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Defereggental デフェレッゲン渓谷(Bacino Dravaドラーヴァ盆地)/Osttirol東チロル 1/30万MAP


【Ober Seeオーバー湖を左に、正面にAlmer-H.2985mの岩山を見て、東に下っていきます。Osttirol東チロルです。東の山並みは、Hohe Tauernの3100-2700mの連なりです。】 108.jpg 127.jpg 133.jpg 141.jpg

【標高1500mほどに下ったところから、Sankt Jakob in Defereggenの村が始まります。
---またSankt Jakob(聖大ヤコブ)です---
 Schwarzach川(Iselイーゼル川〜Drauドラウ川〜Dravaドラバ川〜Donauドナウ川となって黒海へ)の比較的ゆったりした流れが、逆光で輝いています。】 165.jpg
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【Sankt Jakob in Defereggenの村の、教会、村役場などが、渓谷の道に沿って続きます。自然公園への標識なども時折あって・・・長い谷です】 201.jpg
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【峠からずっと先導で走っていた自転車と、そのサポート車を追い越して・・・対岸の村への屋根のある橋は、雪や雨の日に有効でしょうね。さらにバス停も兼ねています・・・】 237.jpg


【ようやくこの谷も終わりに近づき、Hubenの村です。タウエルン渓谷(イゼール川)は、かなり下にあって教会の周りをぐるっとまわって、降りていきます。】 256.jpg


北チロル、東チロル、南チロル 北チロル、西チロル、東チロル、南チロル

●北チロル、東チロル、南チロル(トレンティーノ・アルト・アディジェ州)

・神聖ローマ帝国時代(962-)、ハプスブルク帝国の時代(1273-)・・→オーストリア・ハンガリー帝国時代(-1918):北チロル(インスブルック地方)、南チロル(現在イタリアのトレンティーノ・アルト・アディジェ州)、東チロル(リーエンツ地方)は、チロルとして一つだったのです。

・第一次世界大戦の敗戦の翌1919年、サン・ジェルマン・アン・レー講和条約で、南チロルはイタリアに譲渡されました。

・このため東チロル(地方)は、地理的にチロル州(北チロル)から飛び地になってしまいました。物資の輸送なども、イタリア側を通れず、グロスグロックナーの峠(2575m)を経由するか、遠くザルツブルグ州、ケルンテン州を回らなければ行き来できなくなりました。

・フェルバータウエルン・トンネルが開通(1967年)するまで、東チロル地方は、オーストリアの陸の孤島状態だったのです。

・最近、このたくさんの自然と、田舎の風土が残されている東チロルの地が観光地として愛されはじめてきたのも、この長い歴史があったからでしょう。

 ●「大分水嶺と国境の差」も参考に

<参考:北チロル、東チロル、南チロル関係>
Defereggental デフェレッゲン渓谷
Passo Monte-Croce di Comelicoモンテ・クローチェ・ディ・コメリコ峠
Brocon -Paso diブロコン峠
(注:過去の地図で、フォアアールベルク州をチロルに含めたものがあったが、厳密にはチロル領には含まれたことはないようです)

<タウエルン渓谷から、マトライ方面に北上します・・・・>

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