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Jufユーフ
【『Das Hochtal Avers高い谷アーフェルス』J.R. Stoffel著と、『佐貫亦男のチロル日記』に写るユーファ・アンネリ】

Jufユーフ村(2126m) -1

ヨーロッパアルプスで通年定住する最標高の村・・
Aversアーフェラス渓谷の先端に・・
佐貫亦男みずから案内してくれたのですが・・【●渓谷DB

スイス:グラウビュンデン州(GR)】[北村 峠一].(Kitamura)      


●峠ではなく・・なぜ渓谷に?・・


 2009年は今までの峠めぐりの旅から、方向転換せざるを得なくなったのです。なぜなら、昨年までの旅で目標としてきた1500m以上の主要峠はすべて通過してしまい、残りはかなりローカルな場所ばかり。

大きな目標が消えてしまったとき、人は生きる目標をも失う> ・・というような繊細な神経の持ち主でない私は、今までの「峠」の延長ともいえる 「渓谷=行止まりの峠」を、いつの間にか目標にしていたのです。

 そしてその最初の渓谷がこの「Jufユーフのアーフェラス渓谷」だったのです。なぜここが最初なのかと言うと、ここが「人が年間通して住む、アルプスエリアで一番高い標高の村」だからなのです。

 2002年の旅で、フランス・ケーラス地域にあるSt.Veran サン・ヴェラン村(2042m)の記事の中で、
『マッターホルンを初踏したウィンパーが『アルプス登攀記 』で、ここがヨーロッパ最標高の村』と書いていると紹介したのですが、その記事を読んだ知人のYさんから、
「ヨーロッパで一番高い通年定住の村はJufユーフ」との情報がよせられました。

 さらにそこには、
「この村のことは佐貫亦男(さぬきまたお)の本にも書いてあります」とありました。

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佐貫亦男 佐貫亦男 【佐貫亦男(1908-1997年)】

●佐貫亦男が・・あちこちから監視している?・・


 この時から私にとって「アルプスのすべての谷に足を踏み入れた」と豪語?する「佐貫亦男(1908-1997年)」を意識し始めたのです。

 第二次大戦勃発のため1941-43年、出張先のドイツから帰国できなかった彼は、時間を見つけてはアルプスの各地を歩いたのです。戦後も気象庁、東大教授、日大教授として航空宇宙評論家、エッセイストとして活躍するかたわら、ほぼ毎年アルプスを歩き、そして作品に残してきたのです。

 私が峠の旅のあとで、HPにまとめようと各地の情報を調べていると、インターネットの隙間から、旅の本の行間から、噂の雲に隠れるように、彼がチラチラとこちらを見ているのに気づきました。

 スイスの「Leysinレザン」ではサナトリウムの脇から、
 オーストリア・東チロルの「Virgentalヴィルゲン渓谷」では安ペンションの強欲なお婆さんになって、
 イタリア・ドロミテの「Zoppe di Cadoreゾッペ・ディ・カドーレ」では山仲間の写真として登場して、
「そろそろ俺の谷のほうにも来いよ」と誘ってくれていたのです。
ヨーロッパアルプスのハイキング地図
【ヨーロッパ・アルプスのハイキング地図】
  【国別地図】  【日本語ガイド本】



【Aversアーフェラス渓谷とBregagliaブレガリア渓谷の地図】

Juf
【g219.jpg:Jufユーフ村から隣村までのハイキング時間:Bivio3-3.5時間、Maloja5.5時間】

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●ユーフはどんなところ?・・


 そして今回のユーフへの旅では、『佐貫亦男のチロル日記』山と渓谷社(1983) の本を強引に荷物に入れさせ、「俺が谷を案内してやる」と話しかけてくる、お節介なおじいさんでした。

Juf
【g971.jpg:Avers-Jufユーフ村 2126m】
 ユーフ村の位置をまず紹介しましょう。右の地図で「Aversアーフェラス渓谷とBregagliaブレガリア渓谷」の真ん中辺りにあるのがJuf(2126m)の村。

 この付近は南のポー川、東のドナウ川、北のライン川の3流域の接点で、アルプスを越えて交易をする上では3000mクラスの険しい山を1回越えれば済む好条件の場所でした。ですから古代ローマ以前からも、山越えのルートとして選ばれた街道だったのです。

 ただし、Bivioビヴィオからゼプティマー峠に抜けるルートは比較的容易でしたが、このアーフェラス渓谷・Jufユーフを通過する場合は、先ほど通過した「Via Malaヴィア・マラ峡谷」の難所を通過しなければならなかったのですが。いずれにしても、そこを越えるための荷役の人と馬と宿が必要だったのです。

 ところが1800年代以降、物資の輸送に自動車が必須となり道路整備が進みました。あまりに深く険しいこの渓谷に車が走れる峠道は作られず、村はさびれて行くのです。荷役などで500人ほど居た(による)というこの村は、1966年頃に150人。今では、たった6世帯25人が住むだけになってしまいました。谷全体でも170人ほどしかいないとのことです。

 この村に入るには、サン・ベルナルディーノ峠(地図の左上)方面の幹線道路の町、Andeerアンデールで分岐し、30km1時間かけて細い山道を走ってこなければならないのです。ポストバスも走っていますが一日6−7本、朝の通学のための6:45発を除けば、2時間に1本やっと走るだけ。観光客もあまり来ず、隣の谷の村に行くには、険しい峠道を3時間以上歩かなければならないところなのです。

Juf
【g200.jpg:これがユーフ村のすべて360度:西方面:土産屋兼郵便局。6/22初夏というのに雪景色】

Juf
【g203.jpg:これがユーフ村のすべて360度:東方面:宿】



Crestaの教会
【Crestaにあるエーデルワイス教会】

Crestaの教会
【娘オルガの墓碑は右から2個目】
Crestaの教会Juf
【g129.jpg:屋根のドームに特徴がある教会】

Juf
【g930.jpg:オルガの墓碑を探すが無い】
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●佐貫亦男は、毎回「美人:ユーファ・アンネリ」に会いに行った・・


 しつこく追いかける癖のある彼は、このアーフェラス渓谷に8回来て、ユーフ村に5回、延べ7日滞在しています。

(1963.9.8:クレスタCresta1泊。 1966.7.21-22:クレスタ2泊、ユーフ往復。 1973.6.23:クレスタ1泊。 1974.8.22:クレスタ1泊、ユーフ、マドリス谷、レイ谷往復。 1978.8.27-28:クレスタ経由ユーフ2泊、フェルツェリーナ峠往復。 1980.7.23-24:ユーフ2泊、ブレガルガ谷、マドリス谷往復。 1981.7.21日:クレスタ2泊、ピュルト、マドリス谷往復。(持参の本は1983年発行)。1990.7.24:クレスタ3泊、ユーフ往復)
 1966年は気象庁仲間の作家「新田次郎」を連れての旅でした。

 そして来る度に、ユーフ出身のかつての美人「Jufer-Anneliユーファ・アンネリ」のいる酒場を訪ねているのです。

 彼女を「村一番の美人」に仕立てたのが、J.R. Stoffelシュトーフェル著の『Das Hochtal Avers(高い谷アーフェルス)』(1938年発行)で、22歳のときの写真が彼女を一躍、谷一番の有名人にしたのです。

 ユーフのお土産屋の奥さんが佐貫の本の写真を見て、売り物の本のページを探してくれ、比較して撮影したのが一番上の写真なのです。その右にある写真は佐貫が撮った65歳頃のアンネリ。彼女はその翌年、脳出血で亡くなったようです。

 アンネリの娘「オルガ・シュトッフェル」は17歳の若さで亡くなりました。本によるとその墓は、彼が何度も泊まった手前の村、クレスタの教会墓地にあるとのことで、滞在中2度その教会を訪ねました。しかしすでにこの墓石はなく、脇に片付けられ積み重ねられた石のなかにも、この形の墓石を見つけることは出来ませんでした。

 アンネリ=本名Rostetter-Anneliロステッター・アンネリ(離婚して旧姓に戻った)=の墓地は、下流の村Ausserferreraアウサフェレーラにあるそうですから、娘の墓石も母親の元に移したのかもしれません。

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●身内のことを調べる変な旅行者・・
  ノンフィクション作品とプライバシー・・


 泊まった宿、ペンション・エーデルワイスの方に、持参した『佐貫亦男のチロル日記』を見せ、その後の「美人:ユーファ・アンネリ」のことをチャンスがあれば聞こうと思って、カメラと一緒に持ち歩いていたのです。

 ところがこの宿の奥さん、最初に宿交渉するときから大変でした。なぜなら、ドイツ語とイタリア語だけしか受け入れる耳がなく、英単語や、日本語の印刷物を見ただけでパニックになってしまいました。ですから4泊したいと交渉することもかなり大変でした。泊まりたい6月の日、Juni 19,20,21,22と出発日23を書き、4Tag(泊)という字をペンで挿しながら、このペンションに泊まりたいということをいろんな単語やゼスチャーで言ったのです。それでやっと平常に戻り、4泊もしてくれる嬉しい客の話が聞こえるようになってきたほどですから。

 佐貫が書いた本を見せて、村の話を聞こうと思っても、きっと日本語の字を見ただけで、写真を見る前に卒倒してしまうかもしれません。

 先に書いたお土産屋は村の郵便局も兼ねていて、日本への絵はがきを出しに行ったときに、英語も出来る30歳後半の奥さんに、この村の住人数や学校の場所など色々と聞いたのです。このためにバックに入れてあった佐貫亦男の本の写真を見せ、比較写真も撮らせてもらったのです。

佐貫が泊まった宿アルペンローゼ
【佐貫が泊まった宿アルペンローゼ】
現在のアルペンローゼ
【g968.jpg:現在のアルペンローゼは団体客の自炊のみ】

 ユーフで佐貫が泊まったペンション・アルペンローゼは、2007年にこの奥さんの家族が買い取り、今は山の団体客が週単位で借り、自炊する宿に変わり、僕たち一般客は泊まれないとのことでした。

 そして佐貫が撮影したアンネリ65歳頃の写真についても、「これはアンネリでなく他の人・・Urslaウルスラではないか、泊まっているペンションの奥さんがそのあたりをよく知っているはず」とも言ったのです。あの奥さんの身内なのかも知れません。
 佐貫が勘違いしたのか? と話を続けているところにご主人がちょうど来て、やはりこれはユーファ・アンネリだと教えてくれました。

 ただ周囲にいた牛の世話をしていた3人ほどの若者たちは、佐貫の本のアンネリなどの写真を見ていましたが、何か態度がおかしいのです。
「自分たちの血縁の事を調べる、変な日本人」「なんで、あの離婚し、浮気っぽい、あちこちの村の酒場で働き、評判のあまりよくないおばあさんのことを調べるんだ」「勝手にこんな本に載せて良いのか」というような、いぶかしげな感じがありありとしたのです。

 25人しかいない村、ほとんどが親戚か、小さい頃から知っている人たち。この店の奥さんだけは外からこの村に嫁いで来たので、平然と教えてくれたのでしょう。

 佐貫亦男がこの本をノンフィクションとして書いたこと、亡くなって間もない、親戚にとって誇れるわけでもない人物を追いかけ、実名で発表したことには疑問を感じます。個人のプライバシーを守るために、仮名にするような方法もあったのではないでしょうか。日本で発行した本だから、どうせ判りはしないだろうと言う気持ちもあったでしょうが。

 考えてみれば、自分がやっているHPにも同じようなことが言えます。個人のプライバシーを傷つけるような文章は決して書かないようにさらに注意することにします。

旅と道具―豊かな旅を創るハードとソフト  店の奥さんにいろいろな話を聞くこともできたので、お礼もかねてシュタインボック(野生のヤギ)の本(18.5Chf≒1600円)をちょっと奮発して買い、店を出たのです。
 思い出してあたりを見回したのですが、さっきまで私のまわりをうろうろしていた「佐貫亦男」は、居心地の悪くなったのか、どこにも見つかりませんでした。

 やはり佐貫亦男も晩年、『旅と道具―豊かな旅を創るハードとソフト 』朝日文庫/グリーンアロー出版(1999) の中で(p285)、
「作家でない素人は、悪く専門家を真似てはいけない。私もアーフェルス谷一番の美人のことを述べたりしたが、慣れないことはやめたがよい」
 と、新田次郎と同行した旅の勢いで、書きすぎてしまったことを反省したようです。

<関連するサイト>

http://www.myswitzerland.com/【通年居住最標高の村】
http://en.wikipedia.org/【wikiのJufガイド】
http://de.wikipedia.org/【wikiのAvers渓谷(GR州)のガイド:住民合計170人】
http://www.avers.ch/【Aversのガイド】
ユーフ(アーフェルス谷)からビヴィオ/マロヤに【スイス・トレッキングガイド】

<関連書籍・地図>

ヨーロッパアルプスのハイキング地図、ガイド洋書  山渓など:日本語編

<ヨーロッパ・旅・・・>



●スイスのワイン検索


<その2:Jufユーフは夏でも過酷・・>

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