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Mauthenマウテンの、Gailtaler Domゲイルタール聖堂に描かれている壁絵

Kotschach-Mauthen ケチャッハ・マウテン
 700年も前に作られた教会、500年以上前に書かれた紀行文、数百年前から補修されながら村人に愛されている壁絵。

 こんな歴史、芸術と、自然、そこに住む人びとに会いたくて旅に出たのです。そして満足と同時に、さらにもっと・・というぜいたくな気持が起きてくるのです。
[北村 峠一].(eu-alps)      


中世東アルプス旅日記
●当時の地図:クリックで拡大


 『中世東アルプス旅日記』のパオロ・サントニーノは、1485年の旅でゲイル川に沿った道を馬で移動し、この付近のほとんどすべての教会に立ち寄っています。
 Tropolachトレポラッハ10/21-22、Kirchbachキルヒバッハ10/21、Stranibngシュトラーニング10/21、Grafendorfグラーフェンドルフ10/20、Dellachデラッハ10/20、St.Danielサンクト・ダニエル10/16(p41-51)・・・マウテンから東にフィラッハ付近まで、聖別に向かう途中に寄ったのです。

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【78.jpg:キルヒバッハから西へ、Oberes Gailtal上ゲイル渓谷の眺め。左(南)はイタリア国境】

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【84.jpg:Grafendorfグラーフェンドルフ、Dellachデラッハ、St.Danielダニエルと、街道の村々にはそれぞれ教会が見えてくる】

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【98/map.jpg:谷の正面に見える台形は、Plenge山(2372m)だろう。Kotschach-Mauthenは鉄道の終点】


 彼らの旅でベースキャンプ(基点)にしていた、Mauthenマウテン村に到着します。彼らは10/1-5、15-16、19、11/8の計9泊を、この村のレオンハルト亭(当地の司教館と思われる)にとっています。連日近隣の村々の教会に聖洗に出向き、現地の領主に食べきれないほどの豪勢な料理・ワインなどを振舞われては、この村の館に帰ってきたのです。

 最後にこの村を出て、イタリアに向かった11/9の記録に、
「マウテンを発ち・・・雪に覆われ、凍りついた十字架峠(Plocken/Mt.di Cros)を越えるのがとても大変だった・・・あれほどの量の、豪奢な食事をこれまで食べてきたので、これからは節食節制の修行をすることにした。それで今回は煮ものと焼きものだけを食卓に載せた。・・・」
 と帰国後を心配したことを書いています。

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【207/211.jpg:Mauthenマウテンの石畳の古い町に入る。正面はパン屋さん兼レストラン】

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【227.jpg:街の中から、入口を振り返る】

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【275.jpg:町の中を流れる水路と水飲み場】

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【268.jpg:この水は南の方から・・かなりの急な流れで】
 町の狭い石畳の広場に車を停め、ちょっと散策してみます。正面の建物はパン屋さん兼日用品兼レストラン・・・ 角を曲がったところの家は、鉄細工をしているような工作場・事務所?おじさん2人が、トラックにフェンスの飾り付けをしたようなものを積み込んでいます。

 その先には、町の中にしてはかなり急な流れの小川。プロッケン峠の方から流れているらしいのですが、ちょっと大雨が降ったら、この橋も道路も人家も、あの町の広場も水浸しになってしまうのではと心配するほどの流れ。でも、壁や石垣などにそんな形跡はありませんから、きっと年中穏やかな流れなのでしょう。

 そして川に沿った周りの家々は、かなり歴史を感じさせるような建物です。サントニーノたちは、多分こんな感じの、教会の司教の家に泊まったのでしょう。

 ・・・1485年から500年以上の時間が経ち、このマウテン村は、ゲイル川源流にさかのぼる道、イタリアへ抜ける峠道、リエンツ方面への峠の大きな交差点の村として発展し、鉄道もこの村まで伸び、今ではKotschach-Mauthenケチャッハ・マウテンという一つの町になっているのです。

