ヨーロッパ アルプス 峠ドライブ紀行 TOPに戻る top page
   2000.7レザンの旅へ 2002.6レザンの旅へcount

芹沢光治良:昭和42年

芹沢光治良:サナトリウム・レザン・オートヴィル
   関係INDEX


<Index>
芹沢光治良、森次郎、レザンについて
LINK情報
2000.6:旅の前に
2000.6-7:旅の記録・・・問い合わせ
2000年:旅の後に・・・正木不如丘などの問い合わせ、当時の診療所の規模、写真など
2002.6:旅の記録
2002年:旅の後に・・・オートヴィル情報
  ・佐貫亦男と北島正元とレザン



●芹沢光治良、森次郎、レザンについて
 「芹沢光治良」という作家をご存じですか。
 長編14巻の「人間の運命」の中で、主人公:森次郎が新婚・子供が産まれて・・パリで結核で倒れ、レマン湖の東、多分レザンのサナトリウムで療養します。

この中で「釜の峠」から見るアルプスの光景を・・・是非見たいとも。

(実生活でも、1925:大正15年29歳:結婚。6月船で渡仏。ソルボンヌ大学入学。1927:昭和2年3月肺炎で入院、結核を発見。フランス、スイスで療養。1928:昭和3年7月オートビルを再訪、帰国の許可を得。11月帰国)
芹沢光治良写真館  療養したスイスの大学サナトリウムの写真  レーザンのホテル「エスペランス」の写真

(残念ながら、私は文学青年ではありませんでした。もっと若い頃に色々読み書きしていれば、もっといい文章が書けたのでしょうが。・・「人間の運命」の長編も、それぞれの初版発行を待って購入し、沼津・我入道をカメラ散歩したり、文学館を訪れたり・・)

・1896.5.4:沼津市我入道で出生・・・1930年頃からいくつもの作品を刊行
・1965-74:日本ペンクラブ会長
・1993.3.23:平成5年 96歳でなくなられました。・・・静岡県沼津市名誉市民




●LINK情報
芹沢光治良文学館
http://spysee.jp/【芹沢光治良:プロフィール、関連地名・人物】
Leysin, Suisse - Welcome to Leysin, Switzerland.htm
  市の観光ガイド:スポーツ・観光・教育に力を入れている
「スイス公文学園高等部  (Kumon Leysin Academy of Switzerland)」
  国際的な学校が多い中に、日本の学校もあります。



leysin ●芹沢光治良文学館の「掲示板:こころの広場」での 問い合わせ とお礼<2000.6-7>

 ---2000.6.21(水) Name kitamura----
 スイスの療養の地はレイザンでしょうか?

 はじめまして。S42年頃から「人間の運命」を読ませていただき、沼津・我入道をカメラ
 散歩したり、数年前に沼津の文学館を訪れたりしたことがあります。
 (あまり文学青年ではありませんでしたが、先生の生き方に感動した事を思い出します)

 そのようなことに影響されたのか、ヨーロッパへの旅も8回目、アルプスの峠巡りをし
 ているのですが、この7月はじめに療養されたと思われる「レイザン」にも立ち寄り、
 本の中にある「釜の峠」から見るアルプスの光景を是非見たいと計画しています。
 このHPの写真の「療養したスイスの大学サナトリウム」の地だと思います。もし情報あ
 りましたらよろしくお願いします。(6/27に出発であまり時間ありませんが) 
    http://www.eu-alps.com/

 ---2000.6.25(日) Name 光治良---
 レーザン 

 スイスの療養地はレーザンですね。レマン湖の東畔の町モントルーの先にある山間の町。
 「再び「ブルジョア」の日に」はエイグル駅からレーザン行きの電車の細かい描写で始
 まります。旅の友にお持ちになると、より楽しい旅行になるのでは。僕は未経験なので、
 愛好会の方でスイスツアーに参加されたどなたかが情報を書いてくれると良いのですが。

