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S.Nicolo
【d81.jpg: サン・ニコロのアランドロン一家】

S.Nicolo(Valfurva)サン・ニコロ村

前回、峠閉鎖で引き返した村、喫茶店はどこだったのだろう。
この3年で少し太った「甘いアランドロン、マストロヤンニさん」に再会。

ロンバルディア州ソンドリオ県】   [北村 峠一].(Kitamura)      


 ガビア/ガヴィア峠(2621m)を北に下る道は、右手にCorno dei Tre Signoriコルノ・ディ・トレ・シニョーリ山(3360m)、その先にPta. della Sforzellinaスフォルツェリーナ山(3100m)の縞状の残雪を見ながら、しばらくなだらかな傾斜を下ってきます。

 時々掲示されているイヌワシが描かれたカンバンは、このあたり一体がイタリアで最大面積(13.5万ha)のParco Nazionale Stelvioステルヴィオ国立公園であることを教えてくれます。

Passo di Gavia
【311.jpg:ステルヴィオ国立公園のシンボル:Aquila reale(Aquila chrysaetos)/イヌワシ/Golden Eagle が描かれている】

1914年の国境 第一次大戦直前1914年の国境。
イタリア/オーストリア/スイス。

イタリア:オーストリア国境に
ステルビオ峠
ガビア峠
トナーレ峠が
 Rifugio Berniベルニ小屋が見えたころ、氷河をバックに立派な碑が建っています。第一次大戦の戦死者記念碑です、三角形の石碑の上に大きく羽を広げた鷲、四方を大砲の弾で囲んだ、風景の中にどっしりと腰をすえたモニュメントです。

 第一次大戦まで、ここはイタリアとオーストリアの国境、あの雪山の向こうはオーストリア・チロルだったのです。ドイツを援軍に優勢なオーストリア軍と、国力の無いイタリア軍との国境での戦いは、悲惨なものだったでしょう。大きな犠牲を払った結果、イタリアは山向こうの南チロルを獲得し、今はトレンティーノ・アルト・アディジェ州になっているのです。

<第一次大戦のイタリア戦線のイタリア軍・オーストリア軍の死傷者>

 Caporettカポレットの戦い、イゾンツォ戦線Plockenpassプレッケン峠など含めたイタリア東北部のイタリア戦線では、 イタリア軍とオーストリア軍の死傷者は合計約170万名にものぼり、西部戦線に劣らない悲惨な戦場であった。
 ☆第一次世界大戦における「砂漠の狐」【進藤さん:第一次世界大戦のイタリア戦線】


Passo di Gavia
【300.jpg:左(北)M.Confinale(3370m)・Cima.d Manzina(3318m)・Cimadei Forni(3240m)の連なり。右(東-南東)Pta. della Sforzellina(3100m)〜Corno dei Tre Signori(3360m)コルノ・ディ・トレ・シニョーリ間の雪渓。Rifugio Berniベルニ小屋にある第一次大戦の戦死者記念碑。大砲が飾られている】

 さらに北、ヘアピンカーブにかかると、眼下にS.Caterina Valfurvaサンタ・カテリーナ・ヴァルフルヴァ村、東にフォルニ渓谷の先M.Cevedaleチェヴェダーレ山群(3769m)が見えはじめます。カーブを下るに従い、北西にBormioボルミオ方面のValfurvaヴァルフルヴァ渓谷、南東には今下ってきたPizzo Treseroピッゾ・トレゼーロ山(3594m)までのすばらしい大パノラマが見えてきました。

Gavia峠北付近
【Gavia峠北Val-Furva地図:●クリックで拡大】
S.Nicolo
【d79.jpg:眼下にS.Caterina Valfurvaの村、東のM.Cevedale(3769m)方面が見える】

S.Nicolo
【137.jpg:S.Caterina Valfurvaの村に向かって下りだすと、左(北西)にBormioボルミオへのValfurva渓谷、右(南東)には今下ってきた山Pizzo Tresero(3594m)の180度が見える】

