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【ヨーロッパ・アルプスのハイキング地図】
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Lac de Serre Poncon セール・ポンソン湖

フランス:(05)オート・アルプ県】 [北村 峠一].(Kitamura)     

●2002/6/9日
 ダムは2段になっています。下段のダムサイト、Les Celliers村とEspinasses村の境、D900号線の橋から上流の遠くに高いダムが見えています。水面は上段のダムが海抜約800m、目の前の下段ダムの水面は約680m。123mもの高さのダムの壁が、両側の岩の間に垂直に切立って見えています。

 Espinasses村から「Route des Fruits et des Vins:花とワイン街道」を登っていくと、ダムを展望できる場所があります。あの堤の長さは650mもあるといいます。
ブリアンソンからのデュランス川、バルスロネットからのUbaye川が合流し、ちょうどこの両岸の狭い岩山の間を流れていたのです。そして123mもの高さのある、ヨーロッパ有数のこのダムは1955年に着工され、長さ20km、最大幅3km、1,270百万立方mもの巨大な容量を持つ、水力発電のダムとなったのです。

 このダムでたくさんの村・人家が水没しますが、ここが1958年のフランス映画『L'eau Vive 河は呼んでる』(ジャンジオノの作品。主演:パスカル・オードレ)の舞台です。映画は工事の進行に合わせ3年かけて撮影されたので、当時のデュランス川の河原がいかに広いかを見ることができます。 小熊さんの「Little Bear's Homepage」で、いくつかのシーンを見ることができ、 そして映画のメロディも懐かしく聴くことができます。


【205.jpg:ダム湖の遠方に、上段のダム。雲のかかっている山はPic de Morgon(2327m)】【213.jpg:ズームアップすると123mの高さのダムと、発電・送電線が見える】


【poncon052.jpg:ダムの上部の長さ650mの堤と両側の岩山】

参考資料:

アースダム(土を積み上げた構造のダム)。
 ほとんど垂直で、土の構造とは信じられないのですが、耐水の粘土と、上流側表面を不透水性のコンクリートと粘土を混ぜたもので覆っているのだそうです。素晴らしい技術です。そして大量の水はダムの上部を越えて放流されるのだそうです。

https://fr.wikipedia.org/wiki【Serre-Ponconダム】

 →Mont-Cenisモン・スニのダムも参考に

poncon-map ■セール・ポンソン湖に関する参考サイト

「Alps-Flight」はnakamuraさんが、グライダーから撮ったフランス・アルプスの山岳写真を地図と併せてレポートされています。
セールポンソン (Lac de Serre-Poncon) 湖
【セール・ポンソン湖の東側にある、Morgon山(2327m)に取り付く前から。
 左に上部と下部の2段のダムが見えています。】

 この先、ハンニバルの想定ルートにそった場所も撮影されていますので、各地でまたnakamuraさんの写真を見せていただきましょう。


Kitamuraの1998年の旅で見たポンソン湖

●セール・ポンソン湖の観光ガイドhttp://www.serre-poncon.org/

●GEOL-ALPhttp://www.geol-alpes.com/・・と、 Serre Ponconの地形

Elephants

●「ハンニバルと象」がこの地(推定)を進軍した当時の状況など。

 ●前のポイント「Espinasses」←  【●ハンニバルの有力推定ルート】  →●次のポイントEmbrun〜Mont-dauphin




【ハンニバルの行軍推定ルート(緑実線)、今回のドライブルート(赤点線)、1998年のルート(黒点線)】


<ここまでの経緯>
・〜Gapガップ〜Espinasses〜と行軍した軍は、デュランス川にそってこのSerre-Ponson(今は湖ですが)をさかのぼります。

<この地のハンニバル>
・この地点を通過したハンニバル軍の規模は、歩兵3.5万人、騎兵7.6千騎、象26頭。

・紀元前218年10月16日頃にこの河原を進軍。アルプスの登り道から6日目。イタリア国境の峠越えまで残り9日。

・デュランスの幅の広い河川敷。今ダムがある場所が唯一狭くなっていますが、それ以外は見通しのよい土地。安全に軍を率いていくことができます。

・Espinasses付近で、挨拶に来た部族の道案内人を受け入れ、食料も得て大きな問題もなく進んでいきました。
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古代ローマの峠道
【古代ローマ街道:Montgenevre峠経由のルートはどこを通る?】
「古代ローマの道とアルプスの峠」も参考に。

より大きな地図で 2002Travel-Root-Point を表示
●ここでルートのちょっとした疑問:
 もしかするとハンニバル軍のルートは、Gapガップからここポンソン湖に向かって真っ直ぐ来たかもしれません。どちらの可能性が強いか?

(1)Gapガップ→丘越え→Embrunアンブランのルート
 ・直線であり、カルタゴが負けた以降、イタリア〜スペインのMontgenevre峠経由の
  「古代ローマ」の道がGapガップを通っていた可能性がある。
 ・今、国道ルートが走っている。

(2)Gapガップ→デュランス川・Espinasses→Embrunアンブランのルート
 ・丘の道を行くより、デュランスの河原を進むほうが楽。
 ・Gap付近からNiceニースに向かうローマ道があり、この場合はEspinasses
  で分岐するほうが説得力がある。

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  →ハンニバル軍は、デュランス川(現在Ponconポンソン湖になっている河川敷)にそってさかのぼって行きます。
  →Embrunアンブラン→Mont Dauphinモン・ドーフィネ<1998年の取材情報です>へと向かいます。

 ●前のポイント「Espinasses」←  【●ハンニバルの有力推定ルート】  →●次のポイントEmbrun〜Mont-dauphin
  

注:(バルスロネットを経て、ラルシュ峠に行くルートを推定している説もあります)
  
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・・・皆さんの想定、推測情報などありましたらお願いしますハンニバル応援

参考資料:
 この記載情報はポリビオス(BC200-118)の記述による。これをもとにルートを推定・解説している本は以下のものである。
 ・Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア 『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』時任生子訳:博品社(G-page)
 ・John Prevasジョン・プレヴァス『HANNIBAL CROSSES THE ALPS ハンニバル アルプス越えの謎を解く』村上温夫訳:白水社(J-page)
 ・Hans Baumannハンス・バウマン『ハンニバルの象つかい』大塚勇三訳:岩波書房:(H-page)
 ・The Green Guide:『French Alps』2001 Michelin:(M-page)



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