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l'Echalpル・シャルプの水場
【1b0.jpg:l'Echalpル・シャルプの村】

La Monta/l'Echalp ラ・モンタ/ル・シャルプの村
  ・・・・・・舗装道路はここで終わる。ウィンパーが追い払われ、腹を立てた村

ハンニバルの進軍状況  地方道D947の終点まで来ました。アルプス登山の起点・・ウィンパーが村の司祭に追い払われ、うらんだ村です。
 ・・・かつてはたくさんの人が、イタリアとの国境を越え、交易で稼いで住んでいたのですが・・・

フランス:(05)オート・アルプ県】 [北村 峠一].(Kitamura)     


 リストーラスの村からモン・ヴィーゾ(モンテ・ヴィーゾ)方面に南に向かいます。ギル川を右に、正面にイタリア国境の山を見ながらの、広いゆったりした道。2kmほどで左手にLa Montaラ・モンタの教会と、たった一軒の民家が現れます。
 泊まった宿の壁に、かつてのこの村の写真がありました。数十軒の家並みがあったのですが、いまではこんなに寂れてしまったのです。道路に沿って廃屋の石積みがいくつも見えます。


【05.jpg:リストーラ村からギル川に沿い南東に。正面・左はイタリア国境の2900mクラスの山】


【00.jpg:今、この村は教会と一軒だけの民家が・・・そして廃屋の石積みがたくさん・・・】


【02.jpg:村を振り返って見る】
−−−−−−−−−−

 さらに1km。D947号線の終点、l'Echalpル・シャルプの村に到着です。Echalp(Ech=足場、Alp=アルプス)海抜1667mのこの地は、アルプスに登る起点の村です。

 ぐるっと山を見渡せるこのあたり、たくさんの自家用車が駐車してあります。皆さん山に入っている人たちでしょうが、ちょっと天候が荒れると、こんなところに駐車していたらひとたまりもないですね。ここ数日天候も安定しているからでしょう。日帰りや1泊程度がほとんどなのかも知れません。


【133.jpg:舗装の道はここで終わる。登山者の車がたくさん駐車してある。右の山にGR58の登山ルートがあり、Agnelアニュエル峠方向に向かう。】


【149.jpg:ラ・モンタ村方向。正面高い山はTete du Pelvas(2929m)国境の山】



−−−

 この集落、水場があり、廃墟のような古い建物がいくつかあって、なかなか良い雰囲気です。礼拝堂の脇の狭い道を通って人家のほうに行く角に「プライベート」のような看板が立っていたのですが、まあビデオを撮るだけならと入っていくと・・

 住人らしい人が奥のほうから、手を横に振って不機嫌な様子で出てきました。どうも「入ってくるな」と言っているようで、あわてて退散です。

l'Echalpル・シャルプの教会と水場
【1b0.jpg:l'Echalpル・シャルプの教会と水場・・・司祭はこの付近でウィンパーを押し飛ばすように追い払ったのでしょう】


【224.jpg:この村の現存家屋は、ここに見える数軒のみ】

−−−−
 実は1861年8月、ウィンパーも・・・モンテヴィーゾの初登攀を目指してこの村に来て・・・村の司祭に追い出されたのです。


 私は大嫌いなアブリエスを避けて、そこを通り越し、モンテヴィーゾに向かって数マイルもいった所にあるル・シャルプの村で、干し草のなかにでも寝るつもりで歩きつづけていった。

 村が近づいてくると、例の神聖な匂いが鼻を突いて来た。道かどを曲がると、その原因が一目ではっきりした。村の司祭が信者たちに取り巻かれて道路で立ち話をしているのであった。わたしは帽子を手に持って、うやうやしく進んでいった。私が口を開くより先に、「おまえはだれだ」「おまえはなんだ」「おまえは何をしに来たんだ」と、司祭が矢つぎ早に問いかけてきた。私は一生懸命に説明しようとした。

 だが司祭は、「おまえは脱走兵だな。おまえが脱走兵だということは、ちゃんと分かっている。この村へ置いとくわけにはいかない。とっとと出ていってくれ。ル・モンタへいくんだ。ここにいちゃいかん」と言いながら、私を押し飛ばすようにして追い払ってしまった。

 この司祭の奇妙なふるまいには、こんなわけがあったのだ。ピエモンテの兵隊たちが軍隊生活に飽きてしまうと、ラ・トラベルセットの峠を越えて、よくこの谷へ逃げこんで来るのであった。そして彼らをかくまったために問題が起こったからである。私はそんなことを少しも知らなかったので、これからモンテヴィーゾへ登ろうとする人間を脱走兵扱いにするとはなにごとだと腹が立ってしまった。
・・・・・・・・・・

  (『アルプス登攀記』ウィンパー著、浦松佐美太郎訳、岩波文庫 上巻p80-)


 かつてこの村も数百人の人口があり、イタリアのポー川流域と、このDauphineドフィーネ地域との間で、塩を中心とした物資の行き来が多かったようです。

 しかし他の便利な峠ルートの開発や、戦争で峠道の閉鎖などもあり人口は急減、南米移住などを余儀なくされたのです。そして今は、農業、山岳リゾート産業などのわずかの人が住むだけになったのです。


【1e1.jpg/1c5.jpg:石積みの家は、まず木の屋根が雨で腐り壊れ、ついで石壁が雪・氷などで順次崩れる】

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Elephants

●「ハンニバルと象」がこの地(推定)を進軍した状況など

 −− ポリビオス(BC200-BC118)の記述による。「」は推定の地名 −−
 ●前のポイント「Ristolas-3」← 【●ハンニバルの有力推定ルート】 →●次のポイント「Petit-Belvedere-1




【ハンニバルの行軍推定ルート(緑実線)】



より大きな地図で 2002Travel-Root-Point を表示
<ここまでの経緯>
 約4.5カ月前スペインを出たカルタゴの軍は、「ケーラス」渓谷で崖の上から岩による大襲撃をされ、多大の死者を出しこの地に到達(10月18日夜)。この先の偵察と軍の再集結、再編成、休養のためこの地に留まる。

<この地のハンニバル軍>
(前の状況と変わらず)
 紀元前218年10月19日。 気温が下がり、時には雪もよ。この日もこの地に留まる。

 道路の工作隊は、象・荷車を含む軍の峠道を切り開くため、先の山道に向かい作業をする。

 アルプスの登り道から9日目。イタリア国境の峠越えまで残り6日。

 軍の規模は、歩兵2.9万人、騎兵6.9千騎、象20頭。

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・・・皆さんの想定、推測情報などありましたらお願いしますハンニバル応援

参考資料:
 この記載情報はポリビオス(BC200-118)の記述による。これをもとにルートを推定・解説している本は以下のものである。
 ・Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア 『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』時任生子訳:博品社(G-page)
 ・John Prevasジョン・プレヴァス『HANNIBAL CROSSES THE ALPS ハンニバル アルプス越えの謎を解く』村上温夫訳:白水社(J-page)
 ・Hans Baumannハンス・バウマン『ハンニバルの象つかい』大塚勇三訳:岩波書房:(H-page)
 ・The Green Guide:『French Alps』2001 Michelin:(M-page)

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【109.jpg:南を見る。左の雪山はLa Gr de Aiguillette(3284m)?。モン・ヴィーゾ(モンテ・ヴィーゾ)はさらに東・・・】

<Petit Belvedere du Viso ヴィーゾの小見晴台に向かいます・・・・>
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