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Frymburkフリンブール
【s152.jpg:フリンブールのLipnoリプノ湖:夕日に浮き上がる釣り人たち】

フリンブールFrymburk

穏やかに見えるリゾートの町。ここの70年間の激動は、僕たちには想像も出来ないほど大きかったようです・・

チェコ:ボヘミア地方】[北村 峠一].(Kitamura)      

●アパート代29eur(4300円)


 世界遺産のチェスキークルムロフは祭りのため宿がなく、あきらめます。ところが隣の町で捜そうと一歩町を出ると・・人家も何もなし。ヴルタヴァ(Vltavaモルダウ)川をさかのぼり、林や牧草地、麦畑の中を越えて延々と走り・・

 結局30kmも走ってオーストリア国境も近いこのフリンブールの町に入ったのが4時。

 この町に観光案内所はなく、リゾート施設の案内所を見つけ値段を聞いてビックリ。  高いと思っていたアパートが1泊29eur(4300円)、3泊でも約1.3万円、ウィーン近郊クロスタノイブルクの格安アパートと比較しても半額、予定のチェスキークルムロフの1/3ほどと「大喜びのびっくり」だったのです。


より大きな地図で 2006travel-route-point を表示
【Frymburkはチェスキークルムロフの南30kmの湖畔】
Frymburkフリンブール
【s935.jpg:アパートの部屋は
 突き当たりの2階の窓】
Frymburkフリンブール
【アパートの間取り:部屋は裏庭に面している】
・住所など: Frymburk 11,38279 Frymburk
  http://markus.lipensko.org/【隣のMARKUSレストラン】
チェコで利用したホテル一覧


 広く新しく快適な部屋、レストランやスーパーも近くにあって便利、駐車場も鍵がかかって安全、こんな条件のいいところはめったにありません。

Frymburkフリンブール
【r703.jpg:町の中央通り東側:毎日通ったレストランと、その右がアパート】

Frymburkフリンブール
【r708.jpg:通り西側は4☆ホテルのHotel-Vltava。右のほうにリゾート施設の案内所。左に教会の塔】

frymburk-map
【数字は写真撮影場所】

●1960年に出来たダム湖と若者たち


Frymburkフリンブール
【s142.jpg:魚釣りの船が帰ってきて】
 風呂上がり夕暮れ時の町の散策、ここは半島の様に湖に張り出した町で、300mほどの対岸に向け渡し舟があります。

 湖で魚を釣る人、ヨット・ボートを楽しむ人たちがリゾートの風景を作っています。

 例の作曲家スメタナのモルダウ川、プラハに流れていく川の源流は対岸に見える低い山にあるはず。ここに滞在するときにそこを訪ねてみるつもりです。

Frymburkフリンブール
【s141.jpg:<地図の2方向>町の東側を見る】

Frymburkフリンブール
【s131.jpg:<地図の1方向>東側対岸から街を見る】

Frymburkフリンブール
【s922.jpg:<地図の3方向>渡し舟乗り場付近から見た町】

Frymburkフリンブール
【s158.jpg:<地図の4方向>渡し舟乗り場付近から見た南側】

Frymburkフリンブール
【s070.jpg:<地図の5方向>南の対岸Frydavaの渡し場から見たフリンブールの町の風景】

<チェコの水力発電情報>

 ○http://www.ckrumlov.cz/【リプロ・ダム構造図】
 ○Hydroelectric Plants【チェコ国内の水力発電所】
 ☆日本の水量の多い水力発電所【日本で同規模以上発電所は約12】
 3日目に対岸に行って判ったのですが、ここはリプノLipnoダムを作ったことによる人造湖。チェコ共和国最大の水力発電用の湖は、第二次大戦後の1960年に作られたのです。

 ダムで水位は数十mも上がったでしょうから、この地域の人のほとんどの人は、今は河底にある場所から、高台の新しい町に移転して来たのです。宿の裏にあるたくさんの共同住宅は、その移転先として作った建物なのでしょう。

Frymburkフリンブール
【s937.jpg:アパートの裏の駐車場から見える共同住宅風の建物と、大量の薪】

Frymburkフリンブール Frymburkフリンブール
【r961.jpg:部屋から見た共同住宅】 【r966.jpg:散策していると、何棟もの共同住宅と家庭菜園が見える】