 ヴァルフルヴァ渓谷をBormioボルミオに向かう眺めは、まるでコルティナ・ダンペッツオのCristalloクリスタッロ山のように、右手に見事な岩が迫ってきます。あの正面の岩山はボルミオからも巨大に見えるCresta di Reitクレスタ・デ・レイト山(3065m)、右のほうにはM.Cristalloクリスタッロ山(3434m)。それらの山のむこう側には、ヨーロッパアルプス第2の標高を誇るPasso Stelvioステルヴィオ峠(2758m)があるのです。

 そしてS.Antonioサン・アントニオ村に入りました。前回引き返した広場は、このあたりのはずです。

S.Nicolo
【d80.jpg:S.AntonioからのBormioボルミオ方面のValfurva渓谷の眺めは、まるでコルチナの山を見ているような見事な岩が迫る。左端はボルミオ、リビーニョ方面、正面の岩山のむこうがステルヴィオ峠。Cresta di Reit(3065m)、M.Cristallo(3434m)など】

S.Nicolo S.Nicolo
【180.jpg:S.Antonioのこの教会はちょっと違う】 【187.jpg:S.Nicoloの村に入る。見覚えのある町並みが見えてきた】

 サン・アントニオ村の道をゆっくりと走りながら、3年前「ガビア峠閉鎖!」のショック状態で見た教会や広場などを探したのですが、見覚えのある風景は出てきません。もう少し先だったようです。

 続いてS.Nicoloサン・ニコロ村の看板が見え始めます。
「あ、この名前の村だったような気がする」 ずっと先の、左手にあの教会が見えました。
「あのクラシックカーがUターンした村の広場だ。大きな木は切り倒されてしまって、代わりに大きな石の碑が建っているな・・」
「あの懐かしい喫茶店(Bar)は・・広場の向かい側は・・当時のまま」 あのマスターたちはどう変わっているのでしょう?


2001年7月2日(月曜)のこと・・・

・あの日、リビーニョ峠閉鎖で、当初の赤のルートをあきらめ、緑のルートでBormioボルミオに迂回しました。

・が、さらにガビア峠の閉鎖を知り大ショック。確認のためこの村付近まで来たのでした。

・村の広場には、ガビア峠閉鎖にショックを受けていた先客・・・ドイツからの真っ赤なクラシックカー2台がいたのです。

・そして僕たちは、この日陰にある小さなカフェ「Bar Centrale」で軽いお昼を取ったのです。美男子のマスター、奥さん、子供、親戚、みなさんが居て、峠の情報を聞きました。
「この冬の大雪はすごかった。その影響であちこちで雪崩があって・・・修復の工事中だよ」

・まだイタリア・リラに代えていなかったため、スイスフランで支払ったのです。ハムサンドとコーヒー2人分=11,000リラ・約800円ほどでした。

・「また来ますね・・・S.Nicoloのみなさん」

S.Nicolo
【あのとき、2001年。町並みと、Bar Centraleの店、広場には木陰があった】 S.Nicolo
【2001年の村役場周辺は工事中】

S.Nicolo
S.Nicolo
【1a3.jpg:2004年のS.Nicolo村の町並み、Bar Centrale、教会。店の前にはたくさんのお客さん?の車】

S.Nicolo
S.Nicolo
【193.jpg:2004年:工事中だった村役場脇の建物は完成し、広場には大きな石碑が。代わりに木々の・・木陰が無くなった】

「Bar Centraleバー・チェントラーレ(=村の中央居酒屋の意味)」の中は、3年前とほぼ同じ、お年寄りのお客さんも数人。ただ前回無かったテレビゲームのような装置が置かれ、高校生ぐらいの男の子2人が、ちょっとエキサイトしてレバーを動かして遊んでいます。

Alain Delon  Mastroianni
アランドロン   マストロヤンニ
 カップ・アイスを注文し、自分で冷蔵庫から選び、食べながら店の中を見回します。美男子の(我が青春時代の大スター、アランドロンを甘くした)マスターも、この3年でちょっぴり太って、マストロヤンニ風の渋さと優しさが加わっていました。同じように太った美人の奥さん、ずいぶん大きくなった子供たちも店の中にいましたが、僕たちのことをすぐには思い出さないような感じです。