 ---2000.6.25(日) Name チューバマン---
 スイスの療養地について 

 愛好会のチューバマンです。私は、ヨーロッパのツアーに参加してませんが、芹沢先生
 が書かれていたものを拾い読みして、スイスの療養地を調べてみました。楽しい時間を
 過ごすことが出来ました。
 スイスの療養地はレーザンですね。
 芹沢先生は、ソルボンヌ大学のシミアン教授の友人の医科大学のプザンソン教授の診察
 を受けました。急性肺炎で危篤と病室の外での話し声を聞いた芹沢先生は、意識しない
 で生と死の間を往復していた。
 この危篤状態を脱した芹沢先生は、左胸が結核におかされていると聞き、フランスの
 エーン県オートビルの寒村の駅から車で小一時間の、オート・ビルの寒村にあるホテル・
 レジーナですごし、その半年後にスイスのレーザンの療養所に移りました。
 この時代で結核の診断を受けたのはすごくショックだったと思います。
 そこでデュマレ博士と出会いました。
 芹沢先生が昭和26年デュマレ博士と再会し、昔療養した部屋に泊まりました。

 昭和34年にも再会していますが結核都市レーザンは労働者の休養地に変わっていました。
 息子のマルセル氏とは、娘さん夫婦のジュネーブ赴任で交流を深めると書かれていました。
 キタムラ様、新しいレーザンの様子を教えて下さい。楽しい旅行を! 
  http://www.d7.dion.ne.jp/~tubaman 

 ---2000.6.26(月) Name kitamura---
 レーザンの情報ありがとうございます

  光治良さま、チューバマンさま。スイスの療養地の情報ありがとうございます。

 >「結核都市レーザンは労働者の休養地に変わっていました」
 ・・・たしかに、市のHPからは、スポーツ・観光・教育に力を入れているようで、
 療養地のイメージはありませんでした
 http://www.leysin.ch/anglais/main.htm
 なぜか日本の「スイス公文学園高等部(Kumon Leysin Academy of Switzerland)」も
 ありました。そんなことからもレーザンがその地だろうか?との疑問で皆様にお聞きし
 ました
 http://www.kumon.ac.jp/klas/index.html

 >「再び「ブルジョア」の日に」
 本・・間に合えば入手していきたいとおもいます。「人間の運命」14冊は独身時代に
 入手し、以来33年間引っ越し・結婚後も持ち、いろいろな気持ちの転換期などに読み返
 しています。

 >フランスのエーン県オートビルの寒村
 以前、地図でオートビルの村を見つけようとしたことがあるのですが、分かりませんで
 した。どのあたりかおわかりになれば教えていただければと思います。

 >新しいレーザンの様子を教えて下さい・・
 旅の後、早速皆様に連絡できるよう、安全運転で楽しんでこようと思っています。
 ありがとうございました。 

 −−− 2000.7.18(火) Name kitamura −−−
 「Leysin レザン」に立ち寄ってきました(速報)

  皆さまから情報頂いた「療養の地:レザン」に7/4-7/5立ち寄ってきました。
 レマン湖の東側ヴォー・アルプス山地と言われる3000mクラスの雪山がある地です。
 Leysinの西側の山にロープウェイで登り、雲の間からレマン湖・モンブランなどの山々
 を遠望しました。街は東南斜面にあり、牧草地・農家・並木道・岩山・緑のピークなど
 自然がたくさんの地でした。

 HPで皆様にも見ていただこうと思いますがしばらくお待ちください。(毎週少しずつ
 VTRからキャプチャし、通勤時間帯に編集、日曜夜にUPするパターンで、6週間を予定し
 ています)。
 この地域の部分が完了したとき、またこの掲示板に書かせていただきます。もしご質問
 などありましたら連絡ください。ありがとうございました。 

 −−− 2000.7.31(月) Name チューバマン −−−
 星野温泉が建てかえられるそうです。 

 kitamura様、お帰りなさい。すばらしい旅行だったと思います。いいですね。
 私もいつかは、旅行したいと思います。最近「孤絶」を読み、その思いを強くしたと
 ころです。
 ところで、星野温泉が3年の月日をかけて立てかえが始まるそうです。芹沢先生が入ら
 れたゆぶねもいつからかなくなるかもしれません。急遽、私は9月に温泉に行く計画を
 たてました。
 「孤絶」は、「離愁」「故国」の3部作ですが、ある研究者の方から「人間の運命」に
 あまり書かれてない留学、闘病生活の事を詳しく書かれていると聞きました。 私は、
 この3部作好きな作品です。