Frymburkフリンブール
【s159.jpg:たそがれ時にヨットを楽しむ】

Frymburkフリンブール Frymburkフリンブール
【s932.jpg:犬の散歩の少女】 【s933.jpg:日本とデザインの違うペットボトルの風車は、やはりモグラ除けだろうか】

「こんにちは」 とつぜん日本語が聞こえてきました。湖畔のテニスコートの脇、大きな草花で隠れた一角に若者たち7−8人がたむろしていたのです。もてそうもない男の子ばかり、高校生風にも見えますが、何人かはちょっと大人びています。アルコールでも入っているのかなと思えるような、ちょっと見には近寄りがたいグループなのですが、声をかけてきたのですから、礼儀正しいのでしょう。

 夕方なので「今晩は」と返しますが、やはり知っている日本語は「こんにちは」の言葉だけのようで、何人もの「こんにちは」が聞こえてきます。ではと「ドブリーデン」とチェコ語で返したのですが、一瞬何を言われたか判らなかったらしく、皆でガヤガヤとざわめいた後、笑い声とともに「ドブリーデン」がたくさん返って来ました。

 ゲームセンターやパチンコ店などないこの町、結婚までの彼らの楽しみは、暗くなるまで外で友達と話しぶらつくこと。僕たちの小中学校時代の光景を思い出させます。翌夕方も、さらにその翌夕も同じメンバーらしい、そのもてない若者たちとすれ違い、
「こんにちは」「ドブリーデン」。

Frymburkフリンブール
【s147.jpg:水辺付近には丹精込めた鮮やかな色の花が咲く】

Frymburkフリンブール
【s930.jpg:アルプスでも見かける花も多いが、素晴らしい色で成長も十分】【●アルプスの花も参考に】

Frymburkフリンブール
【r801b.jpg:ヒンギス風の可愛いウエイトレス】
Frymburkフリンブール
【frymburk_0001:割引券】

●旅先のレストランの割引券は嬉しい


 毎夕6時から隣のレストランへ通ったのです。バドワイザーやピルスナーのビール、ワインのおいしさは夕暮れ時の乾いた喉に欠かせないからですが、嬉しいことにアパート案内所で3泊分、6枚も貰った割引券を使うと飲食がすべて1割引。下の写真に価格をメモしておきましたが、格安な食事がさらに割引されるので、自然に足が向かったのです。

マルチナ・ヒンギス  そこで毎日対応してくれたマルチナ・ヒンギスに似た可愛いウエイトレス。たしか彼女はチェコ出身だったはずと、
「テニスのヒンギスを知っている?」 と聞いたのですが、残念ながら知りませんでした。

 そんな楽しい思いをしたヒマな夜、レシートをちょっと調べたら、頼んだ品数より二つ行数が多いのです。
「ぼられたかな? レシートの印字なのに、そこまでやる?」 と、ちょっと不信感を持ったのです。

 が、翌日の支払時にチェックしてみたらやはり2行多くて、よく見るとフライドポテトは料理とは別会計。明朗な会計に、ますます好きになりました。

 最終日、割引券の持参を忘れてしまったのですが、やさしいヒンギス嬢は1割引を忘れなかったのです。明日はチェコともお別れなので、残った小銭を余分にチップに置いてきましたが、たくさんの「得をした思い出の町」です。



<W杯のメモ・・きっと皆さんも見ていたでしょう>
 6/18(日) 15:00〜 日本:クロアチア戦の結果は「0:0」。先週のような後半の息切れの戦いではなかったが、決勝リーグへは難しくなった。ブラジル:オーストラリア戦は何と引き分け。今年のオーストラリアは強い。

Frymburkフリンブール
【r707.jpg:バドワイザ(小15kc=75\、大25=125\)、オムレツ+キノコ(48kc=240\)、ビーズ・サラダ(40=200\)、ポーク(144=720\)。ポテトは別料金(25=125\)】

Frymburkフリンブール
【r802.jpg:スープ(25kc=125\)、クヌーデル+チキン(85=425\)、ポーク(117=585\)】

Frymburkフリンブール
【r712p.jpg:1945.5.6アメリカ軍のフリンブールの開放に感謝】

Frymburkフリンブール
【アメリカ軍の攻撃ルート:「第二次世界大戦」河出書房(p185)から。赤がフリンブール】

Frymburkフリンブール
【german-cz1938:スデーテン地方とドイツ人の比率。赤がフリンブール。】

●開放記念碑の奥に隠されていた歴史は・・

 町の中心広場にあった石碑、そこには「1945.5.6アメリカ軍のフリンブールの開放に感謝」とありました。第二次大戦の最終攻撃、4月30日のヒットラー自殺後、連合国アメリカ軍がこの町付近を攻撃し、ドイツを退却・降伏させた記念碑なのです。

