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【f3276:キッペルの聖体行列:神の歩兵たちの行進】

聖体祭/聖体節/キリストの聖体の日/聖体の祝日

・復活祭の日より61日目の木曜日
・Corpus Christi(ラテン/英/スペイン)、 Fronleichnam(独)、 Corpus Domoni(伊)、 Fete-Dieu(仏)
・Prozessionプロツェッシォン=聖体行列    についての解説は
  ⇒⇒★Leutaschロイタッシュの聖体祭:聖体行列
 を参照してください。

Lotschentalレッチェンタール
 Kippelキッペルの聖体祭

Segensonntag祝福の日曜日・・赤い兵士たちの行進

スイス: ヴァリス州(VS)】 [北村 峠一].(Kitamura)      

●Segensonntagゼーゲンゾンタークの「聖体行列」


2017/6/15(木曜)のCorpus Christi聖体祭の日、残念ながら「聖体行列」には出会えませんでした。
ところがレッチェン谷では、木曜日と日曜日(6/18)に「Segensonntagゼーゲンゾンターク:祝福の日曜日」としてのイベントがありそうとの事前情報で、前夜からこの谷のKippelキッペルに宿をとったのです。

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【f3232:St.Martin教会の前庭】

またこの谷では古くからの伝統を受け継ぎ、「roten Soldatenローテン・ソルダーテン(赤い兵士)」と呼ばれる一団が、聖体行列における「Hergottsgrenadiereヘルゴットグレディナーレン(God s infantrymen神の歩兵)」となり、村を練り歩く・・

 との情報があって、楽しみにしていたのです。宿での情報では、午前中に教会でのミサと「Prozession聖体行列」のパレードがおこなわれるとのことでした。

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【v1008:St.Martinでのミサ】 【v1166:ミサを終え、赤い兵士と民族衣装の女性たちが出てくる】

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【f3234】

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【f3241:聖体行列は、村の一角、マリア像の前で祈りがある】

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【f3248:聖体行列は教会に戻る】 【f3255:「roten Soldatenローテン・ソルダーテン(赤い兵士)」団】

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【f3258/f3261:少女たちと楽団】

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【f3263/v1104:この谷の民族衣装の女性たち(Women in costume。帽子の刺繍が鮮やか】

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【f3264】 【f3268】

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【f3272】 【f3273】

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【f3275:「roten Soldatenローテン・ソルダーテン(赤い兵士)」と呼ばれる一団が、聖体行列における「Hergottsgrenadiereヘルゴットグレディナーレン(God s infantrymen神の歩兵)」として行列】

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●Hergottsgrenadiereヘルゴットグレディナーレ:神の歩兵の行進


午後のイベント、「Roten Soldatenローテン・ソルダーテン(赤い兵士)」の一団が、楽隊を連れて村の旗を手に村をパレードします。<旅の絵本

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【f3321】 【f3322】

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【f3324】

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【f3327】

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【f3329:Kippel村の旗(右)をふっている。左はLotschentalの旗

●スイス傭兵の歴史  ・・関連情報

・1291-1315年:スイス原初同盟がハプスブルク家を破り独立を果たし、スイス歩兵の精強さがヨーロッパで認められた。
・1474-77年:ブルゴーニュ戦争で、スイス傭兵の活躍でシャルル突進公を破り評価された。
・スイスは1515年にMarignanoマリニャーノの戦い(現在Meregnan=ミラノの南東約10km)でフランスに敗れると、傭兵輸出に専念。
・国土が山地で農作物がとれず、主産業が無いスイスでは、傭兵稼業は重要な産業となった。⇒★「血の輸出」と呼ばれた。
・傭兵稼業によりスイスは強大な軍事力を保有し、隣接する国は、侵略が困難で見合った利益が得られない国と認識。
・傭兵は、スイス各州政府単位で諸外国の政府と協定を結び、傭兵募集と派遣を許可、見返りとして年金と穀物を得た。

・しかし、個々のスイス人が私的に外国政府と契約を結ぶことも多く、各邦の政府がそれぞれ違う国と契約するため、外国の戦場でスイス人同士が戦う事態も発生した。各邦の政府は私的な傭兵契約を厳罰をもって禁止したが、儲けが大きいだけに撲滅することは出来なかった。<出典
・律儀なスイス人は、派遣された国の意思に忠実で、兄はプロテスタント・オランダの兵として、弟はハプスブル家のカトリックの兵士として殺しあうといった悲劇も珍しくはなかった。<出典
・1494-1559年:フランス軍はイタリア戦争/パヴィアの戦いなどでスイス傭兵(ギャルド・スイス=延べ12万人)を雇用。スイス衛兵とスイス連隊は規律の正しさとフランス王への忠誠心から高い評価を受けていた。
・1701年:スペイン継承戦争の時にはスイス人の傭兵同士が敵味方に分かれて争った。<出典

・1792年:フランス革命の際にもテュイルリー宮殿に殺到する民衆に対して、ルイ16世王家の防衛に当たったが、圧倒的多数の敵に囲まれ傭兵の大部分786名が虐殺された。
   ⇒★Luzernルツェルン:「ライオン記念碑」
・1803-12年:スイスはフランスに1万6千人の兵士を派遣。そのスイス連隊が着用した制服から、兵士は「赤スイス」と呼ばれたが、現在の行列で見られるモデルだった。ナポレオンのロシア戦役時、スイス人傭兵9000人以上は勇敢に戦ったが、生存者は400人だった。
・1250〜1850年の間に外国に傭兵として仕えたスイス人の数は200万人に上るという。

・1874年:スイス憲法で傭兵の輸出を禁じ、1927年:自国民の外国軍への参加を禁止。傭兵輸出産業は完全に終了。
・バチカン市国のスイス衛兵のみは、「ローマ法王のための警察任務」として唯一の例外として認められている。

スイス傭兵
ギャルド・スイス(Gardes suisses)【フランス国王に仕えたスイス人の歩兵連隊】
Die Herrgottsgrenadiere【神の擲弾兵】
Schweizerregimenter im Russlandfeldzug 1812【ナポレオンのロシア戦役1812年のスイス連隊】


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