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Rogla ログラ峠(1517m) 【●峠のDBへ
/Koca-na-Pesku コチャ・ナ・ペスク峠(1385m)【●峠のDBへ
 琥珀街道/古代ローマの道

 ほこりだらけになって、ここスロベニア第二・第三位の峠に到着。道路状況などから、この先のルートを変更することに決めました。
 西に向かうこの街道は、古代ローマ時代(BC5C〜)、いえもっと、ケルト人・ハルシュタット文明の時代(BC8C〜)、さらにずっと前から 多くの旅人が行き交っていた道なのです。
[北村 峠一]      


Lovrenc na Pohorju村とRogla峠 <2003.6.11(水)>
 ロヴレンツェ・ナ・ポホリュ村から峠に向かう道は、すぐに舗装が切れ、車の後部ガラスが見事に真っ白になるような砂利道が、頂上付近まで25kmほど続きます。なだらかで道幅のあるこの道、伐採した木材運搬のトラックとすれ違うだけの、怖いほど静かな林道です。そして周囲の山は、豊かな濃い緑の針葉樹林です。

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【00.jpg:R701は、舗装の道が狭くなって、砂利道に変わる】

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【15.jpg:深い緑に包まれた山道。切り出した木材を運ぶトラックもほこりを舞い上げて】

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【03.jpg:Dom-na-Peskuは上にある山小屋のことだろう。PESEKのマークは?】

「PESEK P.P.3」のマークがあります。地図を見るとワンダーフォーゲルのルート(Slowenischer-Bergwonderweg:スロベニア山岳徒歩道、Europaischer-Fernwonderweg:ヨーロッパ長距離徒歩道)が、このアルプスの分水嶺に沿って作られていますから、それに関係したマークのようです。

 池の縁をロバを連れて歩いている人がいます。ビデオカメラを向けると、ビクつくロバをなだめながら、撮影のためにわざわざ立ち止まってくれました。そして何か話し掛けようと思いましたが、すでにロバを歩かせ始めます。「サンキュー」(このとき、手の甲に書いたスロベニアの挨拶文は、汗で消えていました。)きっとこのロバ、トレッキングの荷役用か、リゾートの観光用に調教しているのでしょう。
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【44.jpg:池に沿ってロバを連れて歩く人がいて】 【40.jpg:調教しているのだろう。写真を撮らせてもらう】

●Koca na Pesku周辺のWeb情報
http://vanda.krofek.net/Planine/【Rogla - Koca na Peskuなどのハイキングの写真。そのサイトのSLOVENSKA「9」がこの付近・・・低木の高原・湿地のルートがある】
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【68.jpg:Dom-na-Pesku山小屋のカンバン。エーデルワイスのデザインだろう。】
 Koca-na-Pesku コチャ・ナ・ペスク峠(1385m)の三叉路に到着します【●峠のDBへ】。遠くまでの眺めはありませんが、緑に囲まれたこの360度もなかなかです。

 Dom-na-Peskuドム・ナ・ペスクと書いた山小屋には、あの材木のトラックの運転手がお茶をしています。牧場の柵があり、夏のシーズンにはレジャー客が遊びに来る場所なのでしょう。地図によるとこの東の林を下ると、高原の湿地帯、トレッキングルートがあります。

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【59.jpg:Koca na Pesku一帯は、湿原地帯ハイキングのルート拠点。】

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【67.jpg:右(南)の道をいくとRogla峠のスキーリゾート方面。正面(東)の林のむこうに、トレッキングルートと湿地帯がある。】

rogla 【70.jpg:峠の記念碑に「1903-1945年、Fasizmaの記述がある」。想像するにスロベニアがドイツの国粋主義者への抵抗の記念では?】
 峠の記念碑に「Tone-Melliva・・1903-1945年・・Fasizma・・」の記述があります。1900年頃のスロベニアは、オーストリア・ハンガリー二重帝国の一部でした。そしてその頃、スラヴを第三の国家とした三重帝国(トリアリズム)構想を、ハプスブルク家に働きかけた時代でもあります。その後1914-18年の第一次世界大戦でユーゴスラヴィアとして独立。1939年からの第二次世界大戦ではヒトラーによる占領のあと、チトー政権によるユーゴ共和国(6共和国)の一つとなったのが1945年のことです。

 その約半世紀にわたる独立への戦い、Fasizma国粋主義者に対して抵抗した地元の中心人物が、Tone-Mellivaさんだったのでは?と想像するのです。
(1903-1945年の42年間は彼の生涯だったのか、指導者の期間だったのか?Webを探しますが見つかりません。皆さん何か情報がありましたら教えてください。)






●Rogla周辺のWeb情報など
http://www.unior.si/slo/turizem/UNIOR【Rogla-Termeのスキー・山岳リゾート。FISスキー大会・欧州カップなどの競技がいくつも開かれ、サッカー・バスケットボールなどの球技系のオリンピック選手の育成設備も充実しているようです。】
 山小屋から2kmほどでスキーリフトなどが現われ、その丘の一番高い場所のRoglaログラ峠(1517m)に到着します【●峠のDBへ】。このカンバンによると、ログラ峠付近一帯はかなり大規模なスキーゲレンデ、スノボーコース、さらに合宿設備のような建物がたくさんあります。たしかスロベニアは、冬季オリンピックの誘致をしていました、このRoglaもその競技会場なのでしょうか。

 峠の生成を一般的に考えると、このR701号線の2kmほどの近距離に、二つも峠は作らないはずです。(分水嶺の鞍部に二つの村を結ぶ峠が出来るのが一般的)。多分、以前からの峠は先に通過したコチャ・ナ・ペスク峠(1385m)。後年、このログラ山の頂上にスキー・レジャー設備が出来、そこと従来の道路を整備し、つなぐことで、新しいログラ峠(1517m)が作られたと思われます。

 ところで、シーズンオフの平日とはいえ、ハイカーや散策している人を一人も見ません。この先の南に下る大規模な道路工事だけが理由でしょうか。この国の人はあまり山歩きしないのでしょうか。

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【74/73.jpg:峠一帯は、大きなスキーリゾート地。その看板に峠の標高が】

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【79.jpg:丘の最高位に向かって、たくさんのスキーコースがある】

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【89.jpg:360度すべての方向に、コースが開発されていて】

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 この先、スロベニアを走るルートを変更することにしました。(当初考えていたルートはこちら)。
 あのオーストリアとの田舎の国境で、検問が厳しい時も考えていたのです。さらにロヴレンツェ・ナ・ポホリュ村に向かう道の細さの時も。決め手は、このコチャ・ナ・ペスク峠にむかって登ってきた未舗装の道でした。

 今まで走ったヨーロッパアルプスの道、一応すべて舗装の道、地図には黄・赤などで表示されています。が、ここスロベニアでは、黄色に塗られたR701号線の北側すべてが未舗装。とすると当初計画ルートのSlemeスレーム峠(1084m)への、R425号線も未舗装の可能性が高いのです。あえて1000mほどの峠に行くのは止めようと思います。オーストリアから戻って再入国する、Seeberg-sattelズィーベルグ・サッテル峠(1218m)も今回はパスにします。

 変更後のルートは、「オーストリアに迂回する2つの峠ルートは止め、高速道路で直行する。リュブリャーナの市内通過もやめる。(もともと都会でゆっくりする気は無かった)。イタリアのトリエステにも寄り道しない。」と決めます。

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 峠の下りの道も、大掛かりな道路工事が延々と続きます。さらに下りきったZreceツレチェでも、町の中心が大工事。迂回路の指示もわかりづらく、住宅街をうろうろ。来年のEU加盟、近隣国から観光客が車で入ってくるまでに、国際道路標識などいろいろ改善していく必要もありそうです。

 この町の家々の庭先には、サクランボが鈴なりです。アルプスの山を背にした、気候温暖な場所、ブドウなど果物も豊富で、さらに山歩き、スキーなど、ゆくゆくは国際的な観光地になりそうな町です。

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【a0/a3.jpg:Zreceの村は、サクランボの木がどの家にも。そしてどの木にも、あふれんばかりの実が】

 高速自動車道路に乗り、Postojnaポストイナに向かいます。このルート、なだらかな丘陵地を走る道は、ほぼ「琥珀(コハク)街道」「古代ローマの道」にそって作られています。

 ヨーロッパの文明が始まり、紀元前2000年頃にはすでに、地中海とバルト海の間に物流が行われていたのです。そして数日前に訪れたハルシュタットから名づけられた「ケルト人のハルシュタット文明」(BC750-450)のころには、この「琥珀街道」にはかなりの商人が行き来し、琥珀、毛皮、金細工などがこの道を運ばれたのです。さらに古代ローマの時代(BC5C頃〜AD5C頃)には、石を敷きつめ整備されたこの道は、重量のある軍馬も行き交うことの出来る主要な道になったのです。

琥珀街道琥珀街道、古代ローマの道
 ルートと都市名


【琥珀街道、古代ローマの道のスロベニア内のルート、地名、想定峠名。
 アクィレイア〜エモナ〜ケレイア〜ポエトウィオのルートはウィーンに向かっている】

【スロベニアのアルプス名などに出てくる「Juli--/ユリア」の「Gaius-Julius-Caesarガイウス・ユリアス・カエサル(シーザ)(BC100-BC44)」も、このバルト海の琥珀とその街道の調査を指示したとの記録もあります。】



●琥珀に関するWeb情報など

 ・Amber-Home【琥珀に関する広範囲情報】
 ・Swedish Amber Museum【スウェーデン琥珀美術館】
 ・久慈琥珀博物館【岩手県久慈市にある琥珀博物館】

 ここの高速道路は区間ごとに料金を払うのですが、有料部分の総道路長約130kmで1270Sit(≒760\)。
(St.Kanjice〜=280Sit、Vransko〜=300Sit、Kompolie〜=200Sit、Ljubljana〜Postojna=490Sit)と、日本に比較するとかなり安い料金です。
(参考:関越道で新潟〜石打122kmは3150\)


 しかし、途中の未開通(工事中)の約15kmは大渋滞、1時間以上の間ほとんど動きません。が、文句を言ったりクラクションを鳴らす車は無かったので、これがあたりまえなのか、我慢強いのか? 周りの車は皆、地元のナンバープレートばかりで、外国の車はほんとうにたまにしか見かけません。

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【d7.jpg:高速道路はどこの国でも快調】【緑が走行した高速道路区間】

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【d3.jpg:未開通区間は、工事中のトラックばかり。大渋滞で1時間以上動かない。】

<午後2時頃、ポストイナの町に着きました。さて、どんなところに宿を取って、どんなところを見に行きましょうか・・・・>
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