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Grand Saint Bernard -Col du
グラン・サン・ベルナール峠(ハンニバル伝説の峠ハンニバル峠の候補)


No.:相対順位
  (-N:追加)
11
Hight(m):標高 2473(2469)m
Alpenpasse:峠名
Valley/Tal:谷名・地名
Col du Grand Saint Bernard/Colle d.Gran S.Bernardo グランド・サン・ベルナルド/グラン・サン・ベルナール/グランド・セント・バーナード峠
Country:国>県>谷> Ch/It:スイス/イタリア
Route-no,
Place:場所
(Motorway=高速:Tunnel=トンネル)
(Map-page-address:*1)
●大分水嶺(南=Divaria〜Ticino〜Poポー川〜(地中海:Adriaアドリア)。北=Rhoneロ−ヌ川〜(地中海)
・ Ch/It:ジュネーブ〜アオスタ
・SS27/A21's Great St. Bernard Pass, Aostaアオスタ:It to Martignyマルティニ:Switzerland. 
45.868258,7.163429
(48-ha73)
ChampexMontets
St.Pantaleon/Simplon
PetitSt.BernardMont Blanc -Tunnel
Nivolet
Closed/Maximum grade(%)/etc :
閉鎖時期/勾配/条件
・11-5月閉鎖(closed from October through Juneの記述も)(年によって異なる)
・maximum grade is 10 percent
・minimum width is 5 meters (16 ft.); chains may be necessary on approach; closed to vehicles towing another vehicle; not recommended for caravans.
★現在の開通状況:以下のサイトを参照
  <Ferme/Gesperrt/Chiuso=閉鎖、Ouvert/Frei/Aperto=開通>
Impressions:感想:
峠両側の集落・歴史的役割
  ・成立要因推測など
 ⇒【アルプスの歴史も参考に】
●新石器時代(BC3000年頃)〜ローマ時代:モンテ・ビアンコ(モンブラン)の近くは、(今でこそモンブラントンネルで通行可能だが)昔の人には通行不可能だった。このため、この峠と、小(プティ)サン・ベルナール峠2188m(25位)の比較的低いところを抜けた。これらの峠では、新石器時代の人間、エトルリアの商人、ケルト人などの遺物が発掘されているが、実際にはもっと古い時代から夏の好季を利用して人間が往復していたに違いない。ローマ時代には重要な街道になり、岩を掘削して通りやすくした跡が各所に残っている。(シュライバー著『古代ローマへの道』p209)

●BC218:この峠も2200年以上前にハンニバル+象が通過したとの説がある。(Googleマップでルート確認

●BC58:Julius Caesarカイザー(カエサル/シーザー)の軍が、ガリア戦の3年目:ガリアからイタリアへこの峠を越えた。(「古代ローマへの道」p219)

●-AD400年頃:ローマ人はこの峠の上の主峰をMons Jovisモンス・ヨヴィス(Joux/Jupiterジュピター/ユピテル山)と呼んでいた。それは雷の神Luppiter Poeninusに由来し、最高点の近くにユピテルを祭った小さな神殿があった。中世にはそれがなまってMount Jouxモン・ジューと呼ばれるようになった。

●BC43頃-AD14:ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスAugustusの治世、この峠に街道が敷設された。「古代ローマ時代の道
・同時に、小さな寺が峠の頂上に建設された。これはを旅行する勅使と軍人のために避難所であり、Vespasian皇帝ウェスパシアヌスの神を祭った(*)。その寺の建物群は、かつてのローマ帝国の中で最も海抜の高いもので、Theodosiusテオドシウス大王がそれを破壊した14世紀まで使われていた。


・5C頃の地名:Insvmmo Pennino、Evdracinvm★ポイティンガー地図

●753.11.25頃:ローマ教皇ステファヌス V世は、フランク国王ピピン3世と面会するために、パヴィーアからモンス・ヨヴィス峠(後の名前:グラン・サン・ベルナール峠)を越え、フランスのローヌ川上流の聖マウキウスの修道院へ向った。(ピピンは2度の戦いによりランゴバルド族を破り、奪還したラヴェンナをステファヌスV世に献上「ピピンの寄進」した。)

●800年、シャルルマーニュ大帝(カール大帝)は彼の皇帝としてミラノで戴冠の後に、Gr.Stバーナード峠を横断した。

Napoleon Bonaparte:David, Jacques-Louis作 ●9世紀頃:レマン湖のChateau de Chillonシヨン城の歴史は、この峠街道を監視するため、9世紀頃に砦が作られたことに始まる。レマン湖につき出した岩に作られた砦と、絶壁の岩山。

●11-12世紀:この峠道はローマに赴く巡礼に利用されたが、悪天候に遭難する者が後をたたなかった。アオスタ大聖堂の助祭長ベルナール・ド・マントン(聖バーナード)Bernard de Menthon(1020-1086/923-1008)が、11世紀の末ごろ峠(大小の二つの峠とも)の最高点に救援所を設け(*)、何人かの修道士と救助犬とともにそこに常駐し、旅人の救援に尽力した。
(*)神殿の石の多くが修道院の材料に使われた。

●ベルナルドは没後、その高徳が認められて聖人に列せられた。12世紀になってから、聖ベルナルドを記念して現在のような名前になった。峠のあちこちに聖者の像が立っている。

●1800年5月中旬:ナポレオン・ボナパルトがこの峠を越えた。4万人のフランス軍を率い、まだ雪が深く兵士たちは重い大砲を引いての上り下りに難渋した。意表をつかれたオーストリア軍はマンレゴの戦いで大敗を喫する結果となった。

●峠には、今でもバーナード犬の訓練・博物館があるが、修道士たちはピレネー山岳地帯の牧羊犬とニューファウンドランド産の寒さに強い犬とをかけ合わせ、特別の訓練を施し、山岳救助犬を育成するのに成功した。SaintBernardの英語読みセントバーナードと発音したのがこの犬の名称。

併設のトンネル(1924m)があります

Wikipedia解説

<通過日:YYYY.MM.DD(Site)。旅の記録・写真へのLINK>
2000.7.3(M)

2005.9.10(R)
<峠付近の花:花の写真図鑑へ
 

<峠付近の宿情報>
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