サナトリウム ●旅の記録 <2000.7>
 レザンの旅の記録-1-6
 その他記録
 旅の絵本



●シャレErminaのオーナーからの便り <2000.9-12>
 2000. 9.17:mailと秋のシャレーの写真
 2000.12.26:新年のMail と レザンの冬景色



●川島さんからの投稿 <2001.6>
 1971-72年にレザンに滞在したとのお便り


solarium de la clinique ●奥村さんからのサナトリュウムの問い合わせ <2001.8>
 サナトリュウムの問い合わせ 投稿者:奥村一郎 投稿日:2001/08/03(Fri) 15:42 No.306

 私は富士見の高原療養所の正木不如丘を研究しているのですが、彼はパスツール研究所に
 留学していた時、フランス系のサナトリュウムを見学していたので、富士見の病院を引き受
 けたとき、サナトリュウムのアイデアが生まれたと想像しています。
 レザンはフランス語圏じゃないかと思いますが、当時1920年代には幾つ位あったのか、
 分かるでしょうか。
 かの薩摩治郎八の奥さん千代子さんも入ったようです。どうぞよろしく 

 --------------------------------------------------------------------------------
 Re: サナトリュウムの問い合わせ kitamura - 2001/08/07(Tue) 15:39 No.310
 奥村さんはじめまして。
 >・・正木不如丘を研究しているのですが
 http://www1.sphere.ne.jp/kogen/masaki.html
 mailとwebではじめて彼の名前を知りました。

 >フランス系のサナトリュウムを見学・・レザンはフランス語圏?
 レザンはフランス語圏ですね・・・芹沢光治良が療養した時期、1927〜28年に、
 フランスのエーン県オートビルの寒村にも療養所があったようです。

 >当時1920年代には幾つ位あったのか、分かるでしょうか。
 昨夜、思い出して、旅先レザンで貰ったパンフレットを開いてみました。
 フランス語で余り理解できていませんが、1930年頃には、
 3000人の患者、80のサナトリウム(診療所)、50人の医者、300人の看護婦・・・
 という記述が見つかりました。(1920年代は?)

 当時の診療所風景の写真や絵はがきもそこにありました。
 もしその本(80pageほど)をごらんになりたいのでしたら、mailで住所をお教えください。
 郵送します。 

 −−−−−−−−−−−

 ・薩摩治郎八の奥さん千代子さんに関するlink-1
 ・薩摩治郎八の奥さん千代子さんに関するlink-2
 ・天才佐伯祐三の真相
  藤田嗣治・・・(大正二年、二十六歳の時、画学留学生としてパリに渡り、エコール・ド・パリを代表する画家として豚児たちのリーダーとなった)。芹沢の小説にも時々登場している画家  ・正木不如丘(正木俊二)
●MTBワールドカップについて <2000/2001年>
 レザンで、マウンテンバイクのワールドカップが開催されました。


●スイス・レストラン「シャレー・スイス・ミニ」のマスターのこと <2001.09>
シャレー・スイス・ミニ 東京・日暮里にあるスイス・レストラン「シャレー・スイス・ミニ」のマスター(パシュ デニーさん)が、レザン出身でChalet Erminaオーナーの知人であることを知りました。
・Erminaに早速連絡したら、シャレー・スイス・ミニのオーナーを昔から知っているとのMail と、 次のシャレーの工事中写真が送られてきました