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【239.jpg:この上流から、家々の間を・・・あふれることはないのだろうか?】

 町の広場を出て左折すると、道はすぐ峠に向かうのですが、角に立派な塔のある教会があります。そしてその壁面には、いくつもの宗教画が描かれています。
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<以下勘違い・・ここは●Mauthensマウテンの教会=St. Markus聖マルコ教会でした。
 以下の記述は、川の北側にある●Kotschachチャッハの教区教会=Gailtaler Domゲイルタールの大聖堂 のことを書いています>
「1485年10月2日、日曜日。司教さまは川の対岸の地ケチャッハにできた新しいピカピカの教会で献堂式をあげられた・・・」と『中世東アルプス旅日記』(P8)に書かれている、Gailtaler Domゲイルタール聖堂です。
 見事な壁画がこの教会の壁に描かれていますが、16世紀以降に描かれたもののようです。
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★Kotschach-Mauthenのふたつの教会

Kotschachチャッハの教区教会=Gailtaler Domゲイルタールの大聖堂
1308年の文書で言及されている。トルコの侵略で、ゲイル谷のたくさんの教会がに損傷を受け、アクイレイアの司教ピエトロ・カルロが、秘書パオロ・サント・ニーニョを伴い、1485年10月2日この教会が再建、祝福した。「Kotschachに新しい壮大な教会を聖別祝福・・」

http://www.koemau.com/【Gailtaler Domゲイルタールの大聖堂】
http://www.koemau.at/【Gailtaler Dom】
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Mauthensマウテンの教会=St. Markus聖マルコ教会
聖マルコ教会は1276年に記載された文書ですでに現われている。パオロ・サント・ニーニョも1485年10月1日にこの教会を教会を聖別祝福したと記録している。

http://www.koemau.com/【St. Markus聖マルコ教会】

2013.6.21の旅で、Kotschach-Mauthenのふたつの教会を訪れた


 イタリアからまさに峠を下って町に入る角。こんな街道に面した場所にあっても、落書きで汚されたり、壊されたりせずに、旅行く人たちの祈りを受け、長く保存されてきたのです。そういえば、駅や列車などの、意味不明の文字の落書き・・・今回の旅では見かけませんでした。(もしかすると、パリ市内のどこかで小さく見たかも知れませんが) こういう文化的資産を傷つけることに対する、若者も含めた皆さんの基本的なところが違うのかもしれません。歴史を重ね保存するこのヨーロッパの、それも田舎の人たちの文化の高さに頭が下がります。

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【1c1.jpg:St. Markus聖マルコ教会に描かれている壁画。左の峠道が、プレッケン峠に向かう】

<●Kotschach-Mauthenケチャッハ・マウテン関連のWeb-Site>

 ・http://www.koemau.at/【Kotschach-Mauthenの観光ガイド】
 ・http://www.karnische-museen.at/【karnische-museenカルニッシュの美術】
 ・Gailtaler Dom【ゲイルタール・ドム】

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【1c5.jpg:Plokenプレッケン峠はOffen開通】

 アルプス・エリアの壁絵といえば、松味利郎先生の「壁絵街道」です。先生の写真集を見ながら、いつかこの本にある、この谷の、この村の壁絵を見てみたいという気持も、私たちが峠をめぐる旅を続けている原動力かもしれません。
(先生の壁絵は、民家の壁絵中心なので、このような教会の壁絵とは違うようですが)


【●本サイトの中で、壁画が登場してきたページへのリンク集を、順次整備していきたいと思いました。・・・と、作り始めましたが、ビデオデータからの小さな写真、壁絵に対する知識不足などから、あまり??ですね。・・・少しずつ修正し、追加し、勉強していきたいと思います。】

<プロッケン峠/十字架山峠に登っていきます・・・そしてまたイタリアに・・・>
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