S.Nicolo
【d812.jpg:Bar Centraleのアランドロン,奥さん,息子】
 このバー、一角にアルコール類が並べられたカウンターがありますが、それ以外は日本の飲み屋(バー)とはまるで違います。子供がアイスを食べたり、ゲームをしに来たり。村の人たちが気楽に立ち寄って軽食をしたり、ちょっと飲んだりと、おしゃべりをするところなのです。マスターの7-8才の男の子、幼稚園児ほどの女の子も、お客さんの所を行ったり来たり。親戚なのかもしれませんが、実に家庭的な「バー」なのです。

 清算のとき、カバンの中にあった2枚のシール(日本語:英語が組になったもの。腕に貼る飾り)を、子供さんへのプレゼントと渡しながら話しかけます。
「3年前にここに来たんです。ガビア峠が閉鎖でここで引き返して・・」
「やはり、あのときの・・」東洋人の夫婦連れが立ち寄ることなど、めったに無いことでしょうからすぐに分かっていたようです。
「今回、ガビア峠はOpenしていて良かったね」
「ポント・ディ・レーニョのほうから来て、あの狭いジグザグ道を登り、ガビア峠を通過してここに来ましたよ。峠はすばらしい眺めでした」
「この先、前回通過できなかったリビーニョの峠に行こうと思うのですが、あそこは開いていますか」
「大丈夫だよ。今年は雪も少なく、ジロのレースで道路も整備されているようだし」
「このシールを子供さんに・・3年でずいぶん背が伸びましたね」
「ありがとう。そうだね・・あの時はまだこのくらいだったな・・」息子のひざくらいの高さを指して、マダムとも笑いながらの思い出話でした。

 記念に写真を撮らせて欲しいと頼むと、店にいたお客さんが、
「俺が撮ってやるよ」 僕たちの話を聞いていたのでしょう、おじさんがタイミングよく声をかけてくれます。
「俺の腕はいいねー。みんな美男子に撮れたよ」
 デジカメの写真を見て、またひとしきり笑い声が店の中に響きます。

<Alain Delonアラン・ドロン>

 1935.11.8生。1960年代の「太陽がいっぱい」「地下室のメロディー」など
 ○Les Photos:FILMOGRAPHIE【映画の写真・ポスターなども】
 ○http://alexanderthegreat9.tripod.com/alex/id8.html【Alain Delon's Page(音楽有)】

<Marcello Mastroianniマルチェロ・マストロヤンニ>

 1924.9.28-1996.12.19。1960年代の「甘い生活」「昨日・今日・明日」など
 ☆産経新聞Cinema Clip【訃報】
 ○http://www.menteantica.it/centrostudimastroianni.htm【Antiqua Mens】

<S.Nicoloサン・ニコロ付近のWeb-Site>

 ○http://www.stelviopark.it/【Parco Nazionale dello Stelvio】
 ○http://digilander.libero.it/verdecammina/aquila_reale.htm#【Aquila reale/イヌワシ/Golden Eagle:鷲の鳴き声を聞くことができる】
 ○http://www.parcostelvio.it/【Parco Nazionale dello Stelvio】
 ○http://www.waltellina.com/ortlescevedale/berni/【Rifugio Berniベルニ小屋にある第一次大戦の戦死者記念碑。大砲が飾られている】
 ○http://www.santacaterina.it/italiano/home.htm【S.Caterina Valfurvaのガイド】
 ○http://www.puntointernet.com/skiriders/31a.htm【M.Cevedaleスキー・ハイキングルート】
 ○http://www.popso.it/selettore.php?id=70&cdOp=contestualizzazione#【S.Antonio Valfurva村の情報】
 ○http://www.cmav.so.it/valfurva/mappa/mappa.htm【Comune di Valfurva:村の地図・情報】

<「またいつか来ます」・・とお別れして、リビーニョに向かいます・・・>

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