シャレ・エルミーナ
●レザンを再び訪問 <2002.6>
 2002.6.24-25、2回目のフランス・アルプスへの旅の途中、レザンに立ち寄ってきました。
シャレ・エルミーナのマダムにもお会いでき、過去のサナトリウムの建物(複数)の場所を教えてもらい、散策してきました。
 あいにくの霧が濃い天候で、山の遠望はできませんでしたが、かつてのレザンの建物、アメリカンスクール、登山電車などゆっくりと町を見ることができました。



hauteville ●オートヴィルをさがして <2001.7.31 tpkさん 「こころの窓(読者のお便り)」から転記させていただきました>
   はじめまして、10年ほど前から芹沢先生の作品を通じてその生き様の勉強をさせていただいております。
 私はフランスに住んで15年になりますが、数年前パリからリヨンに越してきました。リヨンはスイスにも
 近く、先生の作品に良く登場する地理に恵まれています。「オートヴィルの高原療養所」が以前から気に
 なっておりまして、一度訪れてみたいと思っておりましたところ、なんとリヨンから車で1時間あまりの
 ところにオートヴィルという地名が(地図上に)あるではありませんか。つい昨日の日曜日のことです。
 しかも地図で見ると計5箇所くらいに赤十字の病院マークが付いています。私はその発見にちょっと興奮
 して、しかし半信半疑で、早速妻を連れて出発しました。といいますのも、オートヴィルというのは
 「高所の町」という意味のフランス語で、仏語圏には結構あちこちに同名の地が存在するのです。車で
 旅行してそれらのオートヴィルを通る度に期待したのですが、今まではいずれもハズレでした。ちょうど
 今回は、リヨンの猛暑を逃げて、どこか山の涼しいところで夕食でも食べに行こうか、と妻と二人で地図
 を見ていたところだったのです。
  リヨンからですと途中、中世の城壁の街ぺルージュを通って、サンランベール・アン・ビュジェを抜け
 てしばらく牧草地帯を走ると左に山へ登る道があります。そこに「Hauteville Lompnes」への標識が出て
 いました。なだらかな登山道路の脇にはきれいな水の川が流れており、擬餌針を流れにのせる釣り人が多
 く見られました。獲物は鱒でしょう。今はすっかりスキー村になったオートヴィルには20分ほどその道を
 登って到着しました。今はスキーのオフシーズンですので、ひとけのない寂しい場所です。
 さて、肝心の療養所はといいますと、やはりありました、しかも比較的狭い範囲内に集中して建っていま
 す。でもその中のどれかに飛び込んで「日本の芹沢先生を知ってますか?」と聞くのも変ですし、一応
 頂上付近まで登ってから引き返してきました。リヨンから近いですから、またすぐに来れると思ったわけ
 です。自宅に戻ってくると、早速先生の本からオートヴィルのことが載っている部分を探し出しました
 (本当はこれを持って行くべきでした!)。すると、
 ・「エーン県(実際にはアン県と発音します)」同じです!
 ・「スイスに近い」これも同じです!
 ・「ホテル療養所・レジーナ」がーん!同じ名前の療養所がありました!!道沿いに登って行くと一番先
  に左手に現れる非常に大きな敷地の療養所でした。しかし、次のところでちょっと引っかかっています。
 ・「標高1800メートル」私が行ったオートヴィルは標高1100メートル位なのです。その山をさらに登れば
  もっと標高の高いところに出るのですが、そこはもうオートヴィルではありません。これだけ色々な
  条件が一致しているのですから、ほぼ間違いはないと思うのですが、するとこの標高の不一致は先生の
  思い違いなのでしょうか?それとも創作上の処置?あるいはもっと別なオートヴィルがどこかにあるの
  でしょうか?どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら、教えていただけませんか?  
   (リヨン、フランス tpk様) 

二つの場所
●二つのサナトリウムの場所<2002.9>
tpkさんがかかれた投稿を、今年の旅の後に読みました。
・フランスのエーン県の駅から車で小一時間の、オート・ビルの寒村にあるホテル・レジーナですごし、その半年後にスイスのレーザンの療養所に移る
・リヨン〜オートビル(高原療養都市:アルプスを遠くに望む地)〜ジュネーブ(「人間の運命:2-1:p198-」)
多分ここがその地でしょう。
旅の前に気がついていれば、(アヌシーにも行ったので・・・)訪れることができたのですが・・・次回の楽しみになりました。


●佐貫亦男 と 北島正元 と レザン
 作家・佐貫亦男の友人北島正元が1945年レザンで亡くなり、当地に埋葬されている。
 「佐貫亦男のアルプ日記:山と渓谷社1973年」
  ・関連記事へ


ヨーロッパ アルプス 峠ドライブ紀行 TOPに戻る top page