 そのレベルまでは知っていたのですが、帰国後チェコの歴史などを調べていくうちに信じられないような事が見えてきたのです。この70年ほどの歴史を中心に時系列に書いてみましょう。

・10世紀以降の神聖ローマ帝国のもと、チェコは実質ハプスブルク家の配下で安定した時代。

・1800年代からのナポレオンの台頭、ドイツ統一などでオーストリアの力が減退した以降、ドイツ人は徐々にチェコの国内に居住を広げ、第一次大戦(1914-18)でチェコ・スロバキアが独立した以降も、さらに勢力を広げた。

・1938年までには、チェコの周辺エリア(スデーテン地方Sudetenland/Sudetengau)には、ドイツ人が300万人(人口の約40%)も居た。
フリンブールもスデーテン地方。90-100%がドイツ系だった>
・1938年ヒトラー政権はオーストリア(3月)、スデーテン地方(9月)をドイツに併合、スロバキアを分離独立させた。スデーテン地方のチェコ人は強制退去、ユダヤ人(11万人)は収容・虐殺などが行われた(国外逃亡も)。<フリンブールも同様>

・1939年第二次大戦が始まり、チェコ全域もドイツ占領下に。さらにドイツ純血民族体制が強化、戦線は拡大する。

・1944年以降連合国の反撃、1945年ヒトラー自殺(4月30日)、ドイツ降伏(5月8日)で欧州戦線は終決。チェコ・スロバキア共和国復活。

・1945年の戦後スデーテン地方では、ドイツ系住民ほとんどの300万人が強制的国外追放され、資産も没収された(〜1950年)。大部分はドイツに逃亡(バイエルン州に約4割)したが、追放時の殺害、衰弱、飢えなどで24万人以上が死亡した。没収土地・財産は国有に。
(1982年統計:チェコ国内のドイツ人は数万人(0.4%以下)しかいない。)<フリンブールも同様>

・1960年リプノ・ダム湖が作られ、フリンブールの大多数の人が高台の地域に移住

・1989年東西の壁崩壊。

・1993年チェコとスロバキア分離独立。

・1997年ドイツとチェコは「スデーデン地方関係の和解宣言」に調印、はじめて両国関係を正常化。
・2004年チェコEU加盟。


 まさに「他民族の国外強制追放」の連続です。多分これはヨーロッパなど陸続きの地域における侵略戦争のパターンなのでしょう。

 この歴史を見ていると、1938年頃にこの町に住んでいたチェコ人は10%以下。他の大部分の人の家族は70年前にはこの町には住んでいなかった人たちなのです。推測すると、追放されて、今ドイツに住んでいる人たちが建てた家々もダム湖に沈んでしまったでしょうから、財産を没収された彼らから恨まれることも無い。

 リゾートに遊びに来ているドイツ人、オーストリア人への恨みや反発も、今ではダム湖に沈み、お金を落としていくいい客として迎えているのかもしれません。

Frymburkフリンブール
【s166.jpg:たそがれ時の観光客】

●Sudetenlandスデーテン地方の関連情報

<関連するサイト>

 ○http://www.frymburk.info/【Frymburkガイド】
 ○http://www.ckrumlov.cz/【Frymburkの歴史など】
 ○http://de.wikipedia.org/【wikipedia】
 ○Hotel-Vltava:Frymburk【Frymburkの4☆ホテル】
 ☆チェコスロバキアの歴史【第一次大戦後、スデーテン地方のドイツ人など】
 ☆スデーデン地方関係【1997年の和解宣言など】
 ○Karten zur Bevolkerungsverteilung【1880-1930年のドイツ人分布図・変化】
 ○Sudetenland (Reichsgau)地図Wikipedia解説
 ○Die Sudetendeutschen【1910年頃からの言語分布など解説・地図】
チェコウェブリング

<関連書籍・地図>

 本:『物語チェコの歴史―森と高原と古城の国』薩摩 秀登 (著) 、中央公論新社
 本:『チェコとスロバキア―歴史と現在』大鷹節子著、サイマル出版会

<チェコのビール>

チェコのビール検索

<チェコのワイン>

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<関連HOTELなど>

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<チェスキー・クルムロフに再トライ・・>
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