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Sospel
【s008.jpg:Sospelソスペル、Beveraベヴェラ川の古橋と旧市街】

Sospel ソスペル(2)

フランスの田舎の雰囲気とは、どこか違うと思いませんか? ここは150年ほど前までサルディーニャ王国、そして塩街道の・・

フランス:プロヴァンス・アルプCote d'Azur地方(06Alpes-Maritimes県)】[北村 峠一].(Kitamura)      


●ニース付近の歴史・・


 このソスペルを含んだニースエリアの歴史を調べてみると、イタリアと国境を接し、海岸で風光明媚、気候も温暖で住みやすいのでしょう。この土を巡っての争いが絶えません、年表を列記してみました。

nizza1860 【薄茶色+薄緑色+黄色エリア:1388年以降サヴォワ王国領(1720〜サルディーニャ王国領)。⇒薄茶色エリア:1860年フランスに割譲。⇒薄緑色エリア:第二次大戦後の1947年フランス領になる。by wikipedia
<ニース付近の支配関係・歴史>
〜:ガリア・エトルリアの境界で、イオニア・ギリシャ人の植民都市がいくつも出来る
BC3C〜:カルタゴ・イタリアの領土拡大に伴う侵略/殖民都市が出来る
BC13-6:ローマ皇帝アウグストスにより、このエリアのガリアは古代ローマに支配される
〜476:ローマ帝国領

〜:オドアケル王国/東ゴート王国/ランゴバルド王国領
770頃〜:フランク王国領
870〜:プロヴァンスProvence伯領/皇帝ルイ2世領/ブルグント公領(神聖ローマ帝国)/

1388:サヴォイ伯爵(Savoy Amedee VII)領→1416:公爵(公国)領
1536-59:フランスがサヴォワ地方を占領、ハプスブルク家と組み旧領回復。1563首都はシャンベリーからトリノに移る。
1691、1706:フランスのサヴォイ公国攻撃が繰り返される
1720:サルディニア王国領
1744-48:フランスが占領、イギリスと同盟し旧領回復
1792-1814:ナポレオン1世によりフランス領。1815:失脚により旧領に回復

(1859:フランス(ナポレオン3世)の手助けもあり、サルディーニャ王国(イタリア)はオーストリアからロンバルディアを獲得・併合)
1860:サルディーニャ王国はサヴォイ、ニースエリアをフランスに割譲(3月)。
  (1859.7民衆デモ→1860.4の住民投票で圧倒的多数でフランス帰属を決めた)『怪帝ナポレオン3世』鹿島茂著p348-357)
  (ただし山岳部はイタリアに残した)
(1861:イタリア建国、1866:ベネチュア割取、1870:ローマ占領、教皇領併合でイタリア統一完成=教皇庁はイタリア王国と1929年まで国交断絶)

(1914〜:第一次大戦時は国境の変化なし・・ただしソスペルでは132名もの死者が忠魂碑に残されている)
1942-43:第二次大戦中、イタリアはニースエリアを占領統治。-1944:ドイツが占領
1947.2:パリ平和条約でニースエリアはフランスに戻り、同時に山岳エリアもフランス領に
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●Beveraベヴェラ川にかかる3つの橋・・


 ソスペルは町の真ん中をBeveraベヴェラ川が西から東に流れていて、川の北側の旧市街(左岸)がrive gauche/North-Bank、南側の旧市街(右岸)がrive droite/South-Bankです。この川はモンテカルロ・ラリーで有名なTuriniチュリニ峠(1602m)付近が源流で、東のイタリアに入り、Ventimigliaヴェンテミリアで地中海に流れ込みます。

 サヴォイ〜サルディニア王国の時代、ニースから首都のトリノへの主街道は、このソスペルの町で川を渡らなければならなかったのです。そして現在この川に懸かる橋は、上流(西側)から「Pont de la Liberation解放橋」「Le Pont Vieux古橋」「Pont de la Concorde協約橋」の3つがあります。

 まず下流の「Pont de la Concorde協約橋」からは町の全体を一望できます。Tendeタンドや峠越えでイタリアに行く現在の橋はここです。

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【d608.jpg:下流のConcorde橋から西を見る。右手がrive gauche/North-Bank。左手がrive droite/South-Bank。正面に「Le Pont Vieux古橋」が見える】

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【d611.jpg:下流のConcorde橋から東=下流方向を見る。この橋を渡ってイタリア方面に行く。正面はイタリア国境の山】

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【d633.jpg:ソスペルの町、クリックで拡大。川で北/南の旧市街が分かれている。Hが初日のHotel、Gが2-3泊目のGites】 【d797.jpg:第一次大戦慰霊碑:132名もの死者が残されている】

 「Le Pont Vieux古橋」は町のシンボル、13世紀にはすでにあった歴史的な橋です。
 中世の時代、ニース〜ピエモンテ間のRoute du sel(塩街道)では唯一あった橋で、塩の交易に税を徴収していたのです。第二次大戦の1944.10.27、占領していたドイツ軍が撤退するときに破壊され、1953年に原型に忠実に再建された橋です。

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【d617.jpg:Pont Vieux町のシンボル、13世紀にはすでにあった歴史的な橋。西から】 【h623.jpg:東から】
第二次大戦で破壊され木造になっている橋 【第二次大戦で破壊され木造になっている橋:By B&B-Villa Amiel

 最上流にある「Pont de la Liberation解放橋」の南にある「Place de la Cabraiaヤギ広場」は家畜の水飲み場もある広場で、道路の反対側「Place de la Marche市場広場」には屋外レストランのテントが川に沿って広がっています。

Sospel 【v970.jpg:Place de la Cabraia/Marcheのバス停で通行人をじっと見ている老人】
 この町に滞在した土・日・月のたそがれ時、僕たちはこの広場のBar du Marcheのテントの下で毎夕、ビールを飲みながらこの町の人たちや観光客をなど観察していたのです。

 バス停の木のベンチや、水飲み場の石段は、おじいさんやおばあさんの定位置。多分数時間、通行客をじっと見ていますから、きっと僕たちも観察されていたのでしょうか。時には20代の若者が、ちょっとしゃれた格好のおばあさんと一緒にこの街角に現れ、そのおばあさんを橋のフェンス脇のベンチに座らせ、自分は女友達らしい子と街の中をぶらぶら。1時間ほどしてまたそのおばあさんを連れて、どことなく歩いていきます。

 モンテカルロ・ラリーの有名コース、チュリニ峠から降りてきたらしいバイクの一団が軽食を注文し、雨の降りそうな空を見上げ、あわててキャンセルしてそそくさと出発する姿。 かっこいいスポーツカーやクラシックカーに乗ったカップルが、道路わきに車を停め、コーヒーを一杯。でも数日も滞在する旅行客はあまり見かけません。

 そんな中で一番のお気に入りがこのBar du Marcheの若者。注文の後先に道路を渡って店に往復。この道路は峠への主要道路でバイクやスポーツカーが頻繁に走るのですが、その合間を縫って行ったり来たり。僕たちもホットドックやサラダ、最後にアイスなどを注文し彼や、お客さんの動きなどを、毎日観察し楽しんだのです。

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【v942.jpg:3日通ったスナックの若者は、注文の後先に道路を渡ってBar du Marcheの店舗を往復。チュリニ峠への主要道路でバイクやスポーツカーの合間を縫って】

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【v967.jpg:噴水があるPlace de la Cabraia/Marcheヤギ広場】
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●南旧市街South-Bankの教会・・


 St.Michel Cahedral聖ミッシェル教会は、1370年に建造され、右手のロマネスクの塔にその一部が残っています。そして1762年バロック教会として増築され、その大きさはニース教区で2番目だとのことです。

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【d625.jpg:聖ミッシェル教会:13世紀】

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【d655.jpg:聖ミッシェル教会前広場】

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【d646.jpg:聖ミッシェル教会の天井壁画】

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【h628.jpg:聖ミッシェル教会正面のプレートと彫刻】

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●南旧市街South-Bankの路地など・・

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【d657.jpg:1360年頃に建てられた、プロヴァンスProvence伯領の城を囲む石門と古い町並み】

 聖ミッシェル教会の東側は、古い建物群とそれを取り囲む石壁。プロヴァンスProvence伯領の時代に建造されたもので、この石門は1360年頃のものだそうです。
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【d641.jpg:南旧市街:Malpertuisなどの細い路地】

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【d780.jpg:南旧市街Rue des Romainsから東を見る。中心に泊まった宿B&B-Villa Amielが見える】

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【d623.jpg:南旧市街:St-Pierreへの路地】 【v974.jpg:若者たちと選挙ポスター(Platanes広場付近)】

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【h627.jpg:町の南側から旧市街を望む】

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●北旧市街North-Bank・・



 北側の旧市街も迷路のような狭い路地が、いくつも建物の間をうねっています。16世紀建造ロマネスク様式のSainte-Croix教会や、Sainte-Fransois教会は入口のドアも鍵がかけられたままです。古橋を渡った所にSaint-Nicolas広場と旧市役所付近に、ちょっとした土産物屋とレストランがありましたが、ここも月曜日には閉まってしまい観光客の姿もほとんど見えません。

Sospel Sospel Sospel
【d636.jpg:北旧市街、古橋を渡った北にあるSaint-Nicolas広場と旧市役所】 【d634.jpg:北旧市街、16世紀建造ロマネスク様式のSainte-Croix教会】 【h632.jpg:北旧市街、Sainte-Fransois教会の広場】

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 やはりこの町の代表的なアングルはこの橋からでしょうか。

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【s011.jpg:もう一度この構図を。Concorde橋から西を見る。正面の山の麓を通って塩街道がニースに向かう。】


<関連サイト>

 ○http://www.answers.com/【county-of-nice:ニース伯爵領1388年からSavoy公国領→1720年からSardinia王領→1860年からフランス】
 ○http://en.wikipedia.org/【Nizzardo Italians:1860年にフランスに割譲されたが、TendeとBrigueはイタリアに残った→イタリアはニースを買い戻したいと働きかけ、第二次大戦の1942-43年にはニースエリアを占領統治した。大戦後の1947年ニースエリアはフランスに戻り、それ以外にTendeの山岳エリアもフランス領となった。】
 ○http://www.sahm06.com/spip.php?article25【Menton と Sospel間に1912-1934年に走ったトラムの情報。バスに代わった】
 ☆La Vraie Provence -真のプロヴァンス探求サイト【Sospelガイド。プロヴァンスの歴史1860年ニースのフランス併合
 ☆ソスペルの大聖堂【フランス工房ジャーナル】

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<この町にいる間に、塩の街道をニースに、そしてアルプスのトロフィーとは・・>
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