記事No | : 189 |
タイトル | : フランスアルプスの縁縦断 |
投稿日 | : 2001/09/04(Tue) 23:10:51 |
投稿者 | : romeosierra |
フランスアルプス縦断(1)
一回目アルプスの縁を縦断の旅。目的地が南仏でアルプス(の縁)縦断は行きの行程としてのドライブで春早い季節でもあり、高い峠には近づかずにへりを舐める程度に。
1996年3月30日〜4月8日(内アルプスは3月30日〜4月1日)
使用車;BMW525i (ガソリン 2500CC)5速マニュアル
1日目(3月30日);Colmar(フランス自宅)
高速道路でGeneveまで。Geneveで高速を降り、一般道でフランス入り。
宿泊地;Nantua;ホテル・フランス(★)。田舎の古い古いホテルできしむ床、高いベッド、豪華だけれどくすんだ壁紙など。レストランは非常に良く(★★★)、フォアグラ・ショがあった。お値段もこんな田舎にしては!!!。
2日目(4月1日);Nantua南部の山中(Col du Cendrier793mなど標高700m級の道路)をあてどなくさまよい―St.Rambert―(玄人っぽいトラックストップで昼食)―Lac du Bourget―Chambery―Col de Porte(1326m)―Grenoble−Clelles
Grenoble周辺『白い恋人達』の雪山がきれいだった。
Grenobleから南下する街道沿いにある小さな町Clellesのホテル(★)
ホテルそのものは意外に大きく、アスレチックの施設などもあった。
確か夕定食がますのアーモンド揚げだった(★)。流石に日本人は稀とみえてレストランでは視線を感じた。
3日目(4月2日);こんな事をしていたのではいつ南仏に着くのか判らないと飛ばす。
Clelles―Col Accarias(892m)―Gorges du la Jonche―Vizille―La Grave―Col du Lautaret(2058m、この時唯一の2000m越えのアルプスの峠)―Brianson―Enbrun―St.Vincent(ここからナポレオン復活の時の進路ナポレオン街道をナポレオンとは逆に南下)―Col St. Jean(1333m)―Col de Labouret(1240m)―Digne―Barreme―Castellane―Col du Luens(1054m)―Col de Valterriere(1169m)―Pas de la Faye(981m)―Grasse―Cannes―Golfe Juan
Col du Lautaretは残雪濃く、路肩や駐車場は雪が残っており、スノータイヤで良かった、という状況。ナポレオン街道に入ってから土砂降りになり、Briansonのスーパーで買ったサンドイッチとりんごの昼食も車の中で。Grasseでは雨もあがり、モンテカルロラリーでは良く見る岩の道を快調に飛ばす。
真っ暗になってからカンヌに着き、ホテル探しは隣のGolfeで。街道沿いでかつ駅からも遠くないところで運良く飛び込みで入ったホテル(★★)が空いていてここに3泊して南仏観光の基地に。
このルートはミシュラン緑本のアルプス縦断ルートの東側を走り、Bonnetの南で合流するいわば簡易アルプス縦断ルートです。2000m越えの峠は『本番ルート』では最も印象が薄いロータレ峠だけです。この峠は本番ではガリビエール峠から降りてきますが、グルノーブル方面からの渓谷の間の長い登りはアルプスを走っているという実感がありました。La Meijeはこの時は雲の中でリターンマッチはこれから4年半後でした。