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Col de Turiniテュリニ(チュリニ)峠(1607m:63-2位)
  (Vesubie渓谷を経由し・・ぶっ飛ばしの・・モンテカルロ・ラリーのコースを・・) テュリニ(チュリニ)峠付近のMAP ●峠DBへ


●2002/6/16日
【当初、St.Sauveurの手前で宿を取る予定でしたが、適当な宿がなく・・・次の峠=Turini峠=に行くことにしました。
St.Sauveurからニースに向かうVarヴァール川沿いの道は、4年前に走ったことがある道で・・・と気楽にバイパスに乗ったら・・・Vesubie渓谷に入る分かれ道がない。数Km戻って、渓谷をさかのぼります。

天気のよい6月の日曜日、ニースなどからたくさんのドライバーが日帰りを楽しむのでしょう。かなりの車です。
大きい車も、小さそうに見える車も、こちらの人は皆早いのです。カーブでも片側2車線あるところは100kmをはるかに越えて飛ばします。道路幅の狭いところでは、ピタッと車の後ろにくっつきます。前方が安全と思うと、サッと抜きます。

くっつかれるのにいやになって、こちらがウインカー出して道の端に寄っても、前方が確認しにくいと抜きません。一度など、その状態で道端に駐車したら、文句を言う車がいました。「何で前方が安全確認できないのに、ウインカー出して追い越せと言うんだ!」・・というような意味の捨てセリフでした。彼女が横に乗っていて、かっこいいところを見せようとしたのでしょうか。】

【連日の狭い渓谷道路ドライブは疲れます。1400ccとパワーのない車のせいもあるでしょう。サングラスをしているにもかかわらず、やはり雪目気味になっているような気もします。
早く峠で宿のシャワーとビールが飲みたい・・・・頭の中はこれだけでいっぱいです。・・・VTRを撮ろうという余裕もありません・・・】


●最近、フランス人の運転・スピード狂について、納得いく本を読みました。

水江正吾著 『南仏モンペリエ午睡の夢』  河出書房 1994

<インテリもハンドル握ると・・・p126->

 ふだんは物静かで控え目な人なのに、猛烈なスピードでつっ走る 。そのスピードを緩めずに急カーブを切ると体に感じる遠心力がたまらないのでしょうか。こんな時は一瞬恍惚の表情なっている。ぼくはぞっとしている。 メータはとっくに時速150kmを越えている。

 彼はゆっくり走っている車を見るとイライラするらしく、さかんに悪さをする。 その車の直後にピッタリとくっついたまま走る。
・・・あるときは急に加速してその車の前にでて、行く手を塞ぐようなこともする。
そんなときの彼の表情はいかにもいやらしいニヤリとしたり、 ヒッヒッと声をあげたりもする。
普段は少しせっかちなところはあるけれど、どちらかといえば保守的なものの考え方だし・・・。インテリですらこうなのだからあとは推して知るべし・・・。

 フランス人は車に乗るとせっかちになる。 特に南フランス・・・仕事は遅いのに・・・日本人よりスピードに強い(F1レーサ、スキー滑降選手)・・・
 フランス人が車を運転するといくぶん闘牛士の気分になっている。闘牛士もスピード狂の運転手も、あえてその危険に立ち向かう「闘争の能力」を誇示しようとしている点では似ている。


【Turini峠方面への分岐カンバンが出て、ああやっと・・・15kmか、もうすぐだな・・・と思ったのが間違いです。

突然、すれ違いがぎりぎりの道、右側が急激な谷、前方がほとんど見通しのきかないカーブだらけ、上り坂・・・
対向車は相変わらず高速。こっちは谷側、接触したら谷におっこっちゃうよ。やはり後ろにはクッツキ虫が。カーブだらけでスピードが出なくて。・・・本気で苦痛です。
あと何kmかなと思うのですが、標識が一切ない。あのカーブの向こう側はそろそろ下りかな?と思うのですが、曲がった先もまた上り・・・

あ、これはモンテカルロのラリーコースでは?と気がつきだしたのは半分以上走ってから
・・・崖へのガードレール:石やコンクリートでできている部分は、角が取れて丸く、あちこちにひびが入り。鉄製のガードレールはペンキがはげ、ぶつかったあとが所々で・・・

そう思って対向車のドライバを見ると・・・ラリー愛好家です。目つきが違います。峠屋さんです。この峠道を楽しんで走っています。結構こすった跡のある車も・・・早く峠に着かないかな・・・】
−−−

【やっと着きました。・・・ほっとします。目の前の宿にすぐ決めて・・・シャーワーを。
Col de Turiniテュリニ(チュリニ)峠は車が一杯です。 今来たD.70と、南へループのD.2566、山の上に登るD.68、それ以外に林道が2本。複数の曲がりくねった坂道がこの峠に集まっています。唯一この交差部分が直線です。
標高1607mの看板を探しますが・・・宿の人にも聞きましたが・・・無いようです。なぜでしょう。ラリーに関係するのでしょうか?】 turini 111.jpg
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【宿の前の看板にはラリーの雪のシーン、サイン入りの写真などが展示されています。宿の中には歴代のポスターや、選手の写真・・・たくさん飾ってあります。
そして次々と、バイクや車のツーリングが来て・・・この峠で写真を撮り、お茶をし、握手をして・・・下っていきます。愛好家にとってこのカーブ・この峠は堪えられない場所なのでしょう。】
●モンテカルロ・ラリーと、このチュリニ峠に関してはこちらを
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【まだ頭の芯が・・・車の振動とカーブで・・・揺れています。この頭の平衡感覚(?)の回復には山歩き・散策が一番です。すぐ東のスキーリフトにそって1787mの丘に汗をかきに登ります。周りの2000mレベルの山は若干ガスがかかって、あまり遠望がききません。】 149.jpg 138.jpg

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【1877-1881の年号がある碑がありました。ニースのWagner陸軍大佐の記念碑です。
その当時の歴史を見ると、
・1860年以前は、ここニース・モナコを含めたイタリア国境は、イタリア王国の元になるサヴォワ王国の領地。
・1860年にニースエリア、レマン湖南部のサヴォワのエリアは、フランスに領になりました。(フランス:ナポレオン3世、イタリア:ヴィットリオ・エマヌエル2世の時代)
・1861年イタリア王国建国、1870年イタリア統一完成。同年フランスは第3共和制に。1871年ドイツ帝国成立など、周辺国の独立が相次ぎ、フランスの国境警備も強化された時代でしょう。

 そんな時代の国境の守りの責任者(?)、陸軍大佐・・この峠との関係は?

・以降、モンテカルロ・ラリー開催(1911年〜)など比較的安定した社会でしたが、第一次大戦が1914年に始まります】


−−−−−−−−−−−−−
【静かな夜がすぎて・・・】

●2002/6/17月
【翌朝、昨日のD.70の同じ道を戻ります。
疲れていない、下り道(山側)、月曜日で対向車もほとんどない早朝・・・同じ道と思えません。同じだけのカーブの連続でも・・・VTRを撮る余裕もあります。

こんなカーブの雪道を高速で走るのですから、ガードの石がぼろぼろになっていても、不思議ではありません。】 194.jpg
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【あっという間にLa Bollene-sur-Vesubie村(ラリーのStart/Goal地点)に到着です。毎年1月、この教会の周りは、爆音と観客の歓声で埋まるのでしょう。】 1b7.jpg 1d3.jpg 1c9.jpg


<村を下り、昨夜走ってきたVesubie渓谷を北に・・・聖マーチンの峠に・・・・・・>
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