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クラーゲンフルト〜マリアザール〜ホッホオスタウィッツ〜フリーザッハ〜(5/11)  


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【クラーゲンフルト:Klagenfurt】
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●1797.4.9:クラーゲンフルトの戦い


 ナポレオン軍がオーストリアに攻め入る。 『ナポレオン戦線従軍記』フランソワ・ヴィル・ルション著、瀧川好庸訳、中公文庫
 ・・【p69:第29回戦闘。
  ウディネ/フリウリ(イタリア)→(オーストリア)ポンテッバ3/23→3/27タルヴィジオの会戦→フィラッハ占領→4/9クラーゲンフルトの戦い→4/11フリーザッハ→4/17ノイマルクの戦い→4/18レオーベン城前→グラーツ】

  ★この先1997年の旅で、 C-site=クラーゲンフルトからドロミテ方面に行きます


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●Maria Saalマリアザール=聖なる婦人  <2013.6.17再訪

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●Maria Saalマリアザール=聖なる婦人

・Zollfeldの谷は、ケルトの部族が定住した以来、文化と政治の中心であった。

・BC15年、ノリクム王国はローマ帝国に破れ属州となった。
・皇帝クラウディウスは、それまでMagdalensbergの山にあったケルト族の首都Virunumを、マリアザールの移し、州の首都として建立した。

・Virunumは4世紀はじめには初期キリスト教の中心となり、アクイレイアの総司教の管轄下にあった。
<○http://wpedia.goo.ne.jp/

・スラヴ系(南スラヴ系)人はカルパチア山脈とハンガリー平原よりも北の地域に住んでいたが、6世紀始めにアドリア海に向けて移動を開始。545-559年、イリリア州に侵入。592-602年ベネト地方まで進み、海岸地方を支配した。7世紀にはハルシュタット、ダハシュタインもスラブ人の支配下であった。

・西に住んでいた部族は626-630年にカランタニア公国を樹立。部族長によって君主(大公Knez)を選んだが、その儀式はオーストリア・ケルンテン州のクルン城の「大公の石」の上で行われた。この後少し離れたゴスパ・スヴェータ=聖なる婦人の意味=現在のマリアザールの石の玉座に場所を移した。

・新しい君主は、誰の奴隷でもない自由な人々の面前で農民の王冠をいただき、彼らの権利を擁護する誓いを立てた。
・この象徴的な儀式は14世紀まで行われ、アメリカ独立宣言など現代にも重要な影響を与えた。

・このカランタニア公国は当時フランク人の商人が、ボヘビア・モラビア(現チェコ)から、アルプスまでを支配していると書き残した「サモ帝国(625-659年)」の一部をなしていたと考えられる。
・この後カランタニア人は、ハンガリー平原のアヴァール人と衝突を繰り返し、745年バイエルンに支援要請。このときキリスト教がもたらされ、最初の司教座がザルツブルクに置かれ教会を建てた。

本:『スロヴェニア』ジョルジュ・カステラン著:白水社p.20-
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【ホッホオスタウィッツ:Hoch osterwitz】
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●Friesach フリーザッハ  【●2003.6.9再訪


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●1797.4.11:フリーザッハの戦い
 ナポレオン軍がオーストリアに攻め入る。 『ナポレオン戦線従軍記』フランソワ・ヴィル・ルション著、瀧川好庸訳、中公文庫
 ・・【p70:第30回戦闘。
  ポンテッバ(イタリア)→(オーストリア)→3/27タルヴィジオの会戦→フィラッハ占領→4/9クラーゲンフルトの戦い→4/11フリーザッハ→4/17ノイマルクの戦い→4/18レオーベン城前→グラーツ】
 
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