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ヴァッハウ渓谷
【r321.jpg:ヴァッハウ渓谷:ドナウ観光船と乗客】

ヴァッハウ渓谷Wachau:デュルンシュタインDuernstein〜シュピッツSpitz

イングランド王リチャード1世幽閉の城。世界遺産の景観を観光船と電車から・・

オーストリー:ニーダーエスタライヒ州】 [北村 峠一].(Kitamura)      

●デュルンシュタイン

 ドナウの河旅のメインは、リンツLinzからクレムスKremsまでのヴァッハウ渓谷。Yさん、赤ちゃんとご一緒し、中間にあるデュルンシュタインDuernsteinからシュピッツSpitzの間を、観光船と電車で往復することにしました。

ヴァッハウ渓谷
【hv763.jpg:デュルンシュタインDurnsteinの町】

ヴァッハウ渓谷
【hv776.jpg:左にドナウ川、右デュルンシュタインの町と山の上に城】

 6月の第二日曜日、快晴で船に乗る人も多いのでしょう、さらに日曜は無料のせいもあるのでしょうか、駐車場は早朝にもかかわらずかなり満車。タイミングよく空きの場所を見つけ、町の中を歩いて船着場に。右(北)側に山が迫っています。この岩がドナウの流れを大きくカーブさせているのです。旅に出発する前に検討した、「南からはアルプスからの山並み、北からはチェコ・ボヘミアの森からの丘が合流し、ドナウ河を急な渓谷にする」場所がこの付近なのです。

【Wachauヴァッハウ渓谷は、アルプスの先端がドナウ川で削られたところ。赤は分水嶺:南はアルプスから、北はチェコ・ボヘミアの森から】

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ヴァッハウ渓谷地図

ヴァッハウ渓谷
【s621.jpg:デュルンシュタインDurnsteinのドナウに沿った散策路】


ヴァッハウ渓谷 ヴァッハウ渓谷
【s623/r307.jpg:デュルンシュタインDurnsteinの修道院:バロック様式の青い塔】

 この青色の修道院の塔のデザインは見事ですね。そして観光船に乗り込みます。ドナウの川の上から見たデュルンシュタインDurnsteinの修道院や町もまたいい眺め。

ヴァッハウ渓谷
【hv796.jpg:船長?】

ヴァッハウ渓谷
【r439.jpg:ドナウ観光船Austria丸】

ヴァッハウ渓谷
【s629.jpg:デュルンシュタインDurnstein】

世界遺産「ヴァッハウ/ワッハウ渓谷の文化的景観Wachau Cultural Landscape 」

デュルンシュタインの船着場周辺地図

ヴァッハウ渓谷
【hv783.jpg:デュルンシュタインの修道院の岩の上に建つ城が、リチャード1世幽閉の城】

 川の流れはかなりきついので、船もそれに逆らって遡っていくのですが、町の塔が小さくなる頃、先ほど町に入るときに見えた城が岩の上に見え出します。この城こそ「イングランド王リチャード1世」が幽閉されていたところなのです。12世紀はじめ、フランス王国の半分近くを戦いで勝ち取っていた彼が、第3回十字軍(1189-)でエルサレムに向かい、失敗して帰国の途中、神聖ローマ帝国内で捕らえられ、この城に閉じ込められたのです。

 地図で彼の1191〜1194年の行動したルートを追ってみましたが、実に広範囲。船が遭難した後の陸路の帰国ルートは多分ドナウ川を遡ったのでしょうが、ウィーンで捕まりこの城と、ライン河の城に囚われになっていた1年半ほどを除く1年半、ずっと戦いと移動の連続。800年以上も前のことなのです。

●第3次十字軍、イングランド:フランス:オーストリア(神聖ローマ)、リチャードT世、デュルンシュタイン城での幽閉など


1187年:「イスラム指導者サラディン」が聖地エルサレムを奪ったことから、「教皇グレゴリウス8世」が第3回十字軍(1189-1191)を勧請する。
1190.6.10:「神聖ローマ皇帝・フリードリッヒ1世」は出征中、沐浴中に溺死(→ハインリヒ6世が後継)。
1191:当時フランス領土を戦いで次々と勝ち取っていた「イングランド王リチャード1世」は海路を遠征する。
1191.7.12:「フランス王フィリップ2世」「オーストリア公爵レオポルト5世」も遠征し、3軍でアッコン奪回した。このときリチャード1世はレオポルト5世の名誉を汚した。
1191.8:フランス王、オーストリア公はアッコン奪回後帰国する。(帰国後フィリップ2世はリチャード1世の弟ジョンと陰謀し、ノルマンディの入手(回復)を狙う)
1192.9.2:リチャード1世はエルサレム奪回ができず、サラディンと和約。

・リチャード1世は帰路途中に船が遭難し、陸路オーストリア領内を進む。ウィーンの近くで捕えられレオポルト5世に引き渡される。
1192.12-1193.3:デュルンシュタイン城に幽閉される。(主君を探していた忠実な吟遊詩人Blondelが城の下を通りかかり、歌で王の囚われの場所を見つけた)
→その後ハインリヒ6世に引き渡され、ラインラント=プファルツのトリフェルスの城Burg Trifelsに移され、さらに1年幽閉。
→1194.2:莫大な身代金(15万マルク)を支払って自由の身となる。

1194:フランス王フィリップ2世は、リチャード1世にフレトヴァルの戦いで敗れる
1199.4.6:リチャード1世急死・・弟ジョンがイングランド王に即位。
1204:フランス王フィリップ2世がノルマンディを征服、懸案だったフランス領土の大部分の回収に成功。一方ジョンは「失地王」の不名誉な名を付けられる。

リチャード1世と十字軍ルート
【第三次十字軍:リチャード1世の進軍ルート。
赤は帰国時の幽閉個所・・ほぼドナウ川に沿ったルートで戻ったのだろう。
フランス:イングランド領の状況・・クリックで拡大】


duernstein-schloss
【デュルンシュタインの城と修道院:】

 ちょうど今日は父の日のイベントで、船内ではブラスバンドの演奏が。音楽にあわせてダンスに興じる乗客や子供たちも楽しそうです。


ヴァッハウ渓谷
【r324e.jpg:観光船の甲板:父の日のイベント】

ヴァッハウ渓谷
【r312e.jpg:観光船の甲板】

ヴァッハウ渓谷
【r335e.jpg:観光船の甲板】

ヴァッハウ渓谷 ヴァッハウ渓谷
【s633.jpg:】 【r317.jpg:Weissenkirchen】

●シュピッツSpitz

 僕たちが船を降りたこのシュピッツ周辺は、周辺が見事なブドウ畑です。ワインを1000のバケツ(57kL)取れるところからタウセントマイマベルク=千のバケツに囲まれた村=と言われているとのこと。電車だけで旅行していれば、昼食にワインも飲めたのですが残念。
シュピッツの船着場周辺地図

ヴァッハウ渓谷:シュピッツ
【s636.jpg:シュピッツSpitzの教会と周辺のブドウ畑】

ヴァッハウ渓谷:シュピッツ
【r362e.jpg:シュピッツSpitz駅】


【またも駐車違反の紙が】

ヴァッハウ渓谷:シュピッツ
【hv760.jpg:シュピッツSpitz】

 電車で船に乗ったデュルンシュタイン駅まで戻り、駐車場の車を見ると・・
なんとまたも駐車違反の紙がフロントガラスにはさんであります。有料との表示は見つからなかったし、あったとしても日曜日で無料のはず? 他の車には挟んでないのに?



<関連するサイト>

バッハウのゆるゆる旅【カヌ太郎さん】
http://www.duernstein.at/【Duernstein観光ガイド・歴史・地図】
http://www.schloss.at/【デュルンシュタイン城ホテル】
リチャード1世 (イングランド王)【ウィキペディア:第3回十字軍など】
Richard I.【英語wikipedia】
Richard Lowenherz【ドイツ語wikipedia】
http://www.uwendler.de/pfalz/a/annweiler/trifels.htm【リチャード1世が幽閉されたドイツ・Burg Trifelsトリフェルス城】
http://www.spitz-wachau.at/【Spitz-wachau観光ガイド】

<関連書籍・地図>

ドナウに関する書籍・音楽など
Donauドナウ関連の洋書

<オーストリア・ワイン>

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<関連HOTELなど>

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