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フィガロと、シャレ・エルミーナのマダム

Leysin レザン(2002-1)

 2年ぶりのこの地、シャレ・エルミーナのフィガロ(Figaro)The Swiss mountain attack Catも覚えていてくれたのか、大歓迎です。
芹沢光治良が療養していた、75年前のサナトリウムの建物はどこだったのでしょう?

スイス:ヴォー州】[北村 峠一].(Kitamura)     



 マルティニの交差点でなぜか長い渋滞、お巡りさんがマイクで・・・Tour de Suisseツール・ド・スイスが通過するので待つようにと放送しています。しばらくするとヘリが上空を飛び、左から右に、グラン・サン・ベルナルド峠に行くのでしょうか、まず先頭の選手があっと言うまに駆け抜け・・・そのあとたくさんの選手が。さらに後ろには各チームの車、サポートのメーカーの車が自転車を大量に積んで追いかけます。・・・一瞬MITUBISIのマークが見えます。あれ?三菱って自転車もやっていたのか?(不明です・・・判る方がいれば)

 待っている数十台のバス・乗用車の人たちの中にも、車外に出て応援している人もいます。通行止めになったのは約10分ほど、スイス各地がこのように整然と、公道を閉鎖しながらレースをしているんですね。後で調べると、約10日間の転戦、今日のコースはインターラーケンからピーロン峠、この先20kmほどのVerbierまでの177kmだったようです。いつかツール・ド・フランスもじっくり観戦したいものです。


【00.jpg:ちょうどツール・ド・スイスの通過に遭遇。】

●66th Tour de Suisse- 2.HC  Switzerland, June 18-27, 2002 の情報

・6/18からスイス各地を転戦し、
・前日(6/23):Meiringenメイリンゲン→Grimselpassグリムセル峠(2165m)→Furkapassフルカ峠(2429m)
  →Sustenpassスーステン峠(2215m)→Meiringen。149km・・・峠だらけで大変なコース。
・6/24:Interlakenインターラーケン→Pillonピロン峠(1546m)→Martigny(■ここで遭遇したんですね)→Verbier(1510m)。177km

・最終結果は
 1位 Alex Zulle アレックス(Swi) Team Coast
 2位 Piotr Wadecki (Pol) Domo-Farm Frites
 3位 Nicolas Fritsch (Fra) La Francaise Des Jeux

・URL:
 ・cyclingnews.com
 ・自転車レース(ツールドフランス・イタリア・スイス、MTB)情報


 ローヌ川に沿った広い谷を下っていきます。「右Villards」のロータリーの標識に見覚えがあります・・・2000年の旅でここのOllonオロンで右折し、ブドウ畑の丘陵地山を登り、Croix峠(1778m)に行った交差点です。今回はレザンに直行するのでもうしばらく走ると・・・Aigleエーグルの分岐が現れます。レザンはこのほぼ真上(登山鉄道なら3kmほど)なのですが、大きく15kmほども山道をUターンしてこなければ着きません。


【108.jpg:右に行くとOllonオロン〜Villards〜Croix峠方面】

 
【119.jpg:右にAigle、Pillon峠、Mosses峠の表示】 【122.jpg:校倉造のような納屋が珍しい】


 2年ぶりのレザンです。Chalet Erminaシャレ・エルミーナには、モン・スニから昨日電話してありました。マダムのArianeは前回旅行中、mailのやり取りだけでしたが、2年目で初めて顔を合わせることができました。増築したシャレの話、MTBのコースの話、日暮里のシャレ・スイスミニの話など話はつきません。彼、フィガロ(Figaro=スイス山岳アタック猫)も覚えていてくれたのか、すぐに足にまとわりついてくれます。・・・いい子だね。うちの可愛い娘のようだと話していたら・・・オスでした。   【●旅の絵本へ


【231.jpg:2年ぶりのエルミーナ。マダムにも会える。】


【215.jpg:二つのシャレを上から見る。上があらたに増築したシャレ。ここも眺めがいい】


【250.jpg:翌朝の眺め。右に新棟が光って見える。でもやはり懐かしいのはこちらの棟・・・地下道でつながっている。】


 今回のレザンは、芹沢光治良が1927年頃(約75年前)治療したサナトリウムはどのあたりだったのだろう、当時どんな町並みだったのだろうと、ゆっくり回って見たいと思ったことでした。前回の旅以降、芹沢光治良文学館の方、世界一周の貧乏旅行中に1971年頃レザンに滞在した方、富士見の高原療養所の正木不如丘(1920年代)を研究している方、以前のレザンの風景を懐かしい思い出としておられる方、などからのmailなどがいくつかありました。当時の建物や鉄道などを見るために、エルミーナのマダムに当時の建物の場所をいくつかマークしてもらい散策します。

 Village駅に向かって歩いている途中で、芹沢光治良が療養したという写真によく似た建物を見つけます。その建物をもう少し西側からも観察しますが、決め手はありません。1927-8年頃の大学のサナトリウムはひとつではないはずですし、当然増改築・・・多くはホテルに変わり、完全に建物を作り変えているところもたくさんあるとのことでした。翌日この町を離れるときも、再度霧の中でしたが登山鉄道の終点の方などに、いくつか回ってみました。

   
【芹沢光治良写真館:療養したスイスの大学サナトリウムの写真】 【131.jpg:Village駅に登る口のhotel】 【194-map.jpg:町のmap】


【156.jpg:左に上の建物が見え、右にVillage駅方面を。正面の低いところがAigle方面。】


【267.jpg:翌朝、霧の中、車で町の中を当時のサナトリウムの場所をいくつか見る】


<登山鉄道や、街の中を・・・・75年前と大きく変わっていないような気がします。>
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