、目を開けているのがつらい。寝不足などがあると、特にこの症状はひどいのです。以前から目には若干自信があって、山歩きなどの少しぐらいの疲れで、運転に支障を起こすことはなかったのです。が、あるとき突然ひどい頭痛が起き「この先、旅は継続できるのか?」と本気で心配したことがありました。

 原因は、ヨーロッパ・アルプスの澄んだ青空と強烈な太陽の光です。運転中、ハイキング中、街・村の散策時にはサングラスをかけ、時々日陰で休んで目薬をつけ、少し目を閉じ休む・・・こんな事前対策をしなければならなくなったのも、年齢のせいもあるのでしょう。

 30分ほどの休憩、15kmほどの峠道で国境に到着です。この峠の国境にはEU内としては珍しく、検問所の建物が残っています。当然検問の人はいないのですが。

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【00/64.jpg:ケチャッハ・マウテンから15kmの登りで、国境の峠に。EU内で検問はないが、建物は珍しく残っている。Passo Monte Croce Carnicoモンテ・クローチェ・ディ・カルニコ峠「十字架山峠」】

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【48.jpg:国境のイタリア側から:オーストリア側には、地形を利用した風力発電設備が一台あるだけ。イタリア側はガストフ(宿)、レストラン、土産屋】

 ごくありふれた峠です。ちょっと珍しいのは、大きな風力発電機がオーストリア側に立っていること。この岩山の隙間にある峠には、きっとすごい風が吹くのでしょう。付近に水力発電所もないこの山の上まで、わざわざ電気を引くとか、石油での自家発電より、自然の恵みの風力発電を設置するほうが、はるかに環境にやさしいですよね。 【●峠のDBへ

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【36.jpg:西側:おみやげ屋が2-3軒とレストラン。イタリア側は広く、キャンピングカーが数台、ここをベースに旅しているのだろう】

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【24.jpg:峠は自然の岩山のくぼ地。東側の眺め。】

●Caporettカポレットの戦い

 (第一次大戦1918.10〜11)
 当初、アルプスの大・分水嶺付近にあった戦線は、オーストリア9ケ師団と、ドイツ6ケ師団がカポレットを10.24から攻撃、さらにタリアメント川、ピアヴェ川方面に向かい、イタリア軍を大きく退却させた。イタリー軍の死者1万、戦傷者3万、捕虜29万、脱走者30万の計約60万人。独墺軍は戦死・戦傷2万3千人のみ。
『第一次世界大戦』リデル・ハート著
  【カポレットの戦い:クリックで拡大】

<参考サイト、図書>
 ・http://www.ars-cartae.com/ploce/ploce.htm【第一次大戦とプレッケン峠のことなど】
 ・「第一次大戦:カポレットー突破線」【betsumiyaさん】
 ・「Predilプレディル峠」(数日前通過)
 ・「Idrijca/Baca-river イドリア/バチャ川(数日前通過) のページなども参考に。
 ・『第一次世界大戦』リデル・ハート著、中央公論社、(下p92-)カポレット
 ・『世界歴史地図(Storia-Universale)』学研出版
 ・『武器よさらば』ヘミングウェイ著、大久保康雄訳、新潮文庫1955.3。彼もこの戦いで負傷した。

 広場の一角に銃を持った記念碑があります。横・裏面にたくさんの人の名前も刻みこんであります。第一次大戦の1918年10月30-31日のドイツ、オーストリア軍のカポレットの奇襲作戦、続く11月12日のチロル側からの攻撃で、イタリア軍は多大の被害を出し、ピアヴェ川付近まで撤退したのです。その記録では、ここプレッケン峠では大きな戦いはなかったようです。が、峠の麓の軍事墓地には何人もの犠牲者が埋葬されているとのことです。小さな戦いによるもの、砲撃などでの雪なだれ、風雪などによる死者です。

 青年になったばかりの、将来がたくさんあったはずの若者が・・・遠く安全な暖かい司令室からの命令で・・・名誉欲・権力欲の大人たちの命令で・・・たくさん息絶えていったのです。2度と起きないようにと願う親たちの願いも消えないうちに・・・30年も経たないうちに、今度はドイツと手を組んだイタリアの独裁者たちが、連合軍を相手にまたも戦う指令を出したのです。

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【59/58/64.jpg:第一次大戦の記念碑】

 広場にあるおみやげ屋に立ち寄ってみます。観光でこの峠に立ち寄るお客さんたちも、あまりおみやげを買わないのでしょうか。一軒目の店のおじさんはあまり商売気がなく、部屋の中のイスに座ってぼーっとしているだけでした。残念ながら買いたい品もありません。二軒目はおばさん二人、色々な刺繍や小物を店先に吊るし、室内にも布製品がかなり置いてあります。買い物は女の人が多いのでしょう。

 結局僕たちは刺繍の飾り、同じく刺繍のなべつかみ(?)、チロリアンの服を着た人形を・・・(旅のプレゼント・・・実はキリ番のお礼や、かわいいmagoへのおみやげなんです)

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【644/646.jpg:おみやげを購入。刺繍の飾り、チロル風の人形】


 峠をイタリア側に下ります。この道あまりに急すぎて、何回も折り返すジグザグのトンネル道です。『中世東アルプス旅日記』のパオロ・サントニーノの記述でも、
「・・・ティマウの宿を発ち十字架山を登る。これは上り下りとも5マイル(9km)あり、人馬ともいかにしても越え難いほど、山道は急で岩だらけである・・・」とあり、トンネルなどがないその当時の道、この岩の斜面ですから大変だったでしょう。

 スイスとイタリア国境の、Splugen passシュプリューゲン峠の下にあるMinakata坂や、ローヌ川源流のGrimsel passグリムセル峠ほどは激しくないのですが、かなり急激な斜面に作られた峠道の一つです。

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【67/70.jpg:峠をイタリア側に下る。急な斜面をトンネルでジグザグに下っていく。見える範囲でも3往復?ぐらいのジグザグがある】

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【76/map.jpg:トンネルの中もカーブ。Carabiniere:国防省警察の設備がある。イタリア側のジグザグ・急激な下り】

<さてこの先Venetoヴェネト州の峠に、道を間違えずに行けるでしょうか・・・>
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