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bard
【4039.jpg:Bardバールの要塞】

Bardバール/Donnasドンナ

狭い谷間にある、ナポレオン軍が手こずった要塞。
古代ローマの石畳の道・2000年の遺跡がここにもあります。

イタリア:アオスタ州】  [北村 峠一].(Kitamura)      


 アオスタ渓谷を下ると、目の前に現れるこの岩の上にある見事な「Forte di Bardバールの要塞」。この砦の下の小道を、ガリア遠征のローマの兵士たちも通過したのですが、やはり有名なことは・・
ナポレオンの峠越え:David, Jacques-Louis作
 1800年5月、多量の雪が残るグラン・サン・ベルナルド峠を越えるという奇襲で、オーストリア軍に勝利したナポレオン軍を13日間も食い止めたことなのです。

 このナポレオン軍は砦の抵抗などで、たった15門の大砲しか持たずポー平野に進軍したのです。しかし結果は奇襲効果もあり、オーストリア軍の兵3万・大砲100門に対し、兵2.8万大砲15門でマレンゴの戦いに勝利するなど、フランス皇帝(1804年)への道を進んだのです。

1800年Marengo

1800年・・ナポレオン第2次イタリア遠征とBard


 5.13:Lannesランヌ率いる第1軍団はグラン・サン・ベルナール峠を進んだ。
 5.19:ランヌ軍はBardバルド要塞を包囲した。
 5.20:ボナパルトがグラン・サン・ベルナール峠を越えた。
 5.25:バルド要塞は抵抗した。
  ボナパルトは要塞攻撃を放棄し、たった15門の大砲を擁してランヌ軍の後を追った。
 5.30:ボナパルトはVercelliヴェルチェッリに入城。
 6.2:ボナパルトはミラノに入城。ランヌはパヴィアに入城。
  この頃バルド要塞は陥落した。
 6.10:Marengoマレンゴのオーストリア軍を急襲し勝利する。
  その後、バルド要塞はナポレオンの命令で取り壊された。

 <『ナポレオン年代記』p13などによる>

 少し時代は前後しますが、1792年フランス革命軍はアオスタを含むサヴォワ地方をフランスに併合したのです。
 上記の戦いの後1815年、ナポレオン失脚後にサヴォワは23年ぶりに返還されます。そして1831年、Carlo-Albertoカルロ・アルベルト(1798-1849:サルデーニャ王国の第7代国王、在位1831−1849。)の意向で再建されたのが、現在残っている要塞なのです。
−−−
 僕たちは砦の北側にある歴史博物館脇に駐車し、100m近い要塞への道を息を切らせながら登ってきたのです。
が・・残念ながら砦は閉館。岩だらけの周囲の観察・・。北東の山はスイス国境のモンテローザ付近から続く山塊。南西の岩山はフランス国境のGran-Paradisoグランパラディーゾ付近からの山脈で、このアオスタ渓谷全体の入口を両側からせばめた場所なのです。その狭い谷の真ん中にこの素晴らしい砦の岩山があり、南側にDora-Balteaドーラ・バルテア川、国道、高速道路(トンネル)が走り、砦北側には古代からの小さな道路が走っているのです。

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【r427.jpg:要塞に登るが閉館していた。西の方角も岩山に挟まれた谷】

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【r422.jpg:砦から東側の眺め:狭い谷にDora-Balteaドーラ・バルテア川、国道、高速道路(トンネル)が走る。左下の建物に沿って古代からの道路が走っている】

bard
【4038.jpg:Bardバールの要塞を西から見る。砦の右(南)に川、国道。左(北側)に古代の道路が走る】
Bard/Donnas/Pont St.Martin
【Bard、DonnasとPont St.Martinの位置。Bardは南北から山が迫っている】

 この塞の北側にある古代からの道にそって、博物館がありましたがここも閉館、ぶらぶらとその奥にある古い石造りの民家の間を散策してみます。

 突然、頭の上から白いものが落ちてきました。ちょうど向こうから来たおじさんに、次に行こうと思っていたDonnasドンナの古代ローマ街道に行く道を聞いている時でした。なんだろうと見上げると、3-4階の窓から、おばさんがテーブルクロスを払い、そのパンくずが落ちてきたのです。

 そのおばさん、まるで気付かないふりをして部屋に入ってしまいましたが、以前どこかで
「パンくずは鳩の餌のため、窓から公道に捨てるのがイタリアの常識」というようなことを読んだことがありましたが、 まさか頭の上から降ってくるとは思いませんでしたね。

 道を聞いたその地元のおじさんも、何の不思議もないようでしたから、そのおばさんも、もしクレーム言われても、「公道になんで落としちゃいけないんだ」と言うのでしょう。もしかしたら「人の家の前でおしゃべりしていたら当然」とでも?

bard bard
【r420.jpg:ユリ科アリウム・スコエノプラスム】【r436.jpg:バラ科:バラの実:ローズ・ヒップは秋の風物】【●アルプスの花へ

 途中の石畳にも「La-Via-Delle-Gallie/La-Route-Des-Gaules:ガリアへの街道」の標識がありました。アオスタ渓谷を通り、グラン・サン・ベルナルド峠、プティ・サン・ベルナルド峠を越えてガリア(スイス/フランス)へ行った道、シーザーも歩いた道がここなのです。

bard bard
【r417.jpg:ガリア街道の説明カンバン】 【r418.jpg:石のアーチ構造・橋か小屋のようなものが残されている】

 山の石を削った「Roman Road at Donnas:古代ローマ街道」は2-3km東にありました。【●古代ローマの道

 デジカメのデータが見つからず(以下のBlogメモ参照) パンフレットの写真などを掲載しましたが、実はこの「2000年物の遺跡」には看板も無く、周囲にはもう数十年も経ったような、ぼろぼろになった金網が張られていました。「こんなどこにでもある遺跡、見に来る人もいないし、大したものではないよ」という感じ、まさにイタリアは世界遺産だらけなのです。

ローマ〜ガリアの道
【ローマ〜ガリアの道】
donnas

【左:上流から、右p315.jpg:下流から見る。Donnasドンナのガリアのローマ時代の街道跡。
周囲の岩を削り、轍(ワダチ)を彫って馬車の道を作った跡。マイルストンも。(ネット/パンフより)】


<Bardバール/Donnasドンナ付近、Aostaの城などのサイト>

 ○http://www.infobard.it/【Bardのガイド】
 ○http://www.valledichamporcher.it/bard/storia.htm【Bard:Forte di Bardの歴史】
 ○http://www.naturaosta.it/【Donnas:アオスタの歴史】
 ○http://www.jczinn.com/【Donnas:Val D'Aosta :Roman Road at Donnas】

 ○http://www.courmayeur-mont-blanc.com/【Aosta:COURMAYEUR /MONTE BIANCOの歴史情報・写真多数。特にここ英文
 ○http://guide.supereva.com/storia/【Aostaの歴史:世界情報も】
 ○http://www.bigben.it/【Aostaアオスタ渓谷観光:8日間バスツアー】
 ○http://www.medievalphotos.com/gallery41/index.htm【Aostaアオスタの城】
 ○http://www.benetour.it/Valle-Aosta/【Aostaのツアー】
 ○http://www.vecchiopiemonte.it/【Aostaアオスタ谷の紋章】


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