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ナポレオン街道で:ひなげし
【h555.jpg:麦畑のひなげしとヤグルマギク。正面の雪山はle Bano du Peyron(2777m):Corps南】

ナポレオン街道(Laffreyラフレー〜Corpsコール)

1815年のエルバ島からの帰還、その31年後の聖母の出現・・【●峠のDB

フランス:ローヌ・アルプ地方(38イゼール県)】[北村 峠一].(Kitamura)      


●バス事故が、旅の後に起きた・・


 2007.7.22、フランスでバス事故があり、26人以上の死者を出したニュースをご存知ですか?
 その場所はChamrousseからLaffrey間の橋。ポーランドからの巡礼の団体を乗せたバスが、僕たちが通過したひと月半後に大事故を起こしたのです。

 思い出すとなんでもないカーブだったような気がするのですが、Napoleonナポレオン街道はこの付近でかなりの勾配でしたから、下りで大型バスのブレーキが利かなくなって、Viville村に入る直前の橋からRomanche川の川原に転落、炎上したために大事故になったと推定されます。

バス事故
2007.7.22、バス事故で26人以上の死者を出した

より大きな地図で 2007Tr-avel-R-oot-Po-int を表示
【バス事故はRoute NaporeonNapoleon街道を北に走り、中央LaffreyラフレイからVizilleに入るカーブ直後の橋から落下炎上した。右上がChamrousse】
Col du Noyer
【v579.jpg:ラフレー:Praire de la Rencontre出会いの原:ナポレオン街道】
−−−

●Laffreyラフレー・・エルバ島から帰還したナポレオンが・・


 Laffreyラフレーに向かう道を登りきると、そこがCote de Laffreyラフレー分水嶺(約1000m)。【●峠のDB

 4つほど続くラフレーの小さな湖、その周辺にあるのが「ラフレーの原」です。
 1815年エルバ島を脱出したナポレオンがここで3月7日、ルイ18世の軍の兵に対して、「・・皇帝を殺したいなら、逃げも隠れもしない・・」と大勝負に出、上官に射殺を命令された兵士たちが「皇帝万歳!」と叫んだ地。このあとルイ18世逃亡のパリに3月20日入城し、再び帝位に就いたのです。

 この「ナポレオン街道Route Napoleon」は、今でもフランス人にとって大きな歴史の街道なのです。

Col du Noyer
【v583.jpg:Laffreyラフレイ】

Col du Noyer
【v589.jpg:Laffrey】

●Route Napoleonナポレオン街道

  −−ナポレオン:参照−−
<1815年>
・2/26:Elbaエルバ島脱出〜
・ 3/1〜7:「Route Napoleonナポレオン街道」を北上
・ 3/6:〜▲Bayard峠(1246m)〜Barraquesバラク〜Corpsコール泊)
・ 3/7:〜Prairie de Laffreyラフレーの原〜Grenobleグルノーブル着
 (レサル大隊長と第5戦列歩兵連隊の兵が、ラフレーの原でナポレオンの進軍を待ち構えていた。午後3時、ナポレオンは使者を立て
「皇帝ご自身が諸君の方へ向かっている。もし引き金を引くつもりなら、第一射が陛下に当たるだろう」と。
 レサルはためらったが、部下に射撃命令を出したが、従う者はなかった。ナポレオンは前にで
「兵士諸君。私は君たちの皇帝だ。もし、きみたちの中に自分の皇帝を殺したいものが居るなら、逃げも隠れもしない」。兵士たちは
「皇帝万歳!」と叫んだ。
 グルノーブルへの道ではLa-Bedoyereラ・ベドワイエル大佐と第7戦列歩兵連隊を率いて馳せ参じた。夜7時、グルノーブルでは熱狂的な歓迎を受けた。

 しかし戦わずして勝ちパリに凱旋したが、ナポレオンの天下はその後100日しか続かなかった。
<関連サイト>
 ○http://www.matheysine.com/frame.php?zone=laffrey【laffrey:La plage de Laffrey au nord du lac.】
 ○http://ameliefr.club.fr/【Route-Napoleonの解説】

 このナポレオン街道に沿った道の両側には、そこに来る多くの観光客への、看板、ガソリンスタンド、宿などがたくさんあります。ここから西にはEcrinsエクランというフランスの中でも秘境の、ラメージュの南の山々があるわけですからたくさんの観光客に知られ、来て欲しいわけなのです。
 そして街道の東側もまた見所が一杯なのですから。

Col du Noyer
【v633.jpg:Route de Valbonnaisの広告もあるPetichetはラフレーの5km南】

Col du Noyer
【h547.jpg:Quet en Beaumont付近の西:Drac渓谷の対岸。左端が今から向かうNoyer峠付近】

−−−

●コールCorpsとラ・サレットの聖母Sanctuaire de Notre Dame de La Salette


 ナポレオンが「ラフレー原での遭遇」の前夜泊まったCorpsコールの村は、観光客が一杯。土産物屋、ホテル、レストランなどが道路の両側に並んでいるのですが、この村はナポレオンと同時に「ラ・サレットの聖母」への巡礼客もたくさん訪れるところ。

 最初に紹介した事故を起こしたバスの観光客も、時間的に考えると多分この村か、山の上の巡礼客用の宿に泊まったのでしょう。

Col du Noyer
【v666.jpg:Corpsの町:ナポレオンがラフレーの直前に泊まった村】


より大きな地図で 2007Tr-avel-R-oot-Po-int を表示
【Corps村の北にNotre Dome de la Saletteがある】
Col du Noyer
【v668.jpg:Corps村の南入口:Notre Dome de la Saletteは左へ・・巡礼地】

Col du Noyer
【v673.jpg:Lac du Sautet:右にCorps村がある】

●ラ・サレットの聖母Sanctuaire de Notre Dame de La Salette【●峠DBへ


・Corpsコープから北の山中へ約15kmの地点に、フランスの巡礼地「Sanctuaire de Notre Dame de La Saletteラ・サレットの聖母」がある。
・1846年9月19日(ナポレオン帰還の31年後)、聖母マリアが、羊飼いの2人の子供の前に現わしたという秘跡の地。
・1851年、標高1,800メートルのアルプスの牧場のその地に聖堂が建造され、毎年15-20万人の人が巡礼に訪れている。

<関連サイト>
 ☆http://www.paris-catholique-japonais.com/【Notre Dame de La Saletteラ・サレットの聖母の解説】
 ○http://apotres.amour.free.fr/【Notre Dame de La Saletteの歴史解説】
 ○http://lasalette.cef.fr/【Notre Dame de La Salette公式サイト】

−−−
 コールを南に数km、前方道路脇の畑が赤く、そして青く輝いています。赤はポピー(ひなげし)だというのは判るのですが、 あの青色の花はなんだろうと車を停め近寄ってみると、それはヤグルマギク。麦畑の緑、ヤグルマギクの青、ポピーの赤が畑一面に咲いているのです。【●花図鑑へ

Col du Noyer
【v661.jpg:ひなげし・ヤグルマギクが麦畑の中に一面に咲いている:正面の山がこれから向かうNoyer峠方面:Corps南】

Col du Noyer
【v696.jpg:ひなげし・ヤグルマギクが麦畑の中に一面に咲いている。右手の雪山はle Bano du Peyron(27777m):Corps南】

Col du Noyer
【h551.jpg:ひなげしヤグルマギクが麦畑の中に一面に咲いている:Corps南】


<関連サイト>

 ○http://www.ot-vizille.com/【Petichet】
 ○http://fr.wikipedia.org/【Laffrey】
 ○http://www.corps-alpes.com/【du pays de Colps】

<フランス・ワイン>

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<関連HOTELなど>

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<西へ・・念願かなって登れそうなCol-Noyerヌヮイェ峠は、どんなところなのでしょう・